昭和の日

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天皇陛下万歳

 祝日「昭和の日」である。国旗を掲揚し、拝礼する。

 いよいよ明日・明後日は皇位継承がある。明後日は御即位の祝日である。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・梅肉胡瓜椎茸

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 読書しつつの酒肴動画、だんだん作るのも手馴れてきた。

 今回は胡瓜と椎茸を梅肉で和えて一杯やった。旨かった。

 動画の中で飲んでいる酒は、あいかわらず「会津ほまれ からくち 米だけの酒」である。

 動画の中で読んでいる本は、引き続き「世界教養全集 第1巻 哲学物語」(ウィリアム・デュラント著)である。

夏隣・夏近し

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復活祭、あるいは除酵(イースター)祭とも逾越(すぎこし)祭とも

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 今日のGoogleはイースターのDoodleページになっている。

 宗教色が強く気に入らないが、彼らにとっては無邪気なお祭りなのだろうから、文句を言うまい。

 しかしそれにしても、どうして皆さんはイースターや逾越(すぎこし)を差別的で禍々(まがまが)しい、呪術的な怖いものと思わないんですか?

 ユダヤ人の子供は助かってエジプト人の子供は死ね。……とか、血(まみ)れで刑死したナザレのイエスが墓からむっくり起き上がるとか。

 ……。頭ダイジョウブですか。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・木の芽和え

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 青果店に大きな(たけのこ)が所狭しと並ぶようになった。先々週店先にあった筍は、赤ん坊の握り拳ほどであった。はや、今日店先に並んでいるものは、女の太腿ほどの大きさになっている。

 季節である。

 近所に住む姑の家の庭に山椒があり、毎年今の時季になると「木の芽」を分けてくれる。

 今年も分け前にあずかった。筍の水煮も作り置いてある。そこで、木の芽和えにして一杯やった。旨かった。

 例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。

 飲んでいる酒はいつも通り「会津ほまれ」である。

 読んでいる本は、先日来ひきつづき、「世界教養全集 第1巻 哲学物語」(ウィリアム・デュラント著)である。

風船

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嘘に決まってンだろそんなの

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 ……馬鹿々々しい、アクセルが戻らないだなんて、嘘に決まってンだろ。何十人も人轢いて、よくそんなイケしゃあしゃあと公表できるもんだぜ。

生前・死後

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 有名人の訃報もあって、生前、死後、と言う言葉を味わってみた。胸に迫り、冥福を祈りたくなる。

 だがしかし、なんだか変な感じがする。

 「生前」という言葉があるなら、「生後」という言葉があってしかるべきであり、実際、この言葉はある。例えば生まれたての嬰児のことを言う時、「生後まもないxx君の写真」などと言い、かつ書くということには疑義はない。

 しかし、「前後」の関係がおかしい。死ぬ前のことを生前と言うが、それなら「生後」は死んだ後のことであるはずだが、実際は生まれた直後のことを生後という。逆に、生まれた直後のことを生後と言うなら、生まれる前の事は生前と言わねばおかしいが、実際は死ぬ前の事を生前と言う。下の図の通りである。

 そうすると、「死後」と言う言葉に対して、「死前」という言葉がなくてはならないはずだが、死んだのちのことをあらわす「死後」に対して、死ぬ前の言葉として「死前」なんて言葉があるかというと、これは耳にも目にもすることはない。

 こう考えてみて、全部を列挙してみると味わい深い。「生」に対する「死」、「前」に対する「後」、あるいはその間を表す「中」もあろうか。

組み合わせ そんな言葉があるかないか
生前
生中 ×
生後
死前 ×
死中
死後

 「『死中』なんて言葉はナイ!」と言われそうだが、「死中に活を見出す」などという慣用があるから、ないこともない。ともあれ、全部の組み合わせをこのように書き出してみると「生中」と「死前」と言う言葉だけが、ない。

 言葉の有無はさておき、なんだか、「前」「中」「後」という時間的な系列が変である。