読書

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 世界教養全集から脱線して、NHK出版の「世界史のリテラシー」シリーズのうちから、「世界史のリテラシー 朝鮮は、いかに『外患』を克服したのか ホンタイジによる丙子の乱」を読んだ。

 日本でいえば徳川家光の時代、(1636前後)に朝鮮が後金~清に服属した経緯と、それがその後現在に至るまで、韓国人・朝鮮人の精神に落としている影までをも含めて書かれた本である。

 意外だったのが、この頃の朝鮮は軍事改革に熱心で、兵書の編纂・出版や、刀槍・弓・銃砲の3種類を巧みに組み合わせた軍隊の整備の他、火縄銃(朝鮮では『鳥銃』)は勿論、大将軍砲や仏狼機(フランキ)砲といった大砲を重視しており、当時支配を受けていた明や、明に代わる清よりも多くの火力を持っていたらしいことである。連想したことだが、この本のテーマの範囲外で、200年くらい後、日本の明治維新前後の1866年、日本における黒船同様、米・仏などに、砲艦で開国を迫られていた朝鮮は、逆に8千人ものキリスト教徒虐殺をもって応じ、報復に来寇した仏艦隊を砲戦で撃退している。(『丙寅洋擾(へいいんようじょう) 병인양요(ピョンイニャンヨ)』事件)この成功で、朝鮮では、開国・維新を迎えつつあった日本について「民族の誇りを忘れた無様な姿」と蔑む思潮が強まったのだそうである。

 さておき、後年そんな調子であった朝鮮でも、幾度にもわたって恫喝と侵略を受けて敗戦、ついに国王仁祖は城外に出され、大清皇帝皇太極(ホンタイジ)に対し「三跪九叩頭の礼」すなわち、文字通り三度ひざまづき、ひざまづく度に三度、計九度、額を地面に着くほど下げて見せるという屈辱的な礼をとらされた。

 また、京城近く、漢江の南にある敗戦の地「三田渡」に今も残る「三田渡碑」(大清皇帝功徳碑)を建立させられ、永久記念させられた。高さ5.7mにも及ぶ巨大な大理石に、朝鮮人自身の手によって敗戦の経緯と皇太極への讃頌が刻まれ、これは今でも韓国人の屈辱の歴史となっているという。

 本書は以上のような「丙子の乱」について、手短にまとめられている。

 勉強になったが、人名が混雑していて、わかりにくかった。突然「誰? この人」と感じざるを得ないような人名がヒョイと出てくるようなところもあるし、「どちらの側の人物なのか」が不明瞭だったりした。段落前後のつながりが分かりづらかったりもする。多分、これは、著者が悪いのではなく、出版側から加えられた編集が拙いのではないかと思う。人名の読みや標記も、漢字とカタカナ、朝鮮音と満州音、日本語読みの漢音が入り混じり、混乱した。また、時系列も章ごとに前後するので、つかみにくい。

 そうはいうものの、当時の朝鮮の事情、また、現在の韓国・北朝鮮でそれがどのように取り扱われているかということについても、非常に勉強になり、理解を新たにすることができた。

投稿者: 佐藤俊夫

 60歳前の爺。技術者。元陸上自衛官。40年勤め上げ、2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者。 セカンドライフはシステムエンジニアになって働いています。

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