天皇と庶民とはどちらも、辞任などという言葉でその責任を回避することのできない「日本人」であった

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山岡荘八「小説太平洋戦争〔2〕」p.95から引用

 私はさきに、山下奉文中将が、この作戦中に一度も笑顔を見せず、絶えず何ものかに向かって怒りをぶつけているようであったと書いた。

 その怒気をふくんだ表情の裏をさぐってゆくと、彼の理想とする軍と、当時の陸軍の間の思想の距離がまざまざと計り出される。

 むろんこれは、どこまでも職業軍人としての陸軍のことであって、民間人としての一般兵隊のことではない。

 一般の兵隊は、前にも記したように、少く((ママ))とも個人的な生活のすべてをなげうってご奉公を考えさせられている。その間には悲しいあきらめや郷愁は存在しても、戦うことがより正しい世界の創造に通ずるであろうということを、疑う余地など全く与えられていなかった。

 その意味では、近衞の新体制以来の東亜共栄圏建設の理念とかけ声は、そのまま彼らに滅私の奉公を強いる、何のかけ値もかけ引きもない(すが)りの綱になっている。日本人の中で、もっとも無邪気に正義の灯をしたって行動したのは天皇と、そして、その愛児であるこれら庶民の兵隊たちであった。

 天皇と庶民とはどちらも、辞任などという言葉でその責任を回避することのできない「日本人」であったからだ……

 この見方と、今上陛下の譲位について並べ論じるというのも面白いだろう。

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