魂で選ぶ

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 変化、変容、変身、メタモルフォーゼズ、レボリューションやイノベーション、なんでもいいが、つまり、「良い激動」と、その真反対の、「ボス、あるいはアホなオッサンのキチガイみたいな気まぐれ妄言」とは、どうやって区別したらいいんだろう。

 「ボス、あるいはアホなおっさんのキチガイみたいな気まぐれ妄言」が、妄言であるかそうでないかは、その妄言に従ってやってみなくちゃわからないんだから始末が悪い。で、やってみている間に、食いっぱぐれたり死んだりした日にゃあ、まったく我と我が身とわが魂が浮かばれない。

 「データの投入量が多ければ多いほど、それは妄言ではないかもしれない」という仮定もある。しかしそれは、かつて人口に膾炙した「ストレンジラブ博士…」とか、核戦争後のアメリカを真剣に研究した「RAND」報告のような帰結になりはすまいか。つまり、「データにしたがって結論を出せば、会長一家が今日の12時ちょうどにガス自殺してくれることが経営上最も合理的である」とかいうような数学的結論が出てしまう。そして、私たちは往々にしてそういう結論が出てしまうことを本能的に知っている。

 思うに、これはもう、「魂」で弁別するしかないのである。

 魂ほど正確な、そして、「知能の低い者にも等分に分け与えられているセンサー」は、ない。

 ただ、魂も、時として頓狂だ。

 アホなオッサンのキチガイみたいな気まぐれ妄言……大西瀧次(以下略

 以下略、で、そんで、次々と突っ込む若者。

 こうなってくると、センサーであるところの「魂」が不滅で、ずっと何かを見ている、それは後世にわたって審判をする、とでもいうような、宗教じみた何かを信じない限りはどうしようもない。

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