#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
日: 2018年12月2日
小春
さえずり季題【417】は「小春」です。小春日和、小春空、小春風でも。年末感を少しだけ延ばしてくれるような気がします。いろいろなことが心に押し寄せる頃ですが、ひと呼吸置いて、参りましょう。「月の鏡小春に見るや目正月 芭蕉」 #saezuriha_odai #saezuriha
— boubun (@boubun) November 30, 2018
ボヘミアン・ラプソディ
私は特別にクィーン・ファンというわけではないし、また、クィーンがスターとして脚光を浴びるようになった頃の私は小学校の低学年で、洋楽に耽溺するには幼すぎ、ためにそれほど強い思い入れはない。
だが、私の兄は不良のロック小僧で、ボヘミアン・ラプソディのバラードとオペラの間に挟まる間奏の、♪ミ~レドソー、ミーラ~……というところをしょっちゅうギターで練習していたり、「バイシクル・レース」や「伝説のチャンピオン」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」「ウィー・ウィル・ロック・ユー」などを繰り返し聞いたりしていたから、自然と私もクイーンの曲をいくつも知ることになった。
しかし、そのヤンキーの兄は、成人する前に野垂れ死にしてしまった。
そんな事情のため、間違いなく、他の多くの歌謡曲同様、私の少年時代から青春時代を通じた音の原風景に、こうしたクイーンのいくつもの曲が微音で流れているのである。
映画はフレディ・マーキュリーの一代記とでもいったところだが、彼の生い立ちなどまでが克明に描かれているわけではなく、無名のアマチュア・バンドにフレディが我が身をねじ込み、そしてスターダムにのし上がり、伝説の「ライブ・エイド」に出場するまでを焦点に定めて描いている。
もちろん表題作「ボヘミアン・ラプソディ」の制作秘話や、フレディの性的逸脱、メンバーの不和とそれを乗り越えての団結など、胸の熱くなるようなストーリーの合間合間に、名曲の数々がちりばめられていく。
世間でも話題であるが、映画の最後は「ライブ・エイド」の忠実な再現だ。YouTubeなどであらかじめその動画を見ておくと、あまりにも完璧な再現、モノマネなどというには素晴らし過ぎる映画化に舌を巻くことは間違いない。だが、そういうテクニカルだけではなしに、まるで当時のライブ・エイドの観客としてその渦中に飛び込んだような、いや、それ以上の体験、クィーンの内面、ステージの奥にまで自在に入り込んで、時間を超えた興奮と熱狂の共有をしているような気にさせてくれる、見事な出来栄えであった。
パンフレットとオリジナル・サウンドトラックのCDを買い込んだ。
そのあと、妻と外で晩御飯を食べながら、この映画についてひとしきり語り合ったことであった。