平凡社の世界教養全集第2巻を読み終わった。
今、収載の最後、フランスのモラリスト文学者、サント・ブーヴの「覚書と随想」を全部読み終わったところである。
作品は当時のフランスの人物批評などが過半を占めるため、それら人物の作品や時代の空気を知らなければ殆ど意味不明である。勿論、私も登場する人物については、ごくわずかな人数と、その作品をひとつ知っているかどうか、という状況であった。
この作品は、ちと口幅ったいかもしれないが、不肖・この私にして知らない言葉や漢字がたくさん出てきた。もちろん海外文学であるから、原著に難しい漢字が書かれているわけではないに決まっており、これは翻訳者の癖なのだろう。翻訳者は権守操一(明治41年(1908)~昭和47年(1972))というフランス文学者である。
- 権守操一(Wikipedia)
言葉
齷齪
「齷齪」。難しい漢字である。これで、「あくせく」だそうな。
誄辞
「誄辞」。難しい漢字である。
「誄」という漢字は、音読は「るい」だが訓読は「しのびごと」だそうである。
貴人、国王とか皇帝とか、そういう地位の人の死へのおくやみに使う敬意の言葉である。
淬を入れる
訓み方がさっぱりわからなかった。知らない言葉である。
「淬」は音読みで「サイ」だそうだが、動詞として「ぐ」を送ると、これで「
意味は鋼鉄に
この「淬を入れる」の前後のコンテキストは、
(前略)彼の精神は、さながら、淬を入れた鋼鉄に似ているが、しかし、その淬は少々強すぎるようだ。というのは、出来上がった剣は、何かを突き刺す度ごとに折れてしまうので、彼は、再び、剣を造り直さなければならないからだ。
思うに、音読してみて「ニラを入れる」「そのニラは少々強すぎるようだ」と訓むのはなんだか変だし、さりとて、「サイを入れる」「そのサイは少々強すぎるようだ」というのもおかしいように思う。「ニラギを入れる」「そのニラギは少々強すぎるようだ」と訓むと近いような感じだが、あまり聞きなれない。
ここは「
面紗
「
さて、次は同じく平凡社世界教養全集第3巻、「愛と認識との出発/無心と言うこと/侏儒の言葉/人生論ノート/愛の無常について」である。前2巻は西洋哲学~フランス思想であったが、一転して倉田百三・鈴木大拙・芥川龍之介・三木清・亀井勝一郎と、日本の著者揃いである。
- 佐藤の読書リスト(Google Docs)