リアルな実体験

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 今年は盆休みがなく、巷間に謂う所の、去る「シルバーウィーク」──昔はこのシルバーウィークというのは、11月の連休のことだったように記憶するのだが──も、職場に泊り込みの仕事で、休めなかった。

 そのため、今日からしばらく休暇である。やっと休める。嬉しい。

 平日に玄関先をうろついて、近所の人に仕事をクビになったなどと思われないようにしなければならない。子供の学校があるので、どこかに遊びに行くと言うこともできず、長い休暇も無駄に過ごしてしまいそうだ。

 目下(めした)の独り者に、上のような、『子供の学校があるから、休みの間もなかなか行楽に出かけるというわけにもいかない』というような話のつながりで、子供のことや学校、世間の付き合いのことを何の気なしに喋ったら、すごく不愉快そうに「俺のほうがアンタなんかよりよっぽど広い世界と交流してますよ。趣味があるし、それこそ日本中に知り合いがいるんですよ。町内会程度の狭い付き合いで偉そうにされるなんて不愉快ですね」みたいなことを言われた。

 別にその男の世間が狭いなどとは言った覚えはないのだが、私の話し方に、なにか(うらや)めとでも言いたげな不愉快な調子が含まれていたのだろう。気をつけたいものだ。が、遠慮のない目下(めした)の者と喋るのに、こちらはそんな気遣いと遠慮を()いられるとは、まったく腹立たしい。

 しかし、ネット上の文字列や画像映像、メールアドレスの集合やなんやかやが、「日本中に友達がいる」ことになるなどと思っている者が本当にいるとは、思いもよらなんだ。しかも若者と言うわけではない、分別盛りの大人だ。

 分別盛りの大人のほうが、思い込みが激しいだけに、こういう間違いにはまり込むと逆に抜け出すことは難しいだろう。

 常々、リアルな実体験を積むことが不足している人が増えているように思えて気になっている。こういう人は、想像力が足りないように思う。想像力が足りない人は、よく事故に遭ったり、逆に事故を起こしたりして、人を死亡させたり、騒ぎを起こしたりすることが多いように感じられる。

 つまり、例えば、オートバイに乗るときにヘルメットをかぶらずに乗って、80キロものスピードを出す。こんなスピードで疾走して、仮にハンドル操作を数センチ間違えて転んだ場合、自分の頭蓋骨や肉体がどのようになるかを想像することは、私には難しくない。だが、現実世界でこういうことをする人は、どうもそういう想像力が欠落しているように思う。実はこの例は、私のオリジナルな考えではなく、いつかどこかで読んだものだ。

 私が上の例と推測を半歩進めて考えたのが、上述の「実体験量の不足」だ。

 これもどこかで読んだことだが、ある母親が健康そうな嬰児を小児科に連れてきて、医師にこう言ったそうだ。

「うちの赤ちゃんのおしっこは青くありません。どこか病気なのではないでしょうか」

 よく聞いて見ると、どうも紙おむつのコマーシャルの見過ぎらしい。紙おむつのテレビCMでは、最新テクノロジーを遺憾なく投入したその吸水力を誇示するにあたって、生々しくなるのを防ぐためにコップに入った青い水を製品に注ぎ、手で触ってさらりと乾いているのをアピールするというシーンがよくある。あのCMには、昔小学校のまわりでバイをしていた「かわき砂」を売る香具師の手際を思わせるものがあって、あれはあれでチト胡散臭いものだが、それはさておき。

 泣きじゃくり、ウンコを漏らして異臭を放ち、我儘放題に騒ぎまくるのがリアルな幼児なのだが、多分、そういうリアルな子供時代の実体験の量が少ないと、こういうことを言うようになるのではないだろうか。

 私にとっては、ネットやブログやコンピュータなど、自分の支えというか、リアルな実活動を支えるワキ役みたいなものに過ぎない。

 ・・・いや、どうも自分の言いたいことと文字列がずれてきた。

「難しいコンピュータやネットなど、私はなんの苦労もせず自分のために役立てているんですよ、ですから、こんなものは『ツール』です、『ツール』。わかる?佐藤さんみたいにコンピュータに奉仕しているような、コンピュータが実世界だと思っているような人物とはランクが違うんですよ、へっへっへ」

などと自慢するような人が私の周り、特に目上の者によくおり、そういう下らん人物に私はよくオタク扱いされる。

 私はこういう人種が嫌いだ。だから、本当は「コンピュータやネットなど、私にとってはツールに過ぎん」などということを私自身が言って、自分が嫌うものと同類になるのはいやなのだ。

 私がよくオタク扱いされるのは、多分、相手のコンプレックスを不快に刺激するような空気を私が身にまとっているからだろう。そりゃあ、大学出た人間が、私のような中卒のオッサンにニュートン法の数値解法をしたり顔で教えられれば、腹が立ってオタク扱いのひとつもしたくもなるかもしれない。

 筆に従えばなぜか話がずれる。元に戻すが、mixiなどが自分そのもの、その中の付き合いは本当の友情、などと思い込んでいる人種が、若者だけでなく、大人にまでじわりじわりと広がってきたのは嘆かわしく情けないことだ。こういうものは、リアルな実体験を確実に不足させる。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

「リアルな実体験」への2件のフィードバック

  1. 勤務お疲れ様でした。
    充実した休暇をお過ごしください。
    ネットのお友達でリアルにお友達になれる人もいるので付き合い方しだいかなあ、と思われますが、人と交友範囲を比較することにはあまりいい気分がしませんね。
    人となりは交友範囲の広さとは関係ないですし、交友範囲の広さは地域的分散とも違いますしね。
    確かに生身、というものに対する感覚は大切だと思います。私も気をつけます。

  2. >ゆみ様
     わあ、びっくりした。(笑)
     いやー、コメントいただいたので、あらためて自分のエントリを読み返してみると、これまた、いつもにもましてナニを言いたいのかサッパリわからない冗文、駄文(恥)。
     でも、記念にそのまま載せておきます。ええ、消しませんとも。
     生身の感覚、これですよねえ。私があまりテレビや新聞を見ないようにしているのも、その「『生身感覚』の代表性」に疑問を覚えるようになったからです。
    # とはいうものの、逆に新聞やテレビによって多くの人の生身の感覚が誘導される、という見地からは、私みたいなのもどうなのか、という疑問があるにはあります。
     チナミに、私は友達は少ないです。

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