エンジニアなし、サーバ老朽化――「青空文庫」を支えるためのアイデアソン開催 – ITmedia ニュース

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http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1505/14/news140.html

 激しくなんらかの協力をしたい欲求にかられるが、今の私にはどうすることもできない。残念だ。

システム移行の膨大な作業、SDNで軽減 品川区がネットワーク基盤を刷新 – ITmedia エンタープライズ

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http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1505/13/news141.html

仁德(にんとく)天皇記

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 日本書紀第十一巻「仁德(にんとく)天皇記」を出勤時の電車の中で、第十二巻「履中天皇・反正天皇記」を帰りの電車の中で読み終わる。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003000420/satotoshioamz-22

 仁德天皇は私の故郷にある「仁德天皇陵」をもってゆかりを感じ、歴代天皇記を読むにつけても、ことさら興味を覚えるところである。

 仁德天皇はその諡号(おくりな)に「仁德」とある通り、仁徳の人である。ある日高台から村々を見下ろしたところ、ひっそりとして炊爨(すいさん)の煙がなかった。人々が貧に窮していることを見て取り、三年間租税を免除した話は良く知られる。無税にしたため、仁德天皇の衣はほころび、当時大阪にあった御所の屋根は破れて雨漏りがした。それでも、役を取らず我慢したと言う。

 三年後、再び高台にのぞんだ。今度は村々に煙が上がり、活気付いていることがわかった。仁德天皇は喜び、そばにいた皇后に、「おお、だいぶ金持ちになったなあ。よかった」と言った。皇后は「あらまあ、こんなにほころびた衣を着て、雨漏りのする家に住んで、貧乏そのものなのに、何がお金持ちなものですか。」

 仁德天皇はすかさず、「おいおい、国民が富めば、帝である私たちも金持ちとイコールじゃないかね」と言ったという。このくだりは古事記もだいたい同じで、たいへん有名な話だ。

 そんな質実剛健の人である反面、「愛の人」でもあって、若い頃からロマンスである。浮気が皇后にバレて別居生活を余儀なくされたり、なにかと「そのへんの亭主」と変わらない妙味もあって、まことに愛すべき天皇と思う。

 私の故郷の仁德天皇稜は、いろいろと考古学説もこれあり、ほんとうに仁德天皇稜かどうかわからない、などと言うようだが、いいではないか、科学は科学、歴史は歴史、仁德天皇稜と言うことにしておけば(笑)。

禁煙所感補遺

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 私が煙草をやめたのは、確か平成12年のことだったか。

 一発でやめることができた。それなりに苦心はしたものの、だがその結果、禁煙の苦労ということを1回こっきりしか経験していないということになる。そんな私だから、人に偉そうに禁煙について語る資格はないかもしれない。

 だが、禁煙について書かれていたりすると、つい反応してしまう。

 "zodi"さんの禁煙に関するブログが「ブログ人情報局」で取り上げられていたときも、もう黙っておれない感じで、コメントなどさせていただいた。

 zodiさんという人は寛容な人だ。私は何を書くにつけてもキツい言葉を選んでしまいがちで、相手にされないこともかなり多いのだが、この人は相手をして下さる。それで、2~3度ほど、コメントをした。zodiさんはいい人だから、多分禁煙も成功するだろう。

 さて、先に記した私の記事からあと、禁煙に関してよく他人に語ることが二つほどある。どちらも、私が自分の肉体と精神を通して感じとったことで、多分よそには書いていないことだと思うので、書きとめておきたい。

  •  脳について

 禁煙した人の多くが「煙草を吸う夢を見る」という。私も実際によく見た。また、周囲の人に聞いても、禁煙に成功した人は煙草を吸う夢を見たと言っている。そして、その旨さについても皆が異口同音に言っている。さすがに、私の場合は今はもう煙草の夢は見ない。

 これは私自身の経験だが、禁煙中に夢の中で吸う煙草のうまさを何かに例えるとすると、誤解を恐れずありのままここに書けば、「夢精」するときに似たうまさなのである。これは男にしかわからないと思うが・・・。

 性的な快感は、人間などの高等な生き物の場合、実は肉体的なものではなく、大脳新皮質の働きが大きくあずかると聞く。夢にしても同じで、大脳の不思議な働きの深奥に大きなかかわりがあることは専門家ならずとも想像はつく。

 「夢の中」の「煙草」が、「非常に強い快感」をともなった、ということは、私の大脳が煙草から極めて強い感作を受けていた、ということではなかろうか。

 煙草の成分に目を転ずる。タールについては吸い味や香りに作用するが、ニコチンというのは、これはつまり、植物性アルカロイドであって、向精神作用をもたらすものだ。

 これらのことは、煙草の向精神作用が私の脳細胞にどれほど深い瑕疵を刻み、壊していたかを物語っている。

  •  血液がらみのこと

 煙草をやめてしばらくの間、頭に血が上ることに悩まされた。顔が火照り、赤くなる。こめかみの辺りがとくとくと脈を打ち、しかも怒りっぽくなっていた。

 煙草を吸っていると赤血球が増える。これは煙草からの一酸化炭素の吸引で足りなくなった酸素を肉体が補おうとするためだ。私は100本からゼロ本にハードランディングでやめたので、おそらくは血液の酸素運搬機能が余り気味になったのだろう。

 だがこれは、3ヶ月ほどで治ったと記憶する。

横浜のリストランテ「Porto faro」、スバラシイぞ。

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 先週カーナビを買ったので、その性能を試しがてら、横浜の「みなとみらい」に遊びに行った。

 今日は梅雨のさなかの、不意の晴れ間でもあったせいか、行楽地へ出かけようという人は少なかったらしく、高速はガラ空き、みなとみらい周辺も実に適度な人出で、駐車場にせよ乗り物にせよ、待つということがなく、楽しく遊ぶことができた。

 前々から見たかった「帆船・日本丸」に入り、じっくりと見た。その向かいの「マリタイムミュージアム」もゆっくり見た。

 で、昼飯時になった。その、「マリタイムミュージアム」の建屋内に「リストランテ ポルトファーロ Ristorante Porto faro」なるイタリア料理店がある。この料理屋さんがすばらしかったので、ここに書いて、ホメちぎりたい。

 私たちはTシャツに運動靴、歩きながら飲んでいたペットボトルの茶を片手に持ち、小学2年と幼稚園年少を連れて、つまり、そう上品とは言えないいでたちで、そのコギレイで静かなリストランテに入った。行楽シーズンではないせいか、客も少なく、すごーく気分がよい。

 「・・・4人なんですが」

 「あ、ご予約をいただいておりましたでしょうか?」

 「いいえしてません」

 「わかりました、どうぞコチラへ」

 ・・・あー、予約が主っていうようなところなんだココは。わー、値段が高かったらどうしよう。なんてことを内心思いながら席に着いたのだが、意外にも持ってきたメニューのランチコースは、980円からである。ほっとしたが、メニューには子供に食わせてちょうどよいほどのものがない。ありゃ、どうしようかなぁ、大人のメニューを子供に分けて食わせようかなぁ、などと、思うか思わないかの丁度よい刹那、中年のフロアマネージャーと思しき男性がサッ!と寄ってきて、

 「お客様、お子さまのメニューなんですけど、ミートソースのスパゲティの一人前を、お子さまに丁度いいくらいに取り分けしますんで。・・・ああ、いえ、ご心配なく。今、厨房で確かめてきましたから。お作りできますよ。」

 わー、マネージャーさんナイスタイミング&Good job!!。サービスいいなあ。メニューに載ってないのに、ちゃんと気を利かせてくれたんだ。しかも厨房にも確認ずみ!!

 で、大人二人は、トマトの冷たいスパゲティと、牛肉入りのあたたかいスパゲティを、それぞれランチメニューセット(サラダとパンつき)で頼んだのだが、そのおいしいこと!!

 ランチのセットに390円足すと、コーヒーとドルチェ盛りがついてくるので、それも頼んだのだが、ジェラートとパウンドケーキ、パンプキンの甘いプディングにこんがり焦がしたカラメルがのってて、それにココアパウダーがサラサラッとまぶしてある。その3品に好きな飲み物が一品ついて、これで390円は安いでしょう。

 子供づれなので、幼稚園年少のチビスケが騒ぎ出したりすると、けっこう周りに気兼ねもして難渋するのだが、フロア係のおねえさんはすごーく子供あしらいがよく、ウチの子にニコニコニコッと愛想よくしてくれて、実に気持ちよくメシが食えた。

 小学2年生の娘がスパゲティを全部食べると、お皿を下げにきたマネージャーのおじさんは、「あら、全部食べたねぇ。えらいねえ」と笑みでほめてくれ、娘もニコニコと機嫌がよい。

 ドルチェ盛りセットは、大人はコーヒーを飲み、ドルチェは子供に食べさせた。だから、一人前190円ほどの計算。

 で、4人でメシ食って、デザート食ってコーヒー飲んで、気分のよいサービスしてもらって、それで3千円ほどだった。

 心に残るサービスだったので、コレを読んでいるヒトがゼヒあの店を使ってくれたら、と思う。

リストランテ・ポルトファーロ
http://r.gnavi.co.jp/g158601/

煙草

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 家を建てる前頃、煙草をやめた。先おととしのことだ。

 約15年間喫った。やめる直前には一日に100本──喫煙に寛容な職場でもあったため──もの煙草を灰にしていた。

 本当に、いい時にやめたと思う。私が煙草をやめたあたりから、喫煙に寛容であった職場の方針が変わり、喫煙者に厳しくなった。しかし、私が煙草をやめたのはそれが理由ではない。単に小遣いが欲しかっただけだ。当時は本代にも事欠いていた。

 なんとかやめることができた。私の主人は私なのだ。

 やめてから、非常に自由になった。禁煙の場所など、つらくもなんともなくなった。また、最初から煙草をやらない人とは違って、そばでプカプカやられたところで別に屁でもない。昨日おとといまで一日に100本も喫っていたわけなんであるから、「もっとどんどん喫ってくれ」とでも言いたいほどである。喫煙場所・禁煙場所、そのどちらもが私にとって非常に自由な場所に変わった。

 煙草を喫っている間、小遣いに不自由していたが──そりゃそうだ、一日に5箱も空にしていたのだ。月に直せば3万円以上。月々、万札3枚に火をつけて灰にしていたわけだ──小遣いに余裕ができた。

 私は体のために煙草をやめたのではない。小遣いが欲しいという不純な理由である。

 やめて2年ほどの間、煙草を喫う夢をよく見た。リアルそのものだった。夢の中の煙草は、これまでに味わったこともないほど旨い。「ああ、なんてウマい煙草だ」と思うと同時に「これでせっかくの禁煙もオジャンだな」と自嘲気味の後悔が苦く胸をつき、それがまた逆に、夢の中の煙草を旨いものにする。目を覚ませば禁煙が破られておらず、ほっとする。

 最近はそんな旨い煙草の夢も見ることがなくなった。

 私の中では煙草は、青春の日々から自分の子供が生まれて育つまでにいたる日々を彩った、なつかしくさえあるたしなみごとになった。また煙草を喫うかもしれない、という不安も、今は既に去った。おそらく生涯煙草を喫うことはないんだろう。

 ……そう思うとすこし残念ですらある。今、私の小物入れの中に、ダビドフの細巻きとローランドのブライヤーパイプとシンクレアのネイビーカットと、JTの「小粋」という刻みの銘柄と、キャメルの両切りがひっそりと眠っている。なぜか、一日に100本も喫っていたキャビンマイルドはその中にはない。

禁煙をしていらっしゃる方のブログ(有名)
やさしい一日