恵方巻もクリスマスケーキも全部一緒

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 節分である。

 毎年毎年恵方巻が大量に廃棄されることは話題になるのに、更にもっと捨てられているであろうクリスマスケーキとかハロウィーンの生菓子のことなど欠片ほども話題にならないのはどうしたことか。

 というより、日本人は口が驕るようになり、節分であろうと春彼岸であろうと雛祭りであろうとゴールデンウィークであろうと子どもの日であろうと、はたまた、夏休みであろうと秋彼岸であろうと大晦日であろうと正月であろうと、なんだかんだと理由をつけて嫌いなものを汚ならしく食べ残し、酷く醜く捨ててしまうような民族になり果ててしまった、ということと、キリスト教はよくて和風はダメ、みたいな風潮に腹が立つ話と、ビジネスマンはすぐに損失とか経済とかなんとか言いたがるよな、食い物が勿体ないという気分の問題の話にさ、というような話が綯い交ぜとなって、もはや、逆になんだか面白い。

節分

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 節分豆で一杯。お気に入りの備前風の酒器で。

旧暦問わず語り

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 節分も立春も過ぎた。歳時記のカバーを掛け換え、角川文庫版の「春」の巻を鞄に入れる。

 さて、次は正月だ。

 ……などと書くと、「ハァ!?正月?アホかお前は」なぞと言われそうだが、今私が触れようとした正月は「本物のほうの正月」、すなわち旧正月のことである。

 今年の旧正月は2月19日の木曜日だ。大晦日はその前日で2月18日。

「へえ!。じゃ、昔の節分とか立春は、もっと先なの?」

……それが、違うんですよ。節分や立春は、たとえ旧暦に直しても全く動かず、昨日、一昨日(今年の場合で2月3日・4日、旧暦十二月十五日・十六日)なんですよ。

「それだったら、昔は年の暮れに節分や立春があったの?」

 ええ、たまに、ね。というか、年によっていろいろと……。

「そんなのおかしいじゃん」

 ええ、おかしいですよ。

「変なの。旧暦とか馬鹿みたい。めんどくさい、アンタだけ勝手にやってれば。旧暦とか言ってるから江戸幕府は倒れたんだし、戦争にも負けたんだし、グローバルなんだし、国際競争に負ける原因なんだし、日本語みたいな非合理な言葉なんか全部やめて英語で会議しようよ(ry」

 ええい、やかましいわこの似非日本人めが!!ゆかしい古来の習慣を全否定しおってからに、貴様らのような輩がいるから日本はダメになるのだ!!消えてしまえ!

……し、しまった興奮してしまった。落ち着け佐藤。いや、消えてしまえなぞという前言はたった1秒で撤回しますですごめんなさいw。

 昔の人は、日にちを月の満ち欠けで知っていた。「なんで最初から太陽にしなかったんだよ」と思う方は、自分が文字も知らず、カレンダーも何もない僻村で農業をしている民衆だと想像しよう。日にちの二三日のずれはともかく、だいたい今日がいつ頃か、ということを知るのに、空を見上げるとおあつらえ向きに毎日形が変わる月がある。月の満ち欠けは日々変わるから、空にカレンダーがかかっているようなものなのであり、人々にとってはこのほうが便利だったのである。太陽の高さは日々少しづつしか変わらないから、精密な測定具でも作れるならともかく、太陽で日にちを知ることは民衆には不便なのだ。

 だがしかし、月の満ち欠けは地球の公転周期とは一致しないから、少しずつずれていってしまう。民衆が日にちを知って何をしたいかと言うと「田植えをいつしようか」「種をいつまこうか」ということだ。これが大きくずれると、農作物の収入に影響が及ぶ。

 そこで、月の満ち欠けで知る暦のほかに、これを補助するために太陽高度をもとにした基準も設けることとなった。節分や立春、雨水・啓蟄・彼岸と言った「二十四節季及び雑節」と言われるものがそれだ。これは中国から輸入した考え方をもとに日本風のアレンジを施したものだ。その定め方は日本でも千年以上前からほとんど変わらないので、今も昔も同じである。また、月の満ち欠けと地球公転周期のズレについては、月の満ち欠けをもとにした暦のほうに「うるう月」を設けて定期的にそのずれを補正した。去年の旧九月が九月と閏九月の2回あり、「後の月」の月見が2回できたことをご記憶の方も多いと思う。

 ただ、これを求めることは無知蒙昧な一般民衆にはむずかしい。そこで、そういうことは、「陰陽寮(おんみょうりょう)」という役所で陰陽師(おんみょうじ)が計算して求め、発表していた。実はこの陰陽寮、遠く飛鳥時代から、なんと明治初年頃まで朝廷にあり、もっとも永続した役所の一つであった。

 陰陽師はそういうれっきとした天文学者集団だったのだが、太陽高度や月の満ち欠けを関連させる計算は昔の人にはチンプンカンプンの難しい作業だから、一般の人が陰陽師のすることを見るとまるで怪しげな魔術か何かに見えたであろうことは想像に難くない。そういうところから陰陽師にまつわるさまざまな怪奇伝説や超能力伝説が生まれたのではないかと私は思っている。

 月食がいつくるかなどということは陰陽師には計算で分かっているわけだが、それをあたかも「見よ!これから私が月を隠してくれる!どりゃああ!」と言って九字を切って印を結んで祈祷したら月が欠けだした、なぞという子供だましなど、いたずらでやって見せたかも知れない。何も知らない庶民はさぞかしびっくりして、「安倍の清明(せいめい)様は超能力者じゃああ」と驚いてひれ伏したことだろう。

 さておき、このように、旧暦と二十四節季は昔から併存しており、かつ、一致しないことは上のとおりだ。では、立春や節分のあとに正月が来る件は、昔の人はどうしていたのだろう。

 これが、「どうもしていない」のである。皆さんも年賀状に「謹んで新春のお慶びを申し上げます」なぞと書くでしょう。私なんか子供の頃、「なんでこのクソ寒いさなかに『新春』なんだよバカじゃねぇのか」なぞと思ったものだが、これは旧暦・旧正月の名残である。昔の正月はもう梅も咲こうかという頃おい、立春の前後の新月の日だったわけだから、実際に早春なのであった。そして、年によっては今年のように立春の後に正月が来るのだ。(ちなみに、去年の旧正月は新1月31日で、節分と立春は今年と同じ2月3日と4日だから、正月の後に立春になっている。)

 豆まきを暮れにやるかどうか、というのは、これは地方にもよるものの、江戸時代以前には古式ばった追儺式も含め、ほぼ歳末ごろの行事と位置づけられていたようだ。

 なんにせよ、今日は旧暦十二月十七日で、月は望から少し欠けたところだ。下弦の半月はちょうど来週の木曜、そこから毎夜、空を見上げておればやがて月が完全に欠けきる。そうして真っ暗になったらそれが(ついたち・さく)で、旧正月だ。