引き続き内田百閒の「阿房列車」、通勤列車の楽しみに、少しづつ読む。「特別阿房列車」「区間阿房列車」「鹿児島阿房列車」「東北本線阿房列車」と、半分ぐらいまで読み進み、この後、「奥羽本線阿房列車 前章・後章」「雪中新潟阿房列車」「春光山陽特別阿房列車」と続く。
百閒大先生はその昔の阿房列車に悠然と、私は現代の鮨詰め通勤列車に齷齪と、……というのもなんだか皮肉で、却って面白いと思う。
古い本だから、結構知らない語彙が多く、その都度書き留めておくなどしている。
どの言葉も、何の気取りも衒いもなく、当然のように、かつ飄然と使われており、これがまた、世の中の人が内田百閒を「大先生」と呼ぶ所以なのであろう。
阿房列車に出てくる言葉
交趾
人のあだ名で、「交趾君」として出てくる。百閒大先生は、登場人物の名前を全部「ワシの中ではこう呼んでいる」風の、トボケたあだ名に変えて記しており、長い付き合いの教え子の相棒(実際には平山三郎と言う文筆家らしい)の名前は終始一貫「ヒマラヤ山系」で、しまいには面倒臭くなって「山系」と呼び捨てである。平山君だから「ヒマラヤ」とは、なんだか平山氏が可哀想になってしまうが、そこが尊大な百閒大先生と頭の上がらぬ教え子との味のある掛け合いに繋がっていて、いいのである。
さてこの「交趾」、言葉としてはいわゆる「仏印」、フランス統治時代のベトナム一帯のことで、戦前は「交趾国」「交趾」「交趾支那」などと言っていたようだ。
百閒大先生の事だから、相手がベトナム人みたいな濃い顔をしているとか、戦時中に仏印方面へ出征していたとか、そんな理由で交趾君などとあだ名をつけていたのだろう。
諸彦
これは「諸君」と同じ意味と考えてよい。それにしてもしかし、「彦」と書いて「ゲン」と読むとは、全く知らなかった。「彦」という漢字には「立派な男性」という意味があるので、なるほど、「諸彦」というのは大変尊敬した、しかも気取った言い方なのである。
曾遊の地
「曽遊」とも書く。これは読んで字のごとく、「曾て遊んだ地」ということで、以前に行ったことがあるというほどの意味だ。
昧爽
明け方の仄暗い時分、黎明、薄明のあたりのことを言う。「昧旦」とも言う。
馬糞紙
これは、聞き覚えのある言葉ではあったが、現代では死語だ。改めて調べてみると、「藁を漉いた厚紙」とあり、昔の段ボールの原料である。また、薄く漉くとこれが「藁半紙」で、昔「ザラ紙」「更紙」と呼んでいたものは全てこれであった。小学校のテストの問題なんかは、藁半紙と決まっていたもので、工作の材料などは勿論この「馬糞紙」である。
しかしそれにしても、名付けるに事欠いて「馬糞紙」とは、なんとも下品だったなあ、とは思う。