時間がはやい件

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 去年一昨年とくらべて、今年は蝉の声をあまり聞かないようだ。蝉の繁殖には周期があると聞くが、多分その谷間なのだろう。

 毎日日中は37℃を超えるなど暑熱が厳しいが、この4、5日ほどは早朝などにふと秋の気配を覚えることがある。来週は原爆忌、そして8月7日にはもう立秋、再来週は月遅れの盂蘭盆、それから終戦記念日。

 流れ去る季節のはやさ。あっという間だ。この調子なら多分、70歳80歳もあっという間に迎えることになるのだろう。

 60歳前の私だが、なんだか記憶力などに衰えを覚えはじめている。酒の飲み過ぎだ。エンジニアは脳味噌が勝負どころなので、この体たらくでは年金が貰えるまで給料を貰い続けられるかはなはだ心もとないが、多分、65歳なんかあっというまに来るのだろう。

 自衛隊時代の40年余りも、今振り返ると2秒か3秒の須臾の間のこととしか思われない。何も起こらず、何も与えず、そして何も得なかったようにすら感じる。そのくせ、心の老眼はますます進み、遠景ばかりがよりくっきりと思い出され、近景はぼやけて曖昧模糊としている。つい先日まで親密にして頂いていた人の名前が思い出せなかったりもする。

 「時間が速い」と題しようとして、躊躇した。「速度」というのは時間と測定できる事象との比を言うものだが、では時間が「速い」とは、何に比してそれを言うのか混乱してしまった。だが時間が「早い」と書けばいいのかというとそれも違う気がする。だから「時間がはやい件」と題した。

立秋

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神田川映る人みな秋に入る
ぎと〴〵とネオンの残暑秋葉原
茶を啜る機械に()(づき)来たりけり
朝まだき震へ止むらん新豆腐
秋水を(たず)ぬ裏切りなどあらず
白桃を出す子の頬も産毛かな
名にし()(さと)なむ百舌鳥の贄あらむ
特攻も(かく)累々と秋の蝉

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

山の日

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天皇陛下万歳

 祝日「山の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 海洋国であるところに「海の日」、また同時に山岳・森林の奥深い国柄に「山の日」と、わが国には誠に相応しい祝日が揃っていると言えよう。

 季節は既に立秋を過ぎた。残暑厳しい、とは文字通り、また時疫も心配であるが、元気を出して乗り切っていきたい。

 夕暮れ、見事な夕焼けとなった。暑くはあるが、黄昏時(たそがれどき)ともなると空気に秋の香りも多少感じられる。

立秋

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 毎日身に応える暑さである。

 だが、昨日の朝、出勤時には羊雲を空高くに見た。蒼空が日に日に高くなる実感がある。そして、日が短くなっていく実感もまた、ある。

 昨日の夕刻、帰宅する頃、風にはどことなく秋隣が感じられた。無論、依然熱帯夜続きではあるのだが。

 さもあろう、今日は既に「立秋」だ。月はちょうど上弦の半月。

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 空の雲がモラモラモラッと縞模様に高い。これは秋の雲だ。

 蝉の声も日暮れになると死生観など浮かべ、寂寥をはらむ。

 このクソ暑いのに秋などとは、……そんな言葉を浮かべて冷笑するのは、無粋というものだ。

暑くても秋

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 暑い。

 玄関先に半野良の老猫・ハートが寝そべっていて、出入りの邪魔だが、畜生をむげに扱うとバチがあたると思ってそのままにしている。

 長女が何か辛い料理を拵えている。夏だからという。出かけていた家内が疲れて帰ってくる。

 冷蔵庫から氷を取り出し、いつものとおりアイスピックを突き立てる。手許(てもと)が狂って、左の薬指をかすめ、少々血など出てしまう。それを舐めながらウィスキーを一杯。

 「秋隣(あきどなり)」はゆかしい季語だが、あんまりにも暑いものだから、とてものことに()めなかった。

 夏既に去る、一昨日立秋。だからこそ「残暑」とも言う。

 子供の頃は大人が交わす見舞状に「残暑御見舞」などという文字を見出しては、「夏真っ盛りなのに、なんで『残暑』??」などとも思ったものだ。

 これからどんどん暮れやすくなる。この(ゆうべ)も、窓の外にはなかなかになまめかしい色合いの空が拡がる。

 台風はゆきすぎて雨もなし。好日。