読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集、全38巻のうち、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」を読んでいる。

 4つ目の「信仰への苦悶」(J・リヴィエール Jacques Rivière 、P・クローデル Paul Claudel 著、木村太郎訳)を行きの通勤電車の中で読み終わった。

 この本は、あるファンレターが詩人ポール・クローデルのもとへ送られてきたことから始まる。

 クローデルはフランスの外交官だが、詩人としての声名が高く、数々の名作を残している。だが、その姉が「分別盛り」などの彫刻作品で知られる天才彫刻家、かのロダンの愛人にして弟子、カミーユ・クローデルであると知ると、この方が知る人は多いかもしれない。

 ファンレターの送り主は、後年評論家として名を成すジャック・リヴィエールであった。彼はこの時若干20歳、一方ファンレターを送り付けられたリヴィエールは38歳の不惑近い年である。そんな酸いも甘いも噛み分けたような、年上の有名詩人に、ずけずけと正直に、しかも取り留めなく、今のTwitterなどでの作者と読者のやり取りで言えば「何この粘着野郎」とでもいうような、グダグダしたファンレターをクローデルに送り付け、多分「勝手に」であろうけれどもクローデル作品の評論を雑誌に書いたり、随分失礼なファンである。

 ところが、クローデルはこの変なファンに真摯に向き合い、敬虔なカトリック信者らしく寛容と落ち着きのある返信を(したた)めた。その書簡往来は何年にもわたって続き、クローデルはリヴィエールの変な苦悩に年上らしい助言を与え、(あまつさ)え就職の面倒まで見てやっている。

 往復書簡の内容は主としてキリスト教、就中(なかんづく)カトリック信仰に関するリヴィエールの苦悩の吐露と、それへのクローデルの励ましや助言から成っているが、それを除いても、上のような両者の関係性、書簡を通じて結ばれる深い付き合い、年齢差を超えた友情がとても興味深いものであった。

言葉
セプティシスム

 Scepticism。懐疑主義・懐疑論のことである。「ドグマ(基本的原理)に対する挑戦」というふうな理解でだいたい合っていると思う。

平凡社世界教養全集第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、「信仰への苦悶」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
下線太字とルビは佐藤俊夫による。p.449より

私をルナンやグールモンの方へ追いやることが、どんなに間違っているか知っていただけたら! グールモン、あの憐れむべき生理学者の方へ! おそらく私は、セプティシスムの外見によって、そうした同一視の口実を与えたのでしょう。しかし私のセプティシスムは情熱的で、盲目で、緊張しています。

 

アデステ

 讃美歌中の一曲である。

p.490(訳者木村太郎による解説)より

涙と嗚咽がきた。そしてアデステのあの優しい歌声が私の感動をいやがうえにも深めた。

 次は五つ目、第9巻最後の収載作「後世への最大遺物」(内村鑑三著)である。

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