読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の三つ目、「敦煌物語」(松岡譲著)を朝の通勤往路、JR秋葉原駅の中央線ホームへ上るエスカレーターの上で読み終わった。

 はじめ、題名などから往古の史跡敦煌に関する論説かなにかなのかな、と思ったのだがさにあらず。読んでみると、敦煌遺物の、いわゆる「敦煌経」(『敦煌文献』とも)の流出をめぐる珍妙な物語である。Wikipediaなどで「敦煌文献」を探すと、当時の関係者がほとんどタダ同然の対価で貴重な敦煌文献を売買し、欧州や日本に拡散してしまったことが簡単に書かれているが、その事情に焦点を当てた小説なのである。道士(おう)(えん)(ろく)と、イギリスの学者オーレル・スタイン、フランスの学者ポール・ペリオ、日本の門徒立花らとの珍妙無類の駆け引きが迫真の筆致で描かれている。敦煌文献の流失散逸は歴史的事実であり、登場人物の王円籙やスタイン、ペリオは実在の人物、本書中では「立花」と名前を変えてはあるが、これは実在の日本の僧(たちばな)(ずい)(ちょう)をモデルにしている。だがしかし、本書の面白おかしい場面場面は作者の創作である。つまりこれは、事実を下敷きにした面白い創作小説である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「敦煌物語」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.358より

 「吉川さん、先年猊下のお供をしてインドを歩き、その時と今度とでシナ・トルキスタン一帯を歩いてみて、今から千何百年も前に、この世界の乾燥地帯を()(ほう)のために命がけで西に向かって渡られた法顕だの玄奘だのというもろもろの三蔵たちのご苦労がわかったが、それにも増して、西域の高僧たち、わけても()(じゅう)だの(じく)(ほう)()だの(どん)()(ざん)だのという方々が、伝道のため訳経のため、東に向かって尽くされた努力にも頭が下がりましたよ。じつに至るところに遺跡があるのですからね。ところがどうです、それが一朝にして回教徒のため根こそぎやられてしまって、やがて千年近くになろうとしている。今、中央アジアのどこを歩いてみたって満足の寺一つはおろか、おそらく完全な仏像一体でさえ、昔日のまま祀られていないんです。自然、念仏の一声だって聞かれやしません。それに引きかえ、回教はどうです。ほとんど全中央アジアを「コーランか剣か」によって征服し、至るところアラーの神がはびこっている。そうしてその宗教戦争で殉死した聖者たちの霊廟(マザール)が各地に散在して、今に香華絶ゆるひまもなく繁昌している。まったく仏教徒の意気地なさを思い悲憤やるかたないわけだが、ここで一つ僕たち考えておかなければならないのは、何故回教がこれら土民の信仰尊信をかち得ているかということだと思いますね。カシュガルでイギリス・ロシア両国が(しのぎ)を削って事ごとに勢力争いをして、一方は福音堂、一方は天主堂というわけで、それぞれ宗教の仮面のもとにそこを侵略基地として帝国主義の魔手を伸ばそうとしているし、ウルムチあたりへ来ては、まさにロシアの勢力が駸々(しんしん)()としてはいってきているのがハッキリ見えた。しかしそれにもかかわらず、新教でも旧教でも大国の背景をもちながらこの(ろう)()たる回教の勢力を如何ともすることができないじゃありませんか。今度の探検旅行の一つの使命は、猊下からこの回教勢力の実際を調査することを命じられたんですが、たしかに東亜将来の根本問題の一つはこの回教問題ですよ。猊下の先見の明にはただただ恐れ入るほかありませんが、吉川さん、これがカシュガルで猊下から頂戴したコーラン経です」

言葉
護照

 難しい漢字ではなく、読んで字の如く「()(しょう)」であるが、意味を知る人は少ないだろう。これは「パスポート」「旅券」のことである。この言葉は現在は中国でだけ使われ、特に「中国のパスポート」を指して言うこともあるようだ。

下線太字は佐藤俊夫による。p.268より

スタインは秘書の蒋孝琬に一足先に一(むち)当てさせて、中国製の紅色の名刺と護照とをもたせて衙門に急がせた。

熱時熱殺

 これも読んで字の如く「(ねつ)()(ねっ)(さつ)」であるが、意味はわかりにくい。これは禅語だそうで、

(かん)()(しゃ)()寒殺(かんさつ)し、(ねつ)()(しゃ)()熱殺(ねっさつ)す(碧巌録)

という一節からの引用らしい。要するに、暑いときに熱い茶を啜ればかえって涼しくなる、暑さを熱で制し、寒さを冷で制する、というような意味である。

p.374より

ところが、その胡姫の代りに、こういう禅月の羅漢めいた老人のサーヴィスじゃお気の毒のいたりですな。しかし理屈をつければ、こんな砂漠地帯の長話も熱時熱殺で、何らかの趣なきにしもあらずというところかもしれんが、ともかく一日中聞いていただいたのに、到来ものの白ブドウ一杯で追っ払っちゃ、こちらの冥利がつきる。

中村()(せつ)

 本書は美術収集家で自らも美術家である老人が、若い来客を相手に、敦煌経散逸流失の一部始終を語って聞かせるという形になっているが、解説によればその老人と言うのは、中村不折という明治~戦前の昭和にかけて活躍した書家をモデルにしたものらしい。

p.378、秋山光和による解説より

さらにこうした種々な主人公を活躍させる共通の舞台として、著者が作り出した語り手(ナレーター)中村不折氏と思われる老画家の扱いは見事である。

 引き続き第18巻を読む。今度は「長安の春」(石田幹之助著)である。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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