同窓生と雑談チャットをしていて、「堺・
私は大阪・堺、世界最大の陵墓として有名な伝・仁徳天皇陵や、東京・府中に次ぐ規模の巨大刑務所、大阪刑務所に程近い、田出井町というところの生まれ育ちである。
乳守。乳守と書いて「ちもり」と読む。たしかに、聞き覚えがある。昔、大人たちの雑談の端にあらわれていた。「堺の旦那衆」の御大尽な遊びの話の中に「戦前にナ……」などという前置きとともに語られていたものだ。
だが、忘れていた。だから、「乳守」は、同窓生にほとんどはじめて教わった地名と言ってよい。
遊里である。同窓生によると、京・祇園よりもまだ古い、鎌倉・室町のむかしにまでさかのぼる遊郭(正しくは
だがさきの大戦は由緒にも容赦なく、乳守は戦災で壊滅し、今はその片鱗すらもない。現在の地図ではこのあたり(Google Maps)である。
かの一休禅師宗純が
- 地獄太夫(Wikipedia)
- 堺の遊里――乳守――(独立行政法人日本芸術文化振興会・文化デジタルライブラリ―)
上方落語に「すみよし茶屋」という噺があり、その中に、この地獄太夫と一休禅師の話がでてくるらしい。また、「三枚
- 落語「三枚起請」の舞台を歩く(落語の舞台を歩く)
- 三枚起請(Wikipedia)
この「三枚起請」のサゲは、「別に
子供の頃の私などが度々耳にすることがあった遊所というと、旧軍隊の
初めまして。
乳守の近くで、産まれ育ったもです。
桂米朝師匠の怪談市川堤に乳守の芸者が出て来ます。
それと、三枚起請で昭和40年頃のLPに乳守遊郭が出てきますが、
CDには収録されて無いようです。
LPは残念ながら、手放しました。
乳守温泉・チモリ劇場は懐かし思いです。
コメントありがとうございます。
10年以上も前に書いた記事にコメントを頂けるとは思ってもいませんでした。
私は大阪・堺の生まれ育ちなのですが、15歳の頃に自衛隊に入って堺を離れましたので、「大人の堺・大阪」というものをあまり知りません。乳守のことも中年になってから同窓会に顔を出した折に、同窓生から聞いて、ああ、なるほど、伯父や伯母、母の昔語りの中に出てきていたな、と記憶を掘り起こした次第です。
上方の噺にお詳しいのですね。私は難波の花月にも行ったことがなく、大阪の寄席で落とし噺を聞きたいものだとかねがね思っていまして、引退したら郷里へ旅行し、大阪の寄席へ行きたいです。