文語体で書くときの現在推量の助動詞に「らむ(らん)」がある。
「今まさにこうであろうなあ」という場合に使う助動詞で、私などは俳句を
松茸の土やかの空青むらむ
(https://satotoshio.net/blog/?p=2893)
この松茸のとれたところの、空が今ちょうど、青くなってるんだろうなあ、と思ったので、即吟、そのまま詠んだのだ。ちなみに、似た働きを持つ助動詞に「けむ」がある。これは「過去推量」だ。「多分、これ、こうだったんだろうなあ」という時に「けむ」を使う。
老母さぞ舞ひけむ祇園囃子過ぐ
(https://satotoshio.net/blog/?p=1488)
これは夏に詠んだ句だ。祇園ばやしを昔舞ったものなんだろうなあ、と思ったので、そのまま詠んだのだ。
ところで、過日、憎んでいる人物について文章を綴っていて──いや、私だって、嫌いな奴、許せない奴はいますよ、社会に生きるおっさんですからね──その人物のことを「けしからぬ奴」と書いてから、ふと、筆が止まった。
これは、多分間違っている。
「けしからん」の最後の「らん」は、現在推量の「らむ(らん)」ではなかろうか。
おそらく、「けしからん」は、「
そうすると、最後の「ん」は、否定の「ぬ(ん)」ではなく、「む(ん)」である。音読するときにはどちらも同じ「ん」でも、「ぬ」と「む」では意味が違うのだ。
「けしからん」という言葉で「けしからない(けしからず)・けしかって・けしかる・けしかれば……」などと活用を試みると、これはもう直覚的に「そんな活用はナイ」ということがよくわかる。「けしからない」なんて言い方はないのだから、文語的な「けしからぬ」というのもないはずだ。そこからも、「けしからん奴」の「らん」は、現在推量の「らん」だろう、と思われるのだ。
ただ、ではというので「けしからむ奴」と書いてそれが通るかと言うと、通るまい。こういう書き方も見たことがない。だから、正しいのはやっぱり「けしからん奴」だろう。
他方、池波正太郎の小説など読んでいると、「けしからぬ…」という使い方がよく出ていたように思う。
それで通るなら、まあ、それもアリかな、と思う。大小説家にしてはじめて許される、愛すべき言葉の芸と言える。こういうのは可なのだ。
だがしかし、私にはそれは許されまい。やはり、私如き辺りは、「けしからん奴」と書くのが良い。