タグ: 原爆忌
時間がはやい件
去年一昨年とくらべて、今年は蝉の声をあまり聞かないようだ。蝉の繁殖には周期があると聞くが、多分その谷間なのだろう。
毎日日中は37℃を超えるなど暑熱が厳しいが、この4、5日ほどは早朝などにふと秋の気配を覚えることがある。来週は原爆忌、そして8月7日にはもう立秋、再来週は月遅れの盂蘭盆、それから終戦記念日。
流れ去る季節のはやさ。あっという間だ。この調子な “時間がはやい件” の続きを読む
題詠ないしテーマ詠「原爆忌」
人の世に
万日も生きながらへて松落葉
ポケツトに
#jtbt
本日のじたばた句会のお題は原爆忌
です。
— 企鵝 (@akipingg2) August 6, 2022
「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。
長崎原爆忌
原爆忌である。悲しい哉。
幾十万の魂魄よ、
いつの日か、アメリカ人には必ず悔恨させる。200年、いや、300年先、ことによると1000年先になろうか。
広島原爆忌
原爆忌である。一日
幾十万の魂魄よ、
本当に腹の底から悲しめ原爆忌
原爆忌である。
思うだに、考えるだに、いたましい
だが、本当のところを
その証拠に、本当に悲しみ、本当に反省しているのならば、核兵器で死ぬ者が二度とないように現実の物理的努力をしているはずだ。だが、殆どの者はそんな物理的努力などしていない。政治家から学者、有名人、金持ちから貧乏人、一般人に至るまで殆どが、だ。
日本は中国・ロシアという核兵器保有国に隣接している。日本に向けて照準を定め終わり、いつでも発射可能な核弾頭の数は数百を下らない。それらはポチッとスイッチを押せば、地獄の業火となって私たちの頭上に降り注ぐ。軍事施設ではない、
この冷厳な事実に対抗するための具体的で物理的な努力に関して、人々はあまりにも冷淡である。はっきり言えば「何もしていないし、何も考えていない」のが実際である。それが、私たち共通の悲劇のこの日、広島原爆忌に、多くの者が悲しんでいるフリを実はしているだけだと、露悪的に私が
日本はある程度の弾道ミサイル防衛の実力を持ってはいる。だが、1発2発なら器用に撃ち落とす見事な腕前くらいは見せられても、20発30発と撃ち込まれれば、もう弾切れになり青息吐息だ。これを「飽和攻撃」と言う。そうなれば広島どころではない。何十万、いや、何百万もの人が焼け爛れて死に、中性子線による放射線障害でのたうち回って死に、遺伝子に対する甚大な影響で子孫までがおかしくなってしまうのだ。
中国もロシアも、50発でも60発でも核兵器を日本に打ち込む実力を潜在している。戦争は弱い者いじめだ。中国もロシアも、アメリカ本国に撃ち込めば苛烈な仕返しに遭って自分たちが困る。核戦争を開始するなら、まず弱小な敵国・やる気も覇気もない日本に数十発がところを撃ち込み、その親分アメリカの出方を見るだろう。ま、本当にやるかどうかは別問題として……。
まして、仮に、仮にだ。今もってなお世界一の軍事国家、水爆の殿堂にして核兵器の巣窟、かのアメリカ合衆国が、万が一にも日本の敵となる日が来たら、どうなるか。
反省するなら、悲しむなら、ポーズやフリではなく、本当に反省し、本当に悲しんでほしい。情緒的に悲しんで見せるのなど、中学生以下の子供でもできることだ。
ただし最後に言おう、本当の反省は、情緒よりする悲しみから出発する。だから、まず腹の底から