酒が旨いのも如何なものか

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 よく飲む。

 酒量を誇ってうれしい歳でもない。むしろ酒量を控えたり、「カミサンに酒を隠されちゃいましてね」などと言ってみたりするほうがチト滑稽なシブいめの自慢になるだろう。

 だが旨いものは仕方がない。

 こう虫の声が響くと、夜が長くなってくると、どうしようもないのだ。

 昔持っていた開高健の「シブい」というハードカバーの初版本には、「まれにウィスキーを冷蔵庫に冷やしておくと言う仁を見かけるが、あれは大変聡明なやりかただ」というようなことが書いてあったように記憶する。

 私も若かったから、当時それをそのままマネしたものだ。だが、あまり旨いと思わなかった。青二才だったから、水で薄くなったウィスキーじゃないとダメだったのだ。氷にぬるいウィスキーを注げば、氷が解けて中途半端な水割りみたいな味になる。そのほうが旨いと思っていたのだ。

 ひとりの頃は、分不相応に高い酒をマズい飲み方で飲むようなアホなことばかりしていた。味も分からぬクセに、恥ずかしい自分だったと思う。ワイルドターキーだのメーカーズマークだの、中曽根内閣からあと、税制が変わる前、1本1万円もするようなものを、怪しいスナックで不味い氷に注いでもらって、今思えば爆笑もののツラで呷っていた。

 今ドラえもんかSFか魔法か、なにか天変地異でもあって、当時の酒場に突如降り立つことが今の私に許されたなら、そして都合よく私の手にコルトかスミスアンドウェッソンでも握らせておいてもらえたなら、躊躇なく全装弾数を若い自分に撃ち込むだろう。

 自宅の冷蔵庫で冷えているのは、無論そんなエエカッコシイの酒ではない。近所の薬局兼スーパーで買いこんできたものだ。小遣いで買ったに決まってますよ、ええ。サントリーに決まってるでしょ、問うまでもなく。いや、普通角瓶か「富士」でしょ。・・・角瓶買うくらいの見栄はまだワタシにもありますよ。

 それにしても、なんでこんなに角瓶は旨いのだ。

ピアノの練習を始めて3年が経過した。

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 ピアノの練習を始めて3年が経過した。

 この時ちょうど40歳である。

 1年後にはバイエルを概ね8割ほど弾き終わっている。だが、ここからが長かったなあ・・・。

 2年後に最終曲、バイエル106番に取り掛かっている。その後、1ヶ月ほどかかってこの曲を弾き終わった。

 それにしても、その後1年間、新しく弾けた曲のなんと少ないこと。ちゃんと弾けたのは「トルコ行進曲(連弾用)」「半音階のポルカ」の2曲のみ、今弾きかけている「エリーゼのために」を入れても3曲だ。

 以前にもましてますます練習は強化しているのだが・・・。上達度がさながら対数関数状に頭打ちになっていく。

 だがそれでメゲる私ではない。

 時間が私に味方をする。私は時間を味方に付けることができるようになった。困難だったり出来なかったりしたら、時間をかけて何度でもやればよい。

 子供の頃や若い頃は、時間は私の敵だった。永遠の長さに思えるような時間が行く手に横たわっており、それはさながら、地平線の果てに吸い込まれて消える、北海道東部地方の道のように感じられた。歩き始める前に見ただけでため息が出てしまう。嫌なことや出来そうもないことを延々と我慢し続けることは、苦痛以外の何ものでもなかった。

 そんな時はとりあえず目標を無視して歩き始め、そして歩みをやめずに続ければいい。小さい頃から誰でもがウサギとカメのイソップ寓話を聞いて育っているはずだ。ところがどうしたものか、私の周りの大人たちは、やっと歩き始める決意がつきかけた私の前髪をぐいと引っ張り上げ、ムリヤリ目標を見せ付け、そして、「目標のない者などクズだ!」と叫んで、やっとこさつくかつかないかの私の決意の芽を粉砕してしまうのだった。

 今の私は、目標のない者がクズなら、歩き始めていない者はクズ未満、カスかウンコであることを理解している。時間を味方に付けたいなら、前を見ず、足元を良く見て、まず歩き始めてみることだと思っている。遠すぎる目標に嫌気が差すなら、目標なんか持たないことだ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.58

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 休暇が始まったばかりである。

 朝から「エリーゼ」の練習に励んだが、なかなか気に入った演奏はできない。今週は仕事で4日ほど家に帰らなかった。練習できなかったのは、そのたった4日ほどに過ぎないのだが、あっという間に練度が低下してしまう。

 朝からバイエルのおさらいをしつつ23回「エリーゼ」を弾いた。その20回目くらいのがコレ。

 ・・・う~ん・・・3回ほど前のエントリの演奏のほうが、ちょっとマシかなあ?・・・。