読書

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 図書館に行った。

 いつぞやの芥川賞受賞作、「(ちち)(らん)」がたまたま通りかかった棚にあったので、ふと手に取った。パラッと(めく)ってみたら、

「乳と卵」(川上未映子、文芸春秋)p.1から引用

〇 卵子というのは卵細胞って名前で呼ぶのがほんとうで、ならばなぜ子、という字がつくのか、っていうのは、精子、という言葉にあわせて子、をつけてるだけなのです。

……と書き出された1行目から、なんだか()き付けられてしまった。

 借り出して読んだ。

 持て余す、かなぐり捨てたい、というような極端なところまではいかないものの、だがしかしけっこう面倒くさい女という自分自身の入れ物と、しかし、ある意味いとおしく、どうにか付き合っていく、自分と入れ物を切り離すことなんて、いわんやどれかを捨てることなんて、どうせできやしないんだから、……というような諦念すら漂う、かと言って真っ向から(あきら)めているわけでもない、そういう小説だな、と思った。

 入れ物が女でなくたって、オッサンでもちんこでも、なんだって、人間の入れ物は面倒くさい、とも思った。変な共感の仕方だろうか。

 併載の「あなたたちの恋愛は瀕死」は、ピリッと変な、それでいてどこかしら哀愁と痛みとが漂うのに、ギャグ漫画のようなおかしみも同居しているという短編佳作だった。多分、最後のシーンをギャグ漫画だと言ったら、その痛み悲しみ苦しみにかかって、ギャグ漫画だなどとはなんだ、と叱られるのかもしれない。その意味からも、本当に恋愛は既に瀕死である。

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