読書

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 引き続き世界教養全集を読む。第25巻の二つ目、アンドレ・ジイド André Gide「一粒の麦もし死なずば Si le grain ne meurt」(堀口大學訳)を休日のファミレスで寿司なぞ(つま)みながら読み終わった。

 子供の頃、一昨年亡くなった母に(すす)められて(めく)ってみたことがある。母は「これはエエ本よ」と言ったのだが、小学生の私にはつまらなく、何ページかで放り出してしまった。ジイドが幼い頃の遊び友達で、ムートンと呼ばれていた少年の目が見えなくなった、というあたりで読むのをやめたのだったか。

 本書はジイドの自慰(オナニー)三昧(ざんまい)男色(ホモ)耽溺の日々を彼自身が赤裸々に(つづ)った作品なのだが、(ひるがえ)って、私の母はなんでそんなものを小学生だった私に薦めなどしたのだろう。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第25巻「一粒の麦もし死なずば」より引用。他の<blockquote>タグ同じ。p.155より

半分もう盲目になっていることとて、これらのご婦人たちは、教会の入口へくるまでは、道で遭ってもわかりはしないのだが、さて、自分たちのベンチに腰かけると、すっかりうれしくなって、喜びの言葉だの、答えだの質問だのがみんないっしょくたになり、はしゃぎきって一風変わった合唱(コーラス)を始めるのだが、おたがいに金聾(かなつんぼう)なので、相手のいうことは皆目聞こえず、ただ彼女たちの声だけが、迷惑がる牧師さんの声の上におっかぶさって、しばらくは鳴りやまない。ある人々は、腹のたつのをようやく、彼女たちの夫の思い出によって我慢した、また他のより寛容な人々はおもしろがって眺めていた。子供たちは声をたてて笑った。僕はいくぶん恥ずかしい気持で、祖母のそばへはなるべく腰かけないようにしていた。この小喜劇は、日曜ごとにくり返されたが、これ以上グロテスクなものも、またこれ以上いたましいものも、想像しにくい。

p.176より

これに比べると、ヤマメ釣りには、なんと多くの術策を必要とすることか! 自家(うち)の老森林番の甥のテオドミイルが、僕がずっと幼少のころから、(いと)の仕かけから、(えさ)のつけかたまですべてを伝授してくれたのだった。なにしろヤマメという奴は、食いしん坊なくせに、類例のないほど用心深い魚だ。もちろん僕は、浮子(うき)も鉛もなしで釣った。案山子(かがし)の役にしかたたないこれらの素人だましの道具は軽蔑して。そのかわり僕は「フロランスてぐす」を使った。これはカイコの腺をつむいだものでいくぶん水色がかってはいるが、水中ではほとんど見えないという長所があり、それでいてマスほど重い溝渠(みぞ)のヤマメを釣り上げても切れないくらい強いのだ。

p.320より

僕のAmor Fati(宿命説)に対する信念は、こうまで深いので、僕は、他の出来事、他の解決が自分には有利であったかもしれないと考えることさえが不快なのだ。

p.344より

僕はあのとき、ある国民の、ある国家の、空想的な歴史を書こうと計画したのだった。それは戦争だの、革命だの、政体変更などの、代表的な出来事のある歴史だった。それぞれの国の歴史は、どの国の歴史とも似ていないとは言うものの、僕は、そのなかから、どの国の歴史にも共通な線を描いてやろうと自負していた。僕は、英雄だの、君主だの、政治家だの、芸術家だのを創造するつもりだった。

同じく

こうまでして、いったいなにを立証するためかというに、人間の歴史は、別なものでもありえたはずだ、僕らの慣例も、風俗も、習慣も、趣味も、法典も、美の基準も、別なものになっているはずだ――しかもそれでいて人間的であったはずだといいたかったのだ。

p.351より

 スウスに、僕らは七日しか滞留しなかった。単調な日日、陰気な快癒を待ちもうける背景のうえに、それでも一つのエピソードはあった、しかもそれが僕の心に与えた影響は、かなりのものだった。それをここに物語ることがみだらな以上に、それを語らずにすますことは虚偽だろう。

p.353より

彼は、のんきで、くだらないものをおもしろがり、自分の幸福は誇張し、自分の苦労は、夢と希望と、心酔のうちに忘れ去る愛すべき能力をもっていた。アラビア人たちが、芸術的才分はもちながら、芸術品はほんのわずかしか制作しなかったのは、彼らが自分たちの喜びを蓄積しようとしないからだと理解するに、彼は大いに僕の役に立ってくれた。

言葉
絽刺

 絽刺(ろざし)とは、刺繍のことである。本当は和風の刺繍技法らしいが、多分訳者堀口大學が翻訳に格調と面白味を加えるために使ったのだろう。

下線太字は佐藤俊夫による。以降も同じ。p.157より

 事実また、僕には、祖母の興味をひくものはもうこの世にはないはずのように思われた。それでも、僕らがユゼェスへいくたびに、絽刺(ろざし)か書物を手にして、彼女のそばへきて腰かける僕の母に対する親切のつもりだろうが、祖母は記憶をしぼって、十五分めに一つくらいの割合で、ようやくノルマンディーの僕らの従兄弟(いとこ)の名を思い出して尋ねるのだ、
「ウィドマーの(うち)ではどうしていますか?」

歔欷

 これで「すすりなき」と()む。音読みなら「きょき」である。

 歔欷(きょき)と音読みするならば、この言葉は本全集第5巻収録、亀井勝一郎「大和古寺風物詩」にも出てきている。

p.249より

さすがに最初の晩は、ラ・ロックのあの大広間で、僕の母とアンナの心づくしの接待ぶりにもかかわらず、すっかり滅入ってしまって、歔欷(すすりなき)を始めるしまつだった。

湑酒

 「したみ」と訓む。飲み残しの酒のことである。「湑」には「したたる」その他の意味がある。

p.250より

それからその先の、大樽の間を流れる風の、いくぶん(かび)の混じったような湑酒(したみ)の匂い。

ドレーフュス事件

 当時フランスを騒がせた冤罪事件で、ドレーフュスという大尉がユダヤ人であることから秘密漏洩の罪を着せられ、名誉剥奪の上投獄されたというものだ。真犯人が明らかになったが、ドレーフュスの名誉は回復されなかった。

p.252より

R……氏はもと国会議員だった。もし彼がドレーフュス事件の際、自党に反対して投票したあの堂々たる勇気を欠いてさえいたら、氏は終生国会議員たりえたはずの人だ(氏は右翼政党に属していた)。

面とりガラス

 普通のガラス窓とは違い、四周が水晶やダイアモンドのように斜めにカットされているもののことである。

彼女の居間へいく途中、面とりガラスの子窓越しに、鎧戸をしめきった、二つの華美なサロンが、垣間見られる。

ダンテル

 本文中では「ブルマースの裾のダンテル」という風に使われている。「ブルマース」は女の下履きの、昔の「提灯ブルマー」のようなものと思えばよかろう。「ダンテル」は着物の端や縁の、レースなどでできたひらひらした飾りのことだ。レースそのもののこともダンテルという。

彼女は、着物と同じ布地でできたブルマースの裾のダンテルに届くほど深い靴をはいた小さな片足をのぞかせるため、わざと伊達(だて)に脚を組み合わせた。

 次はアルバート・シュヴァイツァー Albert Schweitzer「水と原生林のあいだで――赤道アフリカの原生林における一医師の体験と観察の記録―― Zwischen Wasser und Urwald: Erlebnisse und Beobachtungen eines Arztes im Urwalde – Äquatorialafrikas」(和村光訳)である。読んだこともなく、内容に想像もつかない。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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