読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の二つ目、「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を帰りの通勤電車の中、草加と新越谷の間の辺りで読み終わった。

 この書は司馬遷とその著書「史記」について徹底的に語るものである。が、しかし、その著述態度たるや、何が著者をしてかく著さしめたのかと推し量るに、それは司馬遷と「史記」への徹底的な愛、それも偏愛ともいうべき熱の如きものであると見てよいのではないか。私など、読んでいて史記や司馬遷の解説に納得するのではなく、(むし)ろ著者自身のことを心配してしまった。昔の本であり、著者は45年前に既に亡くなっているのだが、本書執筆時若かったであろう著者に、「そんなに熱中していると体を壊してしまうよ」と心配してやりたくなったのだ。そういう本である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「史記の世界 ――司馬遷」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.183より

私は史記的世界の、「世家」並立状態について、瞑想にふける時、星体の運行する宇宙を想い浮かべることが多い。それはE・A・ポウの「ユリイカ」を連想するからであろう。「拡散」「放出」「活動様式」(modusoperandi)みな「ユリイカ」で使用されている言葉である。

p.191より

 陳渉については、誰でも知っている言葉がある。「燕雀、いずくんぞ、鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。」 若くして小作人となり、畠を耕しながら、仲間の百姓に向かって彼が言った一句である。

言葉
突兀

 「突兀(とっこつ)」と読む。「(こつ)」と言う字は「い」を送って「(たか)い」と()ませ、故に「突兀」とは高く(そび)え、抜きん出ていることを言う。

  •  突兀(コトバンク)
  •  (モジナビ)
下線太字は佐藤俊夫による。p.175より

「史記」全篇を通じて見ても、女が主体をなした章は、ほとんどない。しかるに、ここに突兀として「呂后本紀」がある。

 画数が多くて見(づら)いが、拡大すれば「讎」である。「(あだ)」と訓む。「仇」とだいたい同じと思ってよい。「復讐」の「讐」と言う字と構成物が大体同じであるところから、この意味が通じる。したがって送り仮名をつけて「(むく)いる」などとも訓む。

  •  (モジナビ)
ルビは佐藤俊夫による。p.182より

()()(しょ)(こう)()の臣となって楚地深く侵入し「平王の(かばね)(むちう)ち、以て父のを報いた」のは前述の通りである。

 引き続き第18巻を読む。今度は「敦煌物語」(松岡譲著)である。