白濁液の味わい

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 今日は健康診断を受けた。

 バリウム飲んでひっくり返ったり横を向いたり、噯気(ゲップ)を我慢しつつ、毎年恒例である。私ほどの手慣れた受診者には、もはや噯気の我慢など、なんらの痛痒(つうよう)もなく、整斉粛々淡々(せいせいしゅくしゅくたんたん)たるものである。

 ところで、最近、何を調達するにも公正な取引云々とうるさいようで、職場の健康診断に使うバリウムにも熾烈な競争が働いているのか、このところ銘柄が年々歳々(ねんねんさいさい)違うようだ。

 家畜さながら、次々と効率よく胃検診システム室内に送り込まれる立場、マジョリティにしてその他大勢、給料取りそのものの身であってみれば、バリウムのラベルの文字をしげしげと読んでいるような暇はない。だが、ボトルの形は毎年違うから、調達ごとに違う銘柄であることは素人でもわかる。

 なんといっても、違うのは「味」である。

 今日のバリウムは、ひろやかな伸びの中にも意外なコクと味わいが感じられた。

 しかし、去年の細いボトルのものは、のど越し、なんというか、「コシ」があるというか、飲み応えに重点があった。これは飲み込むごとにズッシリとした、「胃検診を受けるのだなあ」という実感ないし充実が感じられるものであった。

 一昨年のものは、はかない舌触り、やわらかに広がる味わいに、ふと母乳を思わせるような展開が感じられ、さながら「衆生よ、胃検診に幸福を覚えよ」とでもいうような作り手の直情が感じられた。これを調製した製薬会社の社員は、キリスト教徒、なかんづく聖母を崇拝するカトリック教徒だったのではあるまいか。おそらくはワインを飲むにつけても、「聖母の乳(リープフラウミルヒ)」一辺倒だったのであろう。

 もし私に、しげしげとバリウムのラベルを読む暇を与えてくれたなら、「()きバリウム」の蘊蓄(うんちく)をまとめ、一廉(ひとかど)の好事家として名を成すこともあながち夢ではないような気がするのだが、いかんせん、一般ユーザとしてのバリウム味覚はまだまだ未開拓の分野のようで、情報が少ないのが残念である。

 多分、バリウムを作っている製薬会社の人々は、毎日バリウムを味わってはテストをし、より飲みやすい、人々の健康に裨益(ひえき)するようなものをと、日々年々努力怠りないのであろう。毎年のバリウムの味わいの違い、銘柄ごとの差に、医療関係者の一所懸命な姿勢が感じられ、尊敬を覚えるものである。