天皇陛下万歳
いよいよ明日・明後日は皇位継承がある。明後日は御即位の祝日である。
オッサンは生きている。
読書しつつの酒肴動画、だんだん作るのも手馴れてきた。
今回は胡瓜と椎茸を梅肉で和えて一杯やった。旨かった。
動画の中で飲んでいる酒は、あいかわらず「会津ほまれ からくち 米だけの酒」である。
動画の中で読んでいる本は、引き続き「世界教養全集 第1巻 哲学物語」(ウィリアム・デュラント著)である。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【438】は(夏隣、夏近し)です。風光る日々うとうとと春の果て、令和の初めは夏も隣に。新元号、慎んでお祝ひ申し上げます。例句「開け放つ窓に潮風夏隣 今井松子」 #saezuriha_odai #saezuriha pic.twitter.com/CopHxU6Wgw
— 平坂謙次 (@hedekupauda) April 26, 2019
今日のGoogleはイースターのDoodleページになっている。
宗教色が強く気に入らないが、彼らにとっては無邪気なお祭りなのだろうから、文句を言うまい。
しかしそれにしても、どうして皆さんはイースターや
ユダヤ人の子供は助かってエジプト人の子供は死ね。……とか、血
……。頭ダイジョウブですか。
青果店に大きな
季節である。
近所に住む姑の家の庭に山椒があり、毎年今の時季になると「木の芽」を分けてくれる。
今年も分け前にあずかった。筍の水煮も作り置いてある。そこで、木の芽和えにして一杯やった。旨かった。
例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。
飲んでいる酒はいつも通り「会津ほまれ」である。
読んでいる本は、先日来ひきつづき、「世界教養全集 第1巻 哲学物語」(ウィリアム・デュラント著)である。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【437】風船 傍題に風船売り 紙風船 ゴム風船 風船が春の季語になったのは大正以来だそう。様々な種類の風船が売られていますが手を放した風船を見上げて泣く子供というのはお約束事ですね。あの空へ溺れにゆこう紙風船(高岡修) #sauzuriha #saezuriha_odai
— さとう みちこはん (@burukosan) April 19, 2019
……馬鹿々々しい、アクセルが戻らないだなんて、嘘に決まってンだろ。何十人も人轢いて、よくそんなイケしゃあしゃあと公表できるもんだぜ。
有名人の訃報もあって、生前、死後、と言う言葉を味わってみた。胸に迫り、冥福を祈りたくなる。
だがしかし、なんだか変な感じがする。
「生前」という言葉があるなら、「生後」という言葉があってしかるべきであり、実際、この言葉はある。例えば生まれたての嬰児のことを言う時、「生後まもないxx君の写真」などと言い、かつ書くということには疑義はない。
しかし、「前後」の関係がおかしい。死ぬ前のことを生前と言うが、それなら「生後」は死んだ後のことであるはずだが、実際は生まれた直後のことを生後という。逆に、生まれた直後のことを生後と言うなら、生まれる前の事は生前と言わねばおかしいが、実際は死ぬ前の事を生前と言う。下の図の通りである。
そうすると、「死後」と言う言葉に対して、「死前」という言葉がなくてはならないはずだが、死んだのちのことをあらわす「死後」に対して、死ぬ前の言葉として「死前」なんて言葉があるかというと、これは耳にも目にもすることはない。
こう考えてみて、全部を列挙してみると味わい深い。「生」に対する「死」、「前」に対する「後」、あるいはその間を表す「中」もあろうか。
組み合わせ | そんな言葉があるかないか |
---|---|
生前 | 〇 |
生中 | × |
生後 | 〇 |
死前 | × |
死中 | 〇 |
死後 | 〇 |
「『死中』なんて言葉はナイ!」と言われそうだが、「死中に活を見出す」などという慣用があるから、ないこともない。ともあれ、全部の組み合わせをこのように書き出してみると「生中」と「死前」と言う言葉だけが、ない。
言葉の有無はさておき、なんだか、「前」「中」「後」という時間的な系列が変である。