幸せ男

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幸せな男

 私は、自分が幸せな男なのではないかと思う。否、正確な表現ではない。自分が幸せだと思いやすい傾向をもった男なのではなかろうか、……こう表現すると正確かもしれない。

 と、言うのも……。

自衛隊の就職援護

 私は先月、9月30日の金曜日に、陸上自衛隊を定年で辞めた。ちょうど40年と半年勤めた。

 陸自では定年で辞める前に、「御苦労さん」という意味もあろうか、多少の求職期間が設けられ隊長直属の「隊付」となる。隊付というのが正確なのだが、定年前の隊付は特に「付配置」ということが多い。隊付あるいは付配置とはすなわち、自分の隊長の「付」になるということで、これは、隊長以外の命令や指示で私を律することは他の者には全くできなくなるという意味がある。

 つまり「佐藤3佐は定年退職までの間、求職活動に専念せよ」と隊長が命ずれば、他の者に干渉されることが全くなくなる、という意味を持つ。そこで、その期間は年休(自衛隊では有給休暇のことを『年次休暇』と呼び、略して『年休』という)を消化しつつ、隊長の命令によって就職活動をすることが許される。

 自衛隊は他の役所と違い、退職する隊員に対し就職を斡旋することが法律により認められている。そのための専属部署があり、その専属部署以外が就職の斡旋を行うことは禁じられている。反面、この専属部署は職安などと同じ機能と権限を持ち、幅広く求職情報を集めることができる。

 なぜそんなことが自衛隊にだけ認められているのかと言うと、自衛隊では「任期制」と言って下級の者は2年~4年程度で、上級の者でも「若年定年制」と言って54歳~57歳で退職しなければならず、下級も上級も、通常であれば所得が増え始めるところで退職するので生活上の衝撃(インパクト)が極めて大きい上、現在の社会制度では年金の受給開始が通常65歳からだから、それまでの9~11年間、退職自衛官は困窮してしまう理屈になるからだ。

 こうしたことに何の彌縫(びほう)も講じられないと、そんな生活に不安のある職場には先行き志願する者がいなくなってしまう恐れがある。そこで「天下り」の(そし)りがないよう厳格に管理された就職斡旋を、一定の制限の範囲内で受けることができるようになっているのだ。これを「就職援護」略して「援護」という。陸自では同じ発音で「掩護(えんご)」と書くと戦闘上の意味を持っているが、「援護」と書く時には普通この「就職援護」のことを指す。

 ただ、この援護の枠組みで貰える求人は、安くてしんどい仕事が多い。求人を出す側の企業の立場になってみると、陸上自衛隊から

「まだまだ働ける人材が定年で辞めるのですが、求人はありませんか」

と企業さんに持ち掛けてみたところで、企業の採用担当さんがイメージするのは、

「り、陸上自衛隊ですか……?テレビで時々見ますが、迷彩服を着て、顔を真っ黒のまだらに塗って、落下傘を背負って飛び降り、蛇の皮をはいで貪り喰って生き延び、機関銃を乱射して戦車の大砲をぶっ放し、爆薬を仕掛けてものを壊し、ナイフみたいな変な剣で人を刺し殺す練習をしている人たちですよね……?あと、災害地でスコップやつるはしをふるって地面を掘ったりとか……?」

というようなものでしかなく、そこでどうしても、工事現場とか肉体労働とか大型車の運転とか、そういう求人ばかりになってしまう。損保の電話窓口の求人も多い。「陸上自衛官は怒号と絶叫と罵倒と銃声や砲煙の中で鍛えられているので、自動車事故にあった被害者から多少怒鳴られたところで平気だろう」という、そういう期待である。

Amazonの倉庫で働こうとしたが、ボツ

 そんなわけで、私は陸自の援護が持ってくる仕事は敬遠し、自分の好きな仕事を見つけようと思った。これまでと違い、気分を変えて額に汗して黙々と働くような仕事がしたいと思い、Amazonの倉庫係になろうと思い立った。自衛隊と違い、多くの人が使う品物を、毎日黙々と世の中に送り出す仕事だ。給料はハッキリ言って安いが、これこそ体を責めて働く醍醐味ではないか。幸い、私には自衛隊で鍛えた鋼鉄のような肉体がある。付配置になるまでは、毎日朝礼の前に腕立て伏せ100回をこなす膂力(りょりょく)と、朝礼後に腹筋を100回こなす体幹を維持していた。荷物の上げ下ろし如き屁でもない。それに、Amazonの倉庫は、他の日雇いの工事現場や工場とは違って、世界的大企業だから福利厚生や社会保険は法律通りで心配がない。なにより、世の中の人々が必要とする様々な品物を一生懸命送り出す仕事は、とても楽しそうではないか。

 そんな風に考えた私は、求職期間が始まるや、さっそくAmazonの求人ページから自宅近くの川口の倉庫の求人に申し込んだ。必要事項を入力し、送信ボタンをクリック。10秒もせずに返信メールが来た。

「今、この枠は求人してません」

 な、なぬ……。だったらなんで求人リンクが出てて、住所から年齢から入力させンねんッ!最初からフォームに「募集してません」って書いとかんか~イッ!!

 実はその時、既に定年の日が迫っていて、洒落(シャレ)では済まなかった。

 私は前もって、Amazonのホームページには常に求人が出ており、各リンクを送信寸前までクリックしては、いつも受付があるらしいことを確認していた。かつ、求人がなくなると、リンクもなくなることを見て取っていた。私は吉川のAmazonの倉庫で働こうと思っていたが、吉川のリンクは出たり消えたりする。一方、近隣の川口や三郷のリンクはずっと出ている。だから、吉川の倉庫はダメだが、川口や三郷の倉庫にはいつも空きがあり、すぐに採用してもらえるだろうと思って申し込んだのだ。だが、このザマである。

 少し冷や汗が出た。ではというので、同じ川口の品質管理係に申し込んでみた。同じように、10秒もせずに

「今、この枠は求人してません」

 ぬぅ。そこで、三郷の倉庫係に申し込む。

「今、この枠は求人してません」

 駄目押しかい(苦笑)。

 真っ青になった。なんじゃこりゃ。だったらリンク消しとけやアホ。それに、なんで何回も住所やら名前やら入力させんねんボケがッ!

 う~むむ、と意気消沈して求人ページを漁っていたら、ふと目に留まった文字列がある。「新兵募集」とある。ナヌ、新兵募集!?

 クリックしてみると、「Amazonは、各国の軍隊出身者を優遇して採用しています」というようなページが出てきた。ほう、なるほど。Amazonはその草創期に物流網をベトナム帰りの在郷下士官にまかせて整備し今の隆昌の(もとい)を固めた、という話をどこかで読んだことがある。

 その「軍人優遇」のリンクをたどっていくと、三郷の倉庫に「ITインフラエンジニア」の求人と、さっきすげなくはねつけられた倉庫係の求人があった。クリックすると、「履歴書と職務経歴書を送れ」というフォームが出てきた。

 おっ、これはいけるじゃないか!

 喜んだ私は、さっそく履歴書のPDFと職務経歴書のPDFを送信した。しかし、「ITインフラエンジニア」の方は、3日くらい経ってから「あなたは弊社には要りません」という意味の返信が来た。……まあ、そうだろうなあ。

 問題は倉庫係の方だ。10日経っても20日経っても返信が来ない。ついに30日が経った。何の反応もない。

 いよいよ来月には定年だ。このままでは私は「プー」になってしまう。年金受給は65歳からで、それまでにまだ9年もある。このまま無職になるとヤバい。次女の大学はまだ1年残っている。そこまで追い込まれてしまった。

 Amazonの倉庫で働きたかったのはやまやまだが、理由はまるでよくわからないまま、私はAmazonからお前なんか必要ではない、お前なんか()らんと言われてしまったのである。しかも3回も4回もダメ押しみたいに。

結局は別の仕事の幸せ

 ()()の言っておれる場合ではない。(せつ)を曲げ、自衛隊の援護にありのままに事情を言った。担当はすばやく私に合った求人を探し出し、ものの2週間で今の仕事が決まった。業種ないし職種としては第2希望の業種職種なのだが、私には合っている。

 さて、その仕事に通うようになって、2週間ほどたった。こうやって新しい仕事をしていると、「ああ、Amazonに就職するより、コッチのほうがよかったなあ」と、しみじみと思うのである。

 これが、私が自分を「幸せな男だ」と思う所以(ゆえん)だ。私は、自分が及ばず逃したものを、「アッチのほうがよかった」「惜しかった」などとは全然思わないのである。

 子供の頃から他人に負けてばかり、欲しいものを逃がしてばかりだった私は、負けたところで悔しいとも、逃がしたところで惜しいとも、全然思わなくなっていたのだ。勝ち負けも、逃がした魚も、そんなもの、もうどうだっていい。これを退行と言うか進化と呼ぶかは、その人の価値観による。私は自分が進化したと思っている。

 妻と外へ御飯を食べに行くと、妻はメニューにさんざん迷った挙句、来た料理を見て「やっぱりアッチの料理にすればよかったー」などというのだが、私はそんなことが全然ない。いつも迷わずメニューを決め、来た料理が一番気に入り、「やっぱりアレにすればよかった」などと全然思わない。自分の選んだメニューが一番おいしい、とびきりの、おすすめメニューなのに決まっている。

 株の売買で損をしても、「やっぱりああしておけばよかった」などとは全然思わない。そんな株は所詮貧乏株であり、手放して正解だったのだ。今買い持ちしている株が一番いい、儲かる株なのだ。今売り建てしている株は、激下がりする貧乏株に決まっているんだ、だから売り建てして正解なんだ、これが一番儲かるんだ、だからこれが一番なんだ。

 俺の選んだコレが、一番いいんだ、俺の手の中にないアレよりも、今俺の手の中にあるコレが一番いいんだ、コレが最高なんだ、コレのほうがおいしくて、自慢するに足る、俺に最も合ったものなんだ。俺の妻も俺の子供たちも、一番いい家族なんだ。俺の友達は一番いい友達だ。俺の職場が一番いい職場なんだ。アッチじゃなくてコッチなんだ、アレじゃなくてコレなんだ!

……私は私がどういうわけかそういうふうにものを感じ取る男であることを、今更ながら認めて(うなず)いている。

 上に縷々(るる)記したような経緯の末に取り逃がしたAmazonの働き口が、今は全然惜しくもなんともない。今の職場の方がうんといい。

 面白いのは、自分がその渦中にいる最中(さなか)には、私は「私が今いるところは一番いいところだ」と思うのだが、そこを去った途端、「あのしんどいところを離れて、ああ良かった、やれやれだ、ざまあみやがれ」と思うことだ。その昔、陸上自衛隊少年工科学校を卒業した時、周りのみんなは感傷にふけってうれし涙にくれていたが、私はしんどいところから解放されてせいせいし、こんなところ二度と来るか馬鹿野郎、ぐらいの気持ちだった。なのに、少年工科学校にいた間はそんなことは露ほども思わず、幸せに明け暮れしていた。周りの同期生たちは自分が幸せだなどとは思っていないようだったが、私は逆だった。卒業した後、みんなは「あの頃は良かった」と言うが、私はあの頃が良かったなどとは全然思わない。思わないが、「あんな糞のようなところ、思い出すもんか」などと言うと、それは自分と仲間たちを否定することになるからそういうことは言わないし思わないだけだ。旭川の部隊を後にした時も、こんなクソ部隊、金輪際来るか、と思ったが、旭川にいるその最中には、幸せなこの部隊がいちばんいい、好きなあの人をお嫁さんに貰って旭川に永住しようなどと思っていた。兵庫県姫路の連隊を後にした時には、こんなカス駐屯地、二度と来るかと思っていたが、姫路にいる間は、姫路は何ていいところなんだろう、この幸せな部隊に腰を据えてずっといよう、と考えていた。

 40年勤めた自衛隊も、今は「ああ、辞めてせいせいした。スッキリ。あんなところ、もう金輪際つきあいたくもない」というのが正直なところである。全然幸せなんかじゃなかった。今の職場の方が何倍も幸せだ。

 だが、40年もの間、私は自分が幸せな職場にいると思っていた。

後日談

 私は今の会社に就職が決まり、去る令和4年9月30日の金曜日に無事定年を迎えた。その日の朝、携帯電話のメールを見たら、前夜29日にAmazonからメールが来ていた。

 「佐藤様、ご希望の勤務地を伺いたく、ご返信願います」という意味のことが書いてあった。

 ……。

 あのなあ、俺は今日定年やっちゅうねん。もうとうに仕事かって決まってるねん。明日からその仕事をするんじゃわかったか。それが一番エエ仕事やねん。アンタとこに言う希望の勤務地なんかどこにあるかい。ワシは、ワシの今の仕事が一番幸せやねん。自分の手の中にないものなんか、おいしくなくて貧乏でつまらない変なものでしかないねん。それが、俺の幸せなんや。俺にはこれしかないんや。これ以外にないんやから、これが一番ええねん。何を今更、「ご希望の勤務地を」じゃ。死ねボケ。

 しかも、送信した履歴書や職務経歴書を消去する方法は不明だ。なんやねん、この糞Amazonが。

 知るかアホンダラ。

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