今日のニュースを見て驚かなかった人、喜ばなかった人はあるまい。辻井伸行氏の快挙である。
職場で仕事前のひと時、付けっぱなしになっていたテレビから「ラ・カンパネラ」の調べが流れ出し、なんとはなしにテレビに近づいてみると、このニュースをやっている。
恥ずかしいことだが、私は辻井氏の名前は知らなかったし、そういう人がいるということも知らなかった。全盲のピアニストといえば梯剛之氏が有名で、この人はテレビなどで知っていたのだが、辻井氏の名前は今日はじめて聞いた。
映像を見てびっくりである。全盲とかなんとかいうようなことは、この際どうでもいい。その調べ、音、演奏の雰囲気、これである。テレビを通してのほんのさわりですらそうなのだから、もしナマで聞いたらどんなことになるのか想像もつかぬ。
目が見えないのに、どうやって鍵盤を叩くんでしょうかと思ったけれど、これはたぶん素人の浅はかさ。目の見える人でも、名手は、いちいち鍵盤を見て叩いてないですよね。体とピアノが一つになっている名手にとって、目がみえるとか、見えないとかは、二の次なんでしょうね。
>>パパ様
こんばんは。コメントありがとうございます。
今日のニュースで、指導している上音の教授のコメントがありましたが、
「辻井氏は手先にまるで目があるかのようだ。盲目のピアニストは幾人かいるが、どの人もオクターブを飛ぶようなときに一瞬指で鍵盤のどこかに触れ、そこから目的の音を探す。ところが辻井氏にはそれがない。一発で上から目的の音を弾く」
・・・と言っています。
長年氏を指導している先生の言葉であり、その人自身も高名なピアニストですが、私は、そうは思いません。手先に目があるなどとはまったく辻井氏には残念であろう言葉だと思うのです。
辻井氏の正確な打鍵は、訓練に次ぐ訓練、努力に次ぐ努力、死に物狂いの練磨、物心両面のあらゆるリソースをそこに集中した尊い結果であると思うのです。
才能とかひらめきとか言う一瞬のもの、自分で努力して勝ち得たものでないもので他人に勝った、などと決め付ける事は、辻井氏には不本意なもので、もしかしたら侮辱かもしれません。いわんや手先に目がついているなどとは、めがね違いかもしれない、などと思うのです。
「いいなァ~、頭がよくて」などと他人に言われて腹を立てたことが私にはあります。(パパ様にもそんなご経験はありませんか?)
しかしそれにしても、私など凡人というものは、どうしてこうも、辻井氏のすばらしい音色と演奏、精神に聞き入ることができず、「盲目なのにすごい」と、そこばかり見てしまうのでしょう。ホンモノを見る感性を、どうやったら磨くことが出来るのか、考え込んでしまう一夕です。