口切と茶

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 漫然と歳時記を繰っていたら、「口切」という初冬の季語に行き当たった。茶道家の言葉で、昔は旧暦十月朔、今で言う11月下旬から12月上旬に新しい茶壺の封を切り、これを碾いて茶会に用いたものだそうである。

 そんなことを読み取りつつ、そういえば「お茶を碾く」というと、遊女の人気がもうひとつ出ない状態を言うのだったな、と連想する。遊女は暇になると茶臼を回して、客に出す上がりのために抹茶を碾いたものだそうだ。

 お茶ばかり碾いている遊女のことを「お茶っぴき」、これが訛って「お茶っぴい」という。どんな遊女が「お茶っぴい」になるかというと、よく喋る「口の減らない女」は昔は嫌われたので、どうもお茶ばかり碾くハメになる。それで、大人を言い負かすような小魔っしゃくれた娘を指して「あの娘はどうもお茶っぴいで困る」などと言うようになったそうである。

 これとは別に「お茶目」という言葉がある。「お茶っぴい」と同じような字が使われた似た言葉なので、つながりがあるのかな、となんとなく適当に思い込んでいた。

 ところが、違うそうである。

 「お茶目」のほうは、文楽だとか歌舞伎の方面の、劇の言葉だそうである。おもしろおかしい、少しスケベなような出し物のことを「チャリ」というそうで、「茶利」の字をあてる。これはいわゆる「けれん」とはまた違った感じのことだそうな。

 この「茶利」の味わいがきいているのを「なかなか『茶利め』にできているなあ」「茶目っけがきいている」などと言ったそうで、そこから「あの人はお茶目だ」というふうに使われるようになったという。

 この場合の「茶」は、飲料の茶とはまったく関係のない音字だそうで、「チャチャをいれる」とか「ムチャ」という言葉に「茶」の字を使うのも、飲料とは無関係で、面白おかしい様子を日本語の擬音で抽象的に「チャ」ということが多いからだそうだ。