屈託と言う言葉

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 以前、屈託して気晴らしにどこかへ行ったりすると「屈託するとここへよく来る」なぞと書いた。

 最近屈託しているけれど、以前のように「屈託している」と書かなくなった。悔しいとか負けたような気がするとか認めたくないとか、そこまではいかない、だが、なんだか、もやもやとした、ソッチの方向に向いた気持ちがするからだ。

 それに、明らかに屈託しているのに、屈託なんかしていない気もするのだ。

 どちらも本当だ。

 もう、本気で腹の底から怒ろうと思っても怒れないのと同様、芯から悔しいと思おうとしても思えない。まあ、オッサンなんてそんなものだ。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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