時事抛向(ほうこう)

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なるほど、浮いた経費を従業員に還元するわけか

 なるほど、家で仕事すれば、勤め先の運用コストが下がらなければ道理にあわぬ。それを従業員に還元するというのは、確かに名案である。

「三密」はあたらず、「三業」と言うべし

 新型コロナウイルス蔓延の世相、「三密」なる言葉が出てきた。曰く、「密閉、密集、密接」を略して三密と言うのだそうな。

 私としては、まったくこの命名には不満である。

 私の宗旨は真言宗であるが、真言宗で三密と言うのはそのような不潔なことを言うのではない。仏の身体・言葉・心、すなわち聞き(がた)くして受け(がた)至高至尊(しこうしそん)の「(しん)()()」三つの働きを三密と呼ぶのである。

 新型コロナウイルス蔓延の原因を断ずるなら、むしろ「三業(さんごう)」になぞらえた方がよかろう。三業とは「身体の慾、言葉の災い、心の悩み」を言う。まさしく、いまや神仏に罰されようとしている人類に反省を迫る言葉ではあるまいか。密閉・密集・密接、これらすべて人間の身体の慾、言葉の災い、心の悩みの三業によって行われるものだ。

カルロス・ゴーンと新コロ

 カルロス・ゴーンが満を持して放とうとしていた自身がモデルのハリウッド映画は、思いがけぬ新コロ禍で完全にダメになった。もはやゴーン本人が新コロで死んで話題を提供しないと、興業的成功はないだろう。

新コロ禍後の欧米の野望

 新コロ禍で間違いなく欧米の力は縮減する。

 縮減を取り戻すべく、奴らは戦争を起こし、有色人種を抑圧減退させようとするであろうことは想像に難くない。

 これを未然に(くじ)き、彼らの復活を阻止することだ。縮減による反動で更に繁栄するが如き、どうあっても阻止すべきだろう。

 そうすれば、自由な世界が再びやってくる。

東寺展

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 先日から東京国立博物館で「特別展 国宝 東寺――空海と仏像曼荼羅」というのをやっていて、(かね)てから見たいなあ、と思っていた。丁度上野は花見時だ。今年の東京の桜は、今週の火曜頃に満開になりだしたところである。

 しかし、花冷えで天気はもうひとつ、行こうかどうしようか、と逡巡しないでもなかった。

 そんな(おり)、旧知のI君が、「佐藤さん東寺展を見に行く予定は?」とメッセージして来た。

 I君は私と同年配で、凝り性の趣味人だ。最近は仏像に非常に()かれるようになったという。そこで、こりゃもう、行きましょう、と私も勢いが付き、一緒に見ることになった。おっさん二人で仏像デートという、なかなかシヴい行楽である。

 朝から上野へ行き、I君と待ち合わせをした。

 上野公園は満開の桜で、朝の8時過ぎからたくさんの人がブルーシートを広げて花見の場所取りをしていた。今日の東京の朝の気温は7℃、曇天で日も差さず、夜からは雨もぱらつこうかという天気で、大変寒かった。震えながら鼻水を垂らして場所取りをしている人が少し気の毒でもある。

 そんな花見客を横目に上野公園を通り抜け、国立博物館へ行った。

 「東寺」は言わずと知れた世界文化遺産で、数々の国宝を蔵する大伽藍である。入唐(にっとう)・帰朝した弘法大師空海が嵯峨天皇から賜った国立の戒壇(かいだん)院であり、高野山が空海の拠りどころとするなら、東寺は空海の役所とでも言えるだろうか。

 今回の特別展では、その東寺から、国宝11、重要文化財4、あわせて15もの至宝至尊の他、数々の名宝が展示された。

 私としては「風信帖」「伝真言院曼荼羅」などに非常に興味がある。このうち「風信帖」など空海の真筆については、7年前の平成23年(2011)に一度、「空海と密教美術展」というのが同じ国立博物館で開催されたことがあって、その展示で見たことがある。だが、「伝真言院曼荼羅」については見たことがなく、予々(かねがね)見たいものだと思っていたのだが、念願(かな)って今日はその実物を拝することができた。

 I君は最近仏像趣味が昂じてきているので、是非とも東寺展は見なければならぬ、と思ったのだという。そんなI君が喜んでくれるのではないかと思い、若い頃買った「梵字の書き方」という釈家向けの教科書を携えていった。

 「(しゅ)()曼荼羅」という、尊像の代わりに梵字を配した曼荼羅があるが、これを見る時にこの教科書を交々(こもごも)引きながら見ると、興味興趣が倍増するというわけである。

 仏像では国宝の「帝釈天(たいしゃくてん)騎象(きぞう)像」がポスターなどで話題になっており、また、この仏像は撮影が許可されている。私も愛用のコンデジで、男前の横顔を撮ることができた。左の写真がそれだ。

 I君とお互いに蘊蓄(うんちく)を交換しつつ、たっぷりと拝観することができた。

 帰りは新橋まで行って、「虎ノ門・大坂屋砂場」で蕎麦前を一杯やり、趣味のことなど語っては天婦羅蕎麦を手繰ったことだった。

 誠に眼福・口福の土曜日であった。

理趣経 五秘密極喜三昧耶 百字の偈と漢音

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 漢字の音読には「漢音読み」と「呉音読み」がある。

 多くの仏教用語は「呉音」で読む。一方、私の宗旨は真言宗であるが、真言宗入来当時、中国は唐の時代で、唐では漢字は「漢音読み」であったため、平安時代の流行を映し、真言宗の経文は漢音で読む。一般の仏教用語、例えば「金剛(コンゴウ)」「衆生(シュジョウ)」というのは呉音だが、真言宗では「金剛(キンコウ)」「衆生(シュウセイ)」と読む。これが漢音である。

 試みに、真言宗の常用教典「理趣経」の、神髄中の神髄と言われる標記「百字の偈」を読み方と共に摘記する。普通ではない変わった読み方、仏教用語の読み方と違って、漢字の「普通の音読」をそのまま読んでいっている感じがすることがわかる。

菩薩勝慧者(ホサツショウケイシャ) 乃至盡生死(ダイシシンセイシ) 恒作衆生利(コウサクシュウセイリ) 而不趣涅槃(ジフシュデッパン)
般若及方便(フワンジャキュウホウベン) 智度悉加持(チドシッカチ) 諸法及諸有(ショホウキュウショユウ) 一切皆清浄(イッセイカイセイセイ)
欲等調世間(ヨクトウチョウセイカン) 令得浄除故(レイトクセイチョコ) 有頂及悪趣(ユウテイキュウアクシュ) 調伏盡諸有(チョウフクシンショユウ)
如蓮體本染(ジョレンテイホンゼン) 不為垢所染(フイコソゼン) 諸欲性亦然(ショヨクセイエキゼン) 不染利群生(フゼンリキンセイ)
大欲得清浄(タイヨクトクセイセイ) 大安楽富饒(タイアンラクフジョウ) 三界得自在(サンカイトクシサイ) 能作堅固利(ノウサケンコリ)