妄想・究極破壊兵器

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友人何某(なにがし)  オイ、佐藤、日本人はほとんどが親戚らしいぞ。

佐藤  (はじまりやがったぜ、また……) なにをまた阿呆(アホ)なことを。俺とお前は他人だろが。

何某  馬鹿、だからお前は思慮が浅いってんだよ。俺とお前は親戚だ。

佐藤  やめろよ、気色の悪い。

何某  いいから話を聞かんか。……いいか、お前の実の親は何人だ。

佐藤  そりゃあ、二人に決まってるだろ。

何某  おじいさん、おばあさんは何人だ。

佐藤  母方父方、合わせて4人だな。

何某  ひいおじいさん、ひいおばあさんは。

佐藤  そりゃ、8人だろ。

何某  さらにその上は。

佐藤  (しつこいな、コイツ)16人じゃねえか。

何某  数式で言ってみろ。

佐藤  決まってらァ、2の(べき)(じょう)、「x=2^n」だろ。

何某  おっ、そういうところだけは回転がいいな。ご名答。

佐藤  「だけは」は余計だ、「だけは」は。……何が言いたい。

何某  何代(さかのぼ)るかってのが、この際の「n」だろ。

佐藤  うん。

何某  それでだ、自分から30代遡ると、何人の御先祖がいると思う。

佐藤  (チッ、俺が計算できねえと思ってンな、コイツ) えーっと、……10億7千万チョイ、てとこだな。

何某  えっ……お前、なんで答え知ってンだ。

佐藤  お前の謎かけの答えなんか知らねえよ。今計算したんだよ。

何某  計算だと?馬鹿のお前に「2の30乗」なんて暗算が、そんなに早くできるわけがねえだろ。

佐藤  うるさい、うるさい。……馬鹿は馬鹿でも、こう見えて俺は経済産業大臣お墨付きの情報処理技術者だってことを忘れるンじゃねえよ。「2のn乗」ってのはな、コンピュータのビット数とそれで表せる数と同じなんだよ。

何某  ほほう……。

佐藤  2代遡って4人、3代遡って8人、4代遡って16人、ってのは、2ビットで表せる数が4個、3ビットで8個、4ビットで16個、てのと同じ意味だ。

何某  なるほど。

佐藤  8ビットは256、16ビットは65,536。……じゃ、今度は俺が聞く番だぜ。32ビット、65,536 × 65,536、つまり「65,536^2」はいくらだ、言ってみろ。

何某  えっ、ええっと……。

佐藤  42億9496万7296だ(ドヤァアアアア)

何某  は、速いな。

佐藤  違ェよ。覚えてるんだよ。こう見えて技術者だからな。語呂合わせがあるんだよ、「(4)(29)(4)(9)(6)(72)(9)(6)」ってな。

何某  ははあ、なるほど。……って、ちょっと待てや、俺の質問は「30代前のご先祖の人数」だぞ。「32代前」じゃねえ。お前の計算は32代前のご先祖の数じゃねえか。

佐藤  だから、説明を最後まで聞かんか。いいか、このビット数ってのは2進数ってことだ。2進数は、桁を一個左へずらすと2倍になるんだ。逆に一個右へずらすと半分、\dfrac{1}{2}になる。2個ずらすとそれぞれ4倍、\dfrac{1}{4}になる。

何某  ふむふむ。

佐藤  32代前でざっくり43億人、そうすると、一つ右へずらした31代前は半分の21億5千万人、もう一つずらした30代前は更に半分の10億7500万人、って理屈だ。

何某  なるほど、流石は長年コンピュータばっかり(いじく)ってただけのことはあるな。

佐藤  だろ。……って、「ばっかり」は余計だ、「ばっかり」は。……ん? ちょっと待て、何某。一人の人間の先祖が10億人て、なんだか変だな。

何某  おう。そこのところだ。昔の寿命の短さなんかも考慮して、1世代が子供を産み終わるのが平均30歳くらいだとするだろ。そうすると、30代前のご先祖っていうと、30年×30代で、900年くらい前の鎌倉時代頃までいくわけだ。

佐藤  うんうん。

何某  ところが、あらゆる研究を(ひも)()いても、鎌倉時代の日本の人口は1千万人くらいしかないんだそうだ。

佐藤  そうすると、現代人1人につき10億人のご先祖なんて、ありえないよな。

何某  そのとおりだ。これはな、どんなに他人に見えても、どこかの時点で、しかも複数の時点で、共通の先祖がいるのでないと計算が合わない。

佐藤  ははあ。

何某  つまりだ、大概の親は何人かの子を産む、どこかで二人の先祖の下に生まれた兄弟姉妹がいて、それが末広がりに現代人につながっているのでなければ計算は合わんのだ。俺とお前は他人のように見えるだけで、相当高い確率でどこかに共通の先祖がある理屈になる。

佐藤  なるほどなあ。しかし、お前と親戚ってのは気持ちが悪いから縁を切ろうぜ。

何某  やかましいわ。……ところで佐藤、さっきの32ビットの話は俺も知らなかったが、今はWindowsだって何だって、「64ビット」とか言ってるじゃねえか。64ビットではどれくらいの数が表せるんだ?

佐藤  おっと、それは俺も覚えてはおらんな。こういう時はスマホでGoogle先生に聞くかな。えーっと、(ポチポチ)へぇ、「18,446,744,073,709,551,616」だってよ。

何某  どれどれ、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……。うおっ、ざっと1,845京か。……「京」ってスーパーコンピュータがあるが、それを連想するなあ。

佐藤  ほんとだな。……おお、今、この「1845京」って数字と、「2のn乗」の話をしていて、以前どこかで聞いた、「新聞紙を何回も折る」っていうネタを思い出した。……それをもとに、今ちょっと思いついたんだがな。

何某  何だ、何だ。

佐藤  「紙を何回も折る」っていうネタなんだけどな。

何某  ふむふむ。

(佐藤、そばにあったプリンターから紙を一つかみ取り出す)

佐藤  この紙な。A4の中質紙だが、これを10枚数えて、と。

何某  それをどうする。

佐藤  ……こうして、厚みを定規で測るだろ。……うーん、1mm弱、ギリギリ1mmいかないな。0.9mmってところだな。

何某  そんなもんかな。1枚だと0.09mmか。

佐藤  そうだな。で、さ、この1枚を、こうして二つに折るだろ。

何某  おう。

佐藤  そうすると厚みは0.18mm。もう一回折る。そうすると厚みは0.36mmだろ。

何某  ああ、なるほど。「0.09(mm) \times 2^n」ってことか。

佐藤  そうそう。……もう1回折る。さらにもう1回。ぬぅ、折りにくくなってきたな……くう、7回目になると、もう指力の限界だな、こりゃ。

何某  ハハハ、俺、それ、前に「トリビアの泉」で見たことがあるぜ。どんな紙でも8回折るのが限界なんだってさ。体育館みたいなところに巨大な紙を敷いて、それをクレーンみたいなもので吊り下げて折ってたけど、それでもギリギリ8回だって。

佐藤  なるほど、そうか。A4の紙をこうして手の力で折るのは、せいぜい7回が限界だな。……この紙、指で押さえてるから、定規で厚さを測ってみてくれ。

何某  おう。……1センチちょい、1.2cmくらいだな。

佐藤  ああ、だいたい計算は合うんじゃねえか。IT屋の世界では、2の7乗は「イチニッパ」って言って、128だから、0.09かける128なら、だいたいそんなモンだろ。電卓で出すと、えーっと、11.52mmだな。

何某  なんというか、普通ぅ~、だな。

佐藤  まあな。実際の紙はこうやって7回折るのがせいぜい、てことだが、一種の頭の体操でさ、「何回でも折ることができる不思議な魔法のA4中質紙」があると思ってくれよ。架空の紙だ。

何某  うんうん。

佐藤  これをな、さっきの「64ビット」の話に絡めてだな、「紙を64回折りたたんだらどうなるか」って話だよ。

何某  ……さっき、たしか「1,845京」とか言ってたよな。

佐藤  そう、それ。0.09mmかける1,845京、だ。なんか、計算する前から凄そうだぞ。

何某  おおう、ちょっと俺にも計算させろ。スマホの電卓なら何でもできるからな。

佐藤  おお、やってみてくれ。

何某  えーっと、アレか、桁が多いから、まず10の16乗、それに1845をかける、それに0.09をかける。……これでいいんだな?

佐藤  ああ、そんな感じだ。

何某  ぐは、なんじゃこりゃ。1.6605 E 18、か。

佐藤  ああ、1.6605かける10の18乗、だな、それは。

何某  えーっと、ミリメートル単位だから、メートルに直すのは1000で割る、キロメートルに直すのは更に1000で割る……というか、アレだな、ゼロが6つ減る理屈だから、「18乗」を「12乗」にすればいいだけだよな。

佐藤  ご名算だね。

何某  10の12乗は、いち、じゅう、ひゃく、せん……1兆か。1兆かける1.6605、てことは、アレか、1兆6千605億!?

佐藤  ぐは……キロメートル単位だよな、これ。

何某  1兆キロって、何キロだ、それ。

佐藤  まてよ、あれじゃないか、月ぐらいまで行くんじゃないか?……Google大先生、月までの距離はいくらですか(スマホをポチポチ) うっ!

何某  どうだ。

佐藤  月なんて近い近い。月までは「38万キロメートル」だってよ。「A4の紙折ったやつ」の足元にも及ばん。ケタが違うぞ。

何某  うーん、1兆キロってのは、あれじゃないか、冥王星あたりまでの距離なんじゃないか。どれ、俺もGoogle大先生に、と(スマホをポチポチ) げっ!

佐藤  どうした。

何某  地球から冥王星までは75億~42億8千万キロメートルだそうだ。これも1兆6605億キロメートルに達するA4の紙とは、雲泥の差どころか、まるでケタが違うぞ!

佐藤  こうなったらアレはどうだ、たしか一番近い恒星がアルファ・ケンタウリだっけ、あれならどうだ?(スマホをポチポチ)……あ、さすがにそこまではいかんな。アルファ・ケンタウリまでは約40兆2336億キロメートルだってよ。

何某  しかし佐藤よ、A4の紙を64回折ると、隣の恒星まではいかないにしても、太陽系を脱出することは間違いないな。

佐藤  うん、間違いない。……いや、待てよ。

何某  どうした。

佐藤  仮想の話なんだがな。

何某  ああ、仮想な。お前は妄想狂だからな、正直に妄想って言え。

佐藤  やかましいわ!……これ、さ。まあ、紙を1回折るのに、ちゃっちゃとやって、1秒はかからんとするだろ。

何某  おう、そうだな。

佐藤  1秒に1回紙を折る、それを64回繰り返すわけだ。だから64回折るのにかかる時間は64秒、1分ちょいだ。実際には無理にもせよ、な。

何某  うん、お前の妄想だもんな。

佐藤  妄想言うなッ。……それはそれとして、63回折って、最後の1秒で64回目を折る時にさ、その紙の厚みの増加スピードは、1兆6605億キロメートルの半分ってことになるから、秒速8千300億キロメートル、ってことになるぞ。

何某  秒速8千300億キロ!!うーん、これはひょっとして……佐藤、光速ってナンボだ。

佐藤  おうよ!Google大先生、光速はナンボですか(スマホをポチポチ)

何某  どうなった!?

佐藤  スゲェぞ。光速は秒速30万キロメートルだから、A4の中質紙を折った奴は、光速をはるかに超えている!!

何某  A4スゲェ。……おい、待てよ佐藤。A4の紙1枚は、ごく軽いペラペラのものだが、さすがにスピードが光速を超えると、なんだかものすごいエネルギーがこもっていそうだな。

佐藤  たしかに。

何某  エネルギーって、どういうふうに出すんだっけ?

佐藤  ああ、たしかこれは、アレだ、「ジュール」で出すんじゃないか?えーっと、ジュールの式は、E = \dfrac{1}{2} \cdot M \cdot V^2だな。質量と速度の自乗の積の半分、これがジュール、単位は質量がキログラム、速度は秒速メートル、1ジュールは100グラムのものを1m持ち上げることができる力、とこうなる。

何某  さすが佐藤、じゃなくて、Google先生だな。……佐藤よ、大の大人が、GoogleとかWikipediaの棒読み、そろそろやめろよな。

佐藤  やかましい、お前だっていつもそうだろうが。……えーっと、それで、A4の紙を1秒に1回折りたたむとする、机に紙を置いて、紙の片方を右から左へ持ち上げて、ペタッと折りたたむよな。

何某  そうだな。

佐藤  紙の端っこのところは、半円を描いて折りたたまれていく。64回目にたたむときは、紙の正面のサイズなんかもう問題にならなくて、厚みが焦点だ、だから、半径8千300億キロメートル×円周率、ということで、電卓をはじくと……紙の端っこのスピードは秒速2兆6062億キロメートルに達するな。

何某  現実味のない妄想数値がどんどんはじき出されていくな。

佐藤  ……でも、紙の折り目のところのスピードはゼロだから、折りたたまれる半分の部分の平均スピードは、中心部分をとると秒速1兆3031億キロメートルということになるかなあ。

何某  そうするとアレか、エネルギーを調べるのに必要なものは、あとは紙の重さだけか。

佐藤  そうだな。

何某  よし、今度は俺がGoogle大先生に聞いてやる。(ポチポチ……)5グラムだそうだ。

佐藤  そうか、よし、半分に折りたたむ片側が問題だから、2.5グラムだな。えーっと、2.5グラム×1兆3031億の自乗、それを2で割って、キロメートルとキログラムのゼロの個数に気を付けて単位を揃えて、と。(電卓をポチポチ) 出た。

何某  どうだ!?

佐藤  こりゃ、凄い。「自乗」のところが効いてる。

何某  ほほう!

佐藤  いいか、読むぞ、いち、じゅう、ひゃく、せん……えーっと、「2125(じょ)2706(がい)2531京4500兆ジュール」だ。

(注 (じょ)は正しくはのぎへん)

何某  ジョとかガイとか、聞いたこともない数詞だな。日常生活では絶対に出てこないぞ。

佐藤  この数字を聞いても、かえって尺度感が掴めんな。

何某  それもそうだな。あれだ、ここは素直に2.12527 \times 10^{27}ジュール、って表現したほうがわかりやすいな。

佐藤  おう、それだ。このエネルギーがいかほどのモンか、これもGoogle大先生に聞いてみよう。ぽちぽち、っと……。

何某  どうだ。

佐藤  おお、旧ソ連が建造した、最凶最悪の超巨大水爆「ツァーリ・ボンバ」の話が出てきた。

何某  ああ、俺もそれ、知ってるぜ。威力100メガトンの水爆だ。その昔、昭和36年(1961)の秋、戦略爆撃機「ツポレフ95改」に乗っけて、ノバヤゼムリャで爆撃実験を敢行したな。

佐藤  そう、危険すぎるからってんで威力を半分の50メガトンに減らして爆発させたんだ。

何某  それでも衝撃波が地球を3周回って、はるか極東の果て、東京の地震計にさえ何回も記録された、っていう。凄まじい奴だ。

佐藤  そう、それ。……さておき、あれだそうだ、TNT換算のキロトン、メガトンをジュールに直すには、1キロトンごとに4.2 \times 10^{12}ジュールだそうだ。これでツァーリ・ボンバのエネルギーを計算すると(ポチポチ……) ぬぅ。

何某  どうなった。

佐藤  2.1 \times 10^{17}ジュールと出た。

何某  待てよ、「A4中質紙折りたたんだやつ」のエネルギーは2.12527 \times 10^{27}ジュールだったよな。

佐藤  そうだなあ。

何某  ツァーリ・ボンバのほうが10桁くらい弱いじゃねえか。ボンバちゃん、カワイイもんだな、紙に負けるとは。ベイビーだろ、これじゃ。

佐藤  うーむ。A4中質紙が世界最凶最悪の超巨大水爆をはるかに凌駕するとは……

何某  恐るべし、A4中質紙。

佐藤  まったくだ。

何某  もうちょっとエネルギーの強いものを探そう。今度は俺が探してやる。(スマホをポチポチ) おお、出てきた。

佐藤  何が出てきた。

何某  今度はいけるだろう。「太陽」のエネルギーが出てきた。

佐藤  おおう、どれくらいだ。

何某  えーっと、太陽が宇宙に向かって放出するエネルギーは、1秒間で3.827 \times 10^{26}ジュールだそうだぞ。

佐藤  おっ、強いなこれは。……って、おい、「A4の紙たたんだやつ」より、ちょっぴり弱いんじゃないか。

何某  あっ、ほんとだ、27乗と26乗で、ひと桁違うわ。……えーっと、桁を合わせて、ざっくり、21÷3.8だから、電卓のキーをこう入れると…… あれか、A4中質紙のエネルギーは、太陽5.5個分か!

佐藤  太陽5.5個分、て、お前、「レモン5.5個分のビタミンC」じゃねえんだから。紙に負けるって、太陽もナメられたもんだよなあ。

何某  つまり佐藤よ、俺とお前が喧嘩して、俺が「くそう、目にもの見せてくれる」ってなって、憤怒の形相でA4の紙をたたみ出したら、お前は少なくとも太陽系の外へ逃げ出さにゃならんぞ。

佐藤  あれか、64秒後に、最悪太陽5.5個分のエネルギーが些細なきっかけで放出されて、地球は消し飛ぶというわけか。

何某  世界最恐男・米国大統領も真っ青で逃げ出すな。しかも、ICBMは発射から着弾に数十分かかるし、潜水艦発射のSLBMだって数分はかかる。その点、64秒ですむA4の中質紙は、ICBMやSLBMよりも素早い。

佐藤  これは、現在の核抑止ドクトリンを塗り替える、国家安全保障上の重大問題だぞ。

何某  究極破壊兵器「A4中質紙」ここに爆誕だ!

佐藤  まったくだ。よし、世界の現状を力によって変更するため、今から二人で紙を折るぞ!

何某  よしきた、世界征服どころか、太陽系征服だ!

(二人、せっせと紙を折る。わずか8秒後)

何某  佐藤、ダメだな。

佐藤  ……うん。必死で頑張っても、7回以上はどうしても折れん。

何某  そもそも、64回折りたたまれた紙が太陽5.5個分のエネルギーを秘めるなら、逆に紙を64回折りたたむのには、一番最後の64回目だけでさえ、最低でも太陽5.5個分のエネルギーを注ぎこまなきゃ折れん、ってことだもんな。

佐藤  だよなあ。……ふん、何が究極兵器爆誕、だ、この馬鹿。

何某  なんだと、この阿呆。

佐藤  阿呆言うなっ。畜生め。

何某  畜生とはなんだ、糞が!

佐藤  かすッ!

何某  ウジ虫ッ!

佐藤  出歯亀!

何某  おのれ、ひょっとこ! ぬぅ、今この場で、A4の紙を64回折ってやる、さっさと太陽系の外へ逃げちまえ、見てろよ!

フォン・ブラウン略伝

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 フォン・ブラウン――正しくはヴェルナー・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル・フォン・ブラウン Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun という名前だそうだ――はロケットの父として有名だ。少年時代からロケットづくりに打ち込み、ついには人類を月面にまで送り込んだ稀代の技術者である。

 その人生は劇的で、記すに余りある。

 フォン・ブラウンは、明治45年(1912)、プロイセンの男爵家に貴族の子として生まれた。

 少年時代はガラクタを収集してはこれにロケットを取り付けてぶっ飛ばすという、世界中の多くの男性が身に覚えのある、工学少年を地で行く子であった。廃品置き場から自動車の壊れたのをくすね、これに火薬ロケットを取り付けて点火、爆走するガラクタは八百屋の店先に飛び込んで騒ぎになり、賠償だの父の仕置きだの、大変な少年時代だったという。

 その一方で、堅信礼(コンファメーション)(子供の宗教的な節目で、無理に例えるなら七五三とでも思えばよかろうか)のプレゼントに貰った天体望遠鏡で星を眺めては、宇宙に思いを馳せる思惟的な一面のある少年でもあった。

 算数が苦手な彼だったが、中学生の頃、「惑星空間へのロケット」という本に出合う。この本に載っている方程式を理解できなかった彼は、教師の勧めに従い、一転、数学に打ち込むようになった。はじめ「数学不良点」の評価であったにもかかわらず、1年間一心不乱に数学に打ち込んだ結果、教師の代役で数学の授業を受け持つまでに至った。

 勉強の甲斐あって学校を繰り上げ卒業したフォン・ブラウンであった。第1次大戦の敗戦後の復興期にあたるこの頃、ドイツにはSF小説などの影響で一種の「ロケット・ブーム」が到来しており、「ドイツ宇宙旅行協会」なる団体が結成されていた。「ロケット」という雑誌がこの協会から発行され、人々の夢をかき立て、実際に小さなロケットを組み立てて発射することが行われていた。これは今の「メイキング・ムーブメント」にも少し似ている。

 フォン・ブラウンはまだ高校生なのにこの協会に入会し、級友たちを糾合して手作りの天文台を建設するなど、活発な青春時代を送った。この頃、ある公開実験の説明スピーチで、彼が「皆さんが生きている間に、人間が月面で仕事をするのを見ることができるでしょう」と言ったとする記録があるという。

 ところが、不況のため、こうした趣味のことはあまり自由にはいかなくなっていった。日本でいえば昭和ひと桁、1930年頃のことである。この頃、フォン・ブラウンは周囲に「もう、陸軍の援助を貰うしかないかな……」と漏らしている。すでに戦争の世紀なかば、世界のいかなる国も、莫大な予算を使えるのは軍隊のみであった。

 不況のために学費もままならず、貧乏学生となった彼は、それでも余暇のすべてをロケットづくりに打ち込んでいた。いつの日か、幼い頃からの確信、宇宙旅行を実現するためである。

 貧しいため、学費を稼ぐのにタクシーの運転手をするようになった彼は、ある日声高にロケット談義をする二人の客を拾う。客どうしの論議についくちばしをさしはさんだフォン・ブラウンだったが、この客たちこそ、リッター・フォン・ホルスティヒ大佐と、ヴァルター・ドルンベルガー大尉の二人で、陸軍のロケット開発の中心人物たちであった。

 「君、明日、参謀本部へ来て、ちょっと話を聞かせてくれないか」

 運命の出会いである。

 フォン・ブラウンの話を聞いたドルンベルガー大尉は、彼の上司のカール・ベッカー大佐を連れて協会を訪ねてきた。軍と宇宙旅行の利害は急速にその辻褄を整えていった。

 この頃、ドイツは敗戦による厭戦気分の只中にあった。「軍隊の援助など……」と、宇宙旅行協会の人々が軍との関係を嫌うのは当然である。今の日本でも、あらゆる科学技術は軍事への応用を嫌う。この頃の敗戦ドイツもそれは同じだ。ところが、フォン・ブラウンは決然として軍と手を結ぶ。20歳の若者のことだ。夢のためなら思想的な頓着などどうでもよかったのであろう。

 はじめ難航し、陸軍も渋い顔をしたロケット開発だが、フォン・ブラウンの熱情は怯まず、何度目かのロケット実験はついに成功した。A-2と呼ばれるこのロケットの成功で、陸軍から多くの予算を引き出すに至る。昭和10年(1935)頃のことだ。

 こうして貧乏なロケットマニアの学生は、一躍ドイツ陸軍の隠し財産となったばかりか、空軍からも注目され、破格の予算が与えられたのである。フォン・ブラウンは、水を得た魚のようにロケット開発にいそしむことができるようになった。

 フォン・ブラウンの母、エミーからヒントを得て、後世知られる僻村「ペーネミュンデ村」というところに、ドイツのロケット開発の本拠が設けられた。

 しかし、彼の思いと戦争は表裏一体である。軍の目的は兵器を開発することであり、宇宙旅行とは違う。彼もまた時代の子であり、古今未曽有の兵器「弾道ミサイル」の開発に自分の夢を仮託せざるを得なかった。

 科学技術に優れたドイツは、大戦前・大戦中を通じて、驚くべき技術開発を行っている。既にテレビ放送があり、お料理番組などが放映されていた他、街頭公衆テレビ電話などという信じられない物までベルリンの街なかにはあった。電子顕微鏡も既にこの頃ドイツで作られている。もちろん、軍でも今日(こんにち)の地対空ミサイルの原型など、多くのものを開発していた。さまざまな無人兵器も開発されていたが、その中の一つに、今日(こんにち)の「巡航ミサイル」のさきがけ、「V1」がある。

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米国アラバマ州ハンツビルに展示されているV1号

 V1は無人の有翼機で、パルスジェットエンジンにより時速600kmで飛行する。対気速度を積分して飛行距離を測定し、敵国の上空に達したと判断するや、自動的に落下して、1トン近く積んだ多量の爆薬により大被害をもたらす。

 古今未曽有の新兵器ではあったが、無人で、自律式、慣性誘導のいわゆる「打ち放し」方式であるため、敵の戦闘機に迎撃されてしまうことが防げない。多くのV1はイギリスの名戦闘機「スピットファイア」に追撃され、あるいは高射機関砲による対空砲火で撃墜された。

 ところが、ロケットにはこうした欠点がない。ロケットは垂直に打ち上げれば、戦闘機などが追及可能な高度をたちどころに突破し、上空数万メートルの宇宙空間にまで達することができる。自由弾道をもって落下し、再び戦闘機や高射砲が効力を持つ大気圏内に入って来た時には、その速度は音速の数倍から十数倍にまで達し、空気との摩擦によって赤熱しつつ、落下音よりも先に地表に達して炸裂する。これを巧みに制御して敵地に落下させれば、度を外れた高速のため、火器によっても戦闘機によっても迎撃は不可能である。

 これが「弾道ミサイル Ballistic Missile」の本質だ。現代においてなお、安全保障上私たちを悩ませる弾道ミサイルの脅威は、すでにしてこの頃、科学技術に優れたドイツと、夢に憑かれたフォン・ブラウンによって構想・実現されていたのであった。

 しかもなお、当時は「加農(カノン)砲」と言われる大砲が長射程火力の主流であり、この砲はベルサイユ条約によってドイツには保有数に制限がかけられていた。だが、条約には、その頃存在しなかった兵器である「ミサイル」については触れられていない。つまり、ロケットによる長射程火力は、条約の抜け道でもあり、陸軍にとって都合がよかったのである。

 なればこそ、ドイツ陸軍はフォン・ブラウンの開発するロケットに大いに期待した。

 昭和17年(1942)に発射に成功したロケットは高度8万5千メートルに達し、190キロメートル彼方のバルト海に狙い通り落下した。電波誘導システムを備え、液体酸素冷却装置、ターボポンプなど、近代的ロケットが備えるべきすべてを備えていた。

 少しばかり成功した技術には、虫のように権力者が群がる。武装親衛隊や空軍が群がってきて、彼の技術獲得のための駆け引きが始まった。とうとう、どうにもならぬ成り行きのどさくさに巻き込まれ、フォン・ブラウンはゲシュタポに逮捕され、収容所に放り込まれるという憂き目まで見た。しかし、この危機は、大尉から順調に少将にまで栄進していたドルンベルガーの働きによって回避され、なんとか釈放された。ドルンベルガーは陸軍の高官筋から党に働きかけ、ついにはヒトラーの口添えまでとることに成功し、フォン・ブラウンを釈放させたという。

 こうして、フォン・ブラウンの手によって完成された必殺兵器、世界初の弾道ミサイル「V2」はイギリスを襲い、大被害をもたらした。一説に、1万人を超える死者があったと言われる。あの戦争中のことだから、数字の上では東京大空襲や原爆の比ではないが、現代の9.11同時多発テロ事件の死傷者数と比べれば大変な人命が損なわれているということは間違いなく言える。

 しかし、これはフォン・ブラウンの本意ではなかったことも、後世よく喧伝されるところだ。彼曰く「ロケット・システムは完璧に作動した。しかし、間違った惑星に落下した」と。

 新型兵器を用いた優れた戦術も、誤った戦略に振り回されれば畢竟(ひっきょう)戦勝には寄与しない。このような未曽有の兵器をもってしてもドイツの敗色を拭い去ることは不可能であった。歴史のとおりドイツは敗北し、フォン・ブラウンは自らの去就を選ばねばならなくなった。

 彼は知恵を巡らせ、ソ連ではなくアメリカに投降するというシナリオを作って実行した。きわどい行動で、彼が500人ものロケット技術者と、疎開・隠匿した膨大な技術資料を引っ提げて米軍に投降したことも知られるところであるが、実際にアメリカに渡ることができたのは100人を超える程度であったという。

 あっさりとアメリカに投降したフォン・ブラウンは、変節を(なじ)られるのもものかは、彼が有するロケット技術が何を可能にするかを供述調書にしたため、嬉々として提出している。いずれ人工衛星も、月旅行も火星旅行も実現する、それが如何に人類を進歩させるか。……何、軍事技術への応用?そんなものは、惑星旅行のおまけにいくらでもこぼれ落ちる、くだらん枝葉末節だ、私の言う事を信じておとなしく待っておればよろしい、……と。

 だが、戦後というのは簡単なものではない。大戦争が終わった後のアメリカも、軍事に金をつぎ込む余裕はなく、フォン・ブラウンの夢も一時は遠のいた。しかも、フォン・ブラウンもまた、現代の日本で見られるように、ナチスに苦しめられた人々に対して責任を負い、しかるべく賠償を負担すべしとの論に、長い間苦しめられた。一つ一つの難詰(なんきつ)に、また彼も、時間を割いて一つ一つ応えていかなければならなかった。

 朝鮮戦争が始まり、宇宙旅行につながる大出力のロケットよりも、中射程の精度の良いミサイルが求められた。「レッドストーン」と呼ばれるこのミサイルを開発するため、フォン・ブラウンは彼のチームとともに、後世知られることになるアラバマ州ハンツビルに引っ越した。

 当時のハンツビルは、「アメリカの哈尔滨(ハルビン)」みたいなところだ。大戦中は「レッドストーン兵器廠」と呼ばれる広大な軍用地で毒ガス製造が行われていた。南部の寂れた田舎町だ。

 ここで開発された弾道ミサイル、「レッドストーン・ロケット」は、電波誘導を持たず、ジャイロを使った完全な「打ち放し」の慣性誘導ミサイルである。射程約300キロ強、核弾頭を搭載できた。

 次いで、予算不足にもめげず、ロケットを多段化し「ジュピターC」として順次発展させ、大気圏再突入による高温加熱の問題を「アブレーション技術」により解決した。アブレーション技術とは、熱に頑固に抵抗するのではなく、保護材を計算の上で少しずつ溶損させ、これによりかえって内部の重要物を熱から守ろうとするものだ。この技術で一挙に2000キロメートル近い射程が実現された。

 勿論、思うに任せぬ障害もあった。この頃、アメリカのロケット開発は、陸・海・空軍がそれぞれバラバラに行っており、似たようなものを複数の予算で冗長に開発していた。フォン・ブラウンは陸軍所属であったから、海軍・空軍の軍事力整備も図らねばならない国防総省の采配に悩まされることもあった。同時にそれは、アメリカ全体の宇宙開発の足枷でもあった。

 こうした内部牽制で曲折するうち、敵国ソ連が着々と宇宙に布石を始めた。

 アメリカの宇宙開発情報は基本的に公開され、ソ連もその状況をつぶさに入手可能である。しかし逆は違い、ソ連は手の内を簡単には明かさない。

 鉄のカーテンで閉ざされたソ連の宇宙開発状況がどのようになっているのか、アメリカにはよくわからぬうち、突如、怪電波と地球軌道を周回するその発信源の詳細がソ連から発表されたのだ。人工衛星スプートニク1号の成功がそれである。昭和32年(1957年)のことだ。

 後世よく知られるとおり、これは「スプートニク・ショック」と言われる一種のパニックをアメリカに引き起こした。不倶戴天の敵、共産主義者の巣窟、ソビエト連邦は、好きな時にいつでも、迎撃不可能な大陸間弾道弾によって、アメリカ合衆国の頭上に、史上最悪の巨大水爆「ツァーリ・ボンバ(Царь-бомба)」を叩き込む自由を得た、というのと、地球軌道をぐるぐる回るスプートニクの存在は、技術的には(ほぼ)等義だからである。ヒロシマ・ナガサキの惨劇を見るのは、次はニューヨークかワシントンか、というわけである。

 こうしたことも動機となり、ソ連への対抗意識から、次第にアメリカの宇宙開発は一枚岩になっていった。無論その中核に、フォン・ブラウンはいた。

 先行するスプートニクに目にもの見せんと猛追を開始したフォン・ブラウンたちではあったが、走り出しは拙速に過ぎた。大急ぎでとにかく打ち上げた「ヴァンガード1号」は、数センチも飛ばずに地上で爆轟、四散した。

 ロケットが火を吹いた途端、発射がうまくいったと勘違いしたアナウンサーが、「アメリカの誇る人工衛星第一号、美しい打ち上げです。目に見えぬほどの速さで宇宙に向かって飛んでいきました!」と実況中継してしまった、という笑い話が伝わる。地上で爆発炎上してしまったロケットが目に見えるわけがないのは当然だが、今でも「人工衛星・光明星1号」などと称して北朝鮮当局が似たようなことを言っているのを思い起こしてしまう。

 昭和33年(1958年)の年明け、フォン・ブラウンたちのチームはようやく「ジュノーI」と呼ばれるロケットにより人工衛星を軌道に投入することに成功した。成功してから、この衛星は「エクスプローラー1号」と名付けられた。

 陸・海・空軍がそれぞれ勝手にロケットを作っては飛ばすという無駄の多い宇宙開発を集約・一本化し、今も知られる「NASA」が新編されたのもこの年である。そして、この次の年(昭和34年(1959年))、ドイツ・ペーネミュンデ村以来の同志を含むフォン・ブラウンたちのチームは、丸ごと陸軍からNASAに移籍することが決まったのであった。ドイツからやってきたのは100人前後であったが、この頃には5000人近い強力な集団に膨れ上がっていた。陸軍としては「陸軍の国防予算を使いつぶすこの連中」が出て行ってくれてせいせいした、などという話もあったようだ。

 それまでフォン・ブラウンは、建前の上では「陸軍のミサイルを開発し、技術の余力をもって宇宙旅行の研究も黙認される」という立場でしかなかったが、NASAは軍と密接な関係を保つとは言うものの、非軍事の宇宙開発の中心だ。ついにフォン・ブラウンは堂々と胸を張って、少年時代からの確信、「宇宙旅行」を追及していける立場を得たのである。そして、引き続き使われることになったアラバマ州ハンツビルの彼らの本拠地は、新たに名将軍ジョージ・マーシャルの名をとって「マーシャル宇宙飛行センター」と名付けられた。そのセンター長は、もちろんフォン・ブラウンである。

 だが、それから数年の間、アメリカは常にソ連の後塵を拝しつづけた。月に探査機を最初に到達させたのはソ連である。ソ連は悠々として月の裏側に探査船「ルナ3号」を送り込み、人類がいまだ一度も見たことのなかった月の裏側の写真を撮って全世界に発表した。ついには「ルナ9号」を月面に軟着陸させ、月面のパノラマ写真を撮ってみせた。この間、フォン・ブラウンたちのロケットは失敗続きで、爆発炎上ばかりしていたのである。どれほど悔しかったか思いやられる。

 それでも、フォン・ブラウンたちはじりじりと間を詰めていった。

 有人宇宙飛行を行い、その延長として月へ人間を送り込む。この過程を()むことはもはやアメリカとソ連の、言外の競争コースとなっていた。

 ケネディが大統領になったのは、昭和36年(1961年)のことである。この頃、フォン・ブラウンたちは有人宇宙飛行に向けて着々と研究を積み重ね、宇宙飛行士を訓練し、準備を行っていた。

 そこへ突如、またしても宿敵・ソ連の驚天動地の成果がニュースとなって世界を飛び回る。

「赤軍中尉ユーリ・ガガーリン、有人宇宙飛行船ボストーク号に搭乗し、地球を一周、無事帰還」

 また出し抜かれたのだ。もちろん、フォン・ブラウンたちも黙ってはおらず、すぐに、(かね)て訓練済みの宇宙飛行士アラン・シェパードを、実績があり安定しているレッドストーン・ロケットに搭乗させて打ち上げ、弾道飛行の後、無事帰還させている。しかし、「打ち上げて落ちてきただけ」の弾道飛行と、地球周回軌道を一周することでは、その意義は大きく異なる。如何にせん、ソ連との差はこれでは覆うべくもない。

 この事態が若い大統領の尻を痛烈に殴打したため、かの有名な施政方針演説がなされたのである。「10年以内に人間を月に立たせる。カネに糸目はつけぬ」と。

 これを受け、ついにフォン・ブラウンは、その人生最大の作品、人間を月に送り込むための超巨大・超強力ロケット、「サターン」の建造に着手することを得たのである。

 フォン・ブラウンはサターンを「I」「IB」「V」と順次進歩させた。最終型のサターンV型は、高さ100メートルを超えるロケットであり、I型の2倍の高さ、6倍の重さを持っていた。運搬能力に至っては10倍に達し、129トンを地球軌道に投入する能力があった。

 ケネディ大統領は昭和38年に撃たれて死んだ。だが、はずみのついたアメリカの宇宙開発計画は、もう止まらない。

 フォン・ブラウンたちは、月を目標にしたサターン・ロケットの建造と並行して、有人宇宙飛行の成果をマーキュリー計画・ジェミニ計画と、着々蓄積していった。無論ソ連も猛然と仕掛けてくる。ついにはソ連、次いでアメリカと、人間の宇宙遊泳が行われた。また両国とも、宇宙空間でのドッキング技術を確立していった。

 しかし、ソ連は少しづつ疲労してきた。それは、ソ連の宇宙開発をただ一人で牽引してきた不屈の男、セルゲイ・コロリョフが昭和41年(1966年)に死去したことが大きく影響している。求心力を失ったソ連の宇宙開発は、徐々にアメリカの追随を許すようになった。

 爆発事故で何人もの人命を失いながらも、フォン・ブラウンたちは前進し続けた。ついに、アポロ8号では月の軌道を有人で周回することに成功し、ソ連に水をあけることができた。

 ソ連はあたかも人間を月に送り込むことは目標としていないように装いながら、それでも実は人間を月面に送り込もうとしていたことが、ソ連崩壊後の資料公開で判明している。しかし、次第に技術でアメリカに後れを取るようになり、失敗が目立つようになっていった。

 昭和44年(1969年)7月20日。3人の大男を乗せたフォン・ブラウンの作品は、無事に月への往還を果たすことを得た。人間が月に降り立ったこの有名な一部始終は、もはやここに書くことを要しないだろう。当時3歳だった筆者も、おぼろにこの時のニュースを記憶している。

 アポロ計画はこの後3年間にわたって行われ、終了した。しかし、これで前進にピリオドを打つフォン・ブラウンではない。逆風の中、スペース・シャトルの基本構想を確立し、それを練り上げていった。しかし、生粋の技術者である彼は、徐々に自分の考えと、政府の宇宙政策とのずれを覚えるようになった。また、次第に意思決定の場から遠ざけられるようになったのである。

 フォン・ブラウンは昭和47年(1972年)、アポロ計画終了の年にNASAを退職し、民間企業で通信衛星を手掛けるようになった。巨大なアポロ計画とは違い、世界の隅々に知識を送り届けることのできる通信衛星は、彼のあらたな生き甲斐となった。だが、この頃からフォン・ブラウンは体調がすぐれなくなったようだ。

 昭和52年(1977年)、フォン・ブラウンはバージニア州アレクサンドリアの病院で癌のため死去した。65歳であった。

 彼が多年にわたり働き、月面に人類を送り出した地、アメリカ合衆国アラバマ州ハンツビルの宇宙センターに、その人生のすべてを賭した作品「サターンV型ロケット」の実機が国宝として手厚く保管されている。また、書斎の復刻や胸像がここに記念されている。

フォン・ブラウンの胸像と筆者
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ハンツビルの宇宙センターにあるフォン・ブラウンの書斎の記念展示
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ハンツビルの宇宙センターに展示されている実物大のサターンV型ロケットの模型
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ハンツビルの宇宙センターには実物のサターンV型ロケットが丸ごと記念館の中に保管され、国宝に指定されているが、大き過ぎて全容を写真に収めることは難しい。下の写真はエンジン部分を根元から見上げて撮ったものだ。

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