旅行雑感

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 この29日から30日にかけて、家族で岐阜県の有名な世界遺産「白川郷」から、飛騨高山にかけて一泊旅行をした。

 飛騨高山では「高山陣屋」を見物した。

 蔵の中に常設展示があり、その中に、江戸時代の「鉄砲」の事情が紹介されていた。

 江戸幕府は各藩や諸地方の軍事力を厳しく統制した。特に「鉄砲」に関しては、反乱や蜂起、革命などにつながらないよう、無制限な増備をやめさせ、徹底して管理していた。さもあろう、当時の鉄砲は、今で言う「核兵器」のような、究極の軍事力に属するものであったからだ。徳川体制が確立する前は、驚くなかれ、日本が世界一の鉄砲保有国であったことは、知る人ぞ知るところであるが、それが野放しでは具合が悪い。現代のアメリカが核兵器そのものの威力でもって、奇妙なる哉、逆に世界の軍事力を制限しているように、江戸幕府も、鉄砲でもって国内の軍事力を制限したのである。

 しかし、徳川幕府が鉄砲と言えばなんでもかんでも絶対禁止にしていたかというとそういうことはなく、例えば、山深い飛騨高山では、熊や猪が出て人畜田畑に被害が及ぶことも度々であったから、代官所の厳しい管理の下に、法の制限の下で鉄砲の使用を許していた。

 鉄砲は、すべてが公的資産となっており、高山陣屋ではなんと1千挺を越える鉄砲を管理していた。これらは猟師などの申請に応じて貸与され、貸与には一定の税金を支払う必要があったそうである。単に音を立てて、熊や猪を追い払うための「おどし鉄砲」と呼ばれるものの場合は安い税金で、実際に弾を発射するための鉄砲の貸与には、より高い税金を課したそうである。

 飛騨高山に程近く、世界遺産で有名な「白川郷」がある。「合掌造り」のあの村だ。これも私ははじめて知ったことだが、この白川郷の主産品は、驚くなかれ、火薬であった。当時の火薬は、「塩硝」、すなわち硝酸塩を用いて作られていたが、その製造過程にはアンモニアの精製が必要である。雪深い山村のことであるから、当時はあの合掌造りの古い家々の床下などに糞尿をためていた。これと、もうひとつの主産業である養蚕から出る、蚕の糞をも利用して硝酸塩を生産していたのである。

 白川郷の火薬は高い値段で取引されたようだ。国の重要文化財に指定されている白川郷の「和田家」という大きな合掌造りの家があるが、和田家はこのような火薬の取引のきもいりのようなことを務めた名家であるため、あのような立派な家であるようだ。

 火薬がなければ鉄砲は役に立たない。このため、戦国時代の各大名は火薬の入手に躍起になったものだそうだ。だが、江戸時代の飛騨高山ではこのようなわけで火薬の入手が容易であり、また、多くの鉄砲が庶民に貸し与えられ、よその地方に比べれば幾分鉄砲の使用が容易であった。

 飛騨高山でも、長い歴史の間には、打ちこわしや反乱、一揆もあった。

 ところが、農民たちは、鉄砲が利用可能であったにもかかわらず、一揆には鉄砲を使わなかったそうだ。

 そこに、なんとはない、当時の田舎の日本人の、高い精神を私は感じる。庶民たちは「鉄砲は人に向けてはいけないものだ」と、自制と道徳の心を持っていたのではないか。なんとなくだが、そう思うのだ。

「旅行雑感」への2件のフィードバック

  1. >Agee様
     はじめまして。コメントありがとうございます。
     最近あまり更新しておりませんが、このブログ、書き始めたのが平成14年の1月ですから、もう9年にもなります。自宅の新築のことを書いたのを手始めに、途中からはもっぱらピアノの稽古のことを書くようになりました。
     このところは、春の次女との連弾のために「パッヘルベルのカノン」を稽古していますが、簡単にははかどらず、呻吟しています。
     なんにせよ、ブログも少しづつ書き進めたいと思っていますので、どうかひきつづきよろしくおねがいいたします。

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