読書

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻のうち2書め、「山の人生」(柳田國男著)、早朝の往きの通勤電車の中、北千住と南千住の間のあたりで読み終わった。著者は前読書「海南小記」と同じ、日本民俗学の泰斗、柳田國男その人である。

 この書も一体何がテーマなのかわからないままに読みはじめたのだが、読んでみてなるほど、これは柳田國男一流の民俗学小論であることがわかった。すなわち、日本の各地に、誰某(だれそれ)が山に入って行って帰ってこなくなったとか、それが時折人前に姿を現すことがある、などの言い伝え、また或いは山男、山姥、(うぶ)()、巨人などの半ば神霊めいたものや神隠しなど、深山に対する畏敬が根底にあるとみられる伝承がある。これらは全国に様々な口碑などになって残っているが、うっすらとした輪郭に、なんとは言えない共通項の存在が感じられる。

 この書はそれらを概観しつつ、考察を加えるものだ。

 柳田國男は伝承や口碑を丹念に集積しつつ、ただ、しかし、結論めいたことはこの書ではあまりはっきりとは述べていず、後学の更なる継承を期待しているようである。

 この書で「サンカ」というものについて触れられている。サンカとは山中を住処とし、定住しない賎民のことである。この書以外の他の資料によると、柳田國男がこれについて取り上げたことによって山中に暮らす賎民の存在が認知され、昭和40年代頃には文学作品の題材などになり、一時はよく知られたものであったらしい。

 本書は、前書同様、文章に味わいがあって美しく、読みやすい。

言葉
香蕈

 「蕈」という字は音読みでは「シン」とか「タン」と読み、その意味は「きのこ」である。で、「香蕈」と書くと、「コウシン」か「コウタン」と読むのかな、と思いのほか、これは「重箱読み」の言葉で、「香蕈(こうたけ)」と読む。意味は「椎茸」のことであり、訓読みでそのまま「香蕈(しいたけ)」とも訓ませる。

  •  (モジナビ)
  •  香蕈(コトバンク)
平凡社世界教養全集第21巻「山の人生」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.198より

 四 文政中、高岡郡大野見郷島の川の山中にて、官より香蕈を作らせたもう時、雪の中に大なる足跡を見る、その跡左のみにて、一、二間を隔て、また右足跡ばかりの跡あり、これは一つ足と称し、常にあるものなり。

丘壟

 「(きゅう)(ろう)」と読み、丘の高いところというほどの意味である。「丘隴」という字遣いもあり、読みも意味も同じである。「壟」「隴」とも小高いところという意味の漢字だ。

p.198より

丘壟の上に腰かけて大海のハマグリを採って食ったと言い、足跡の長さ四十余歩、広さは二十余歩とある。

踰ゆる

 これで「()ゆる」と訓む。「踰」という漢字には「またぎこす」という意味がある。

  •  (モジナビ)
p.198より

播磨風土記の多可郡の条にも巨人が南海から北海に歩んだと伝えて、その踰ゆる迹処、かずかず沼を成すと記してある。

迹処

 「迹」は「あしあと」という意味の漢字であるが、読みは「セキ」とも「シャク」とも読む。

  •  (モジナビ)

 で、「迹処」であるが、この組み合わせの単語に調べ当たらない。「迹処(あしあと)」と訓んでも「迹処(せきしょ)」と読んでも、どちらでも可ではあるまいか、と思う。

p.198より。但し、前の「踰ゆる」の引用部分と同じである。

播磨風土記の多可郡の条にも巨人が南海から北海に歩んだと伝えて、その踰ゆる迹処、かずかず沼を成すと記してある。

天地剖柝

 「(てん)()剖柝(ぼうせき)」と読む。

 「剖」は「解剖(かいぼう)」という言葉があることからもわかる通り「わかつ」こと、「柝」は「析」の別書で、「分析」という言葉にある通り、これも「わかつ」意味である。したがって「天地を分かち、()し上げる」というのが「天地剖柝」の意味である。

 しかし、「剖柝」でネットのQAサイトの回答などは見当たるが、信頼に足る辞書サイトはもとより、私の手許の辞書や漢和辞典などでもこの単語には調べ当たらない。

p.199~200より

つまりは古くからの大話の一形式であるが、注意すべきことはことごとく水土の工事に関連し、所によっては山を蹴開き湖水を流し、耕地を作ってくれたなどと伝え、すこぶる天地剖柝の神話の面影を忍ばしむるものがある。

匡す

 これで「(ただ)す」と訓む。「(ただし)」という名前の人がいるが、その「(ただ)し」である。意味は「(ただ)す」と同じ意味だと思ってよい。わざわざこの「匡」の字を用いるのは、「正」に比べると「矯正」というような、無理にまっすぐにするような意味合いがあろうか。

  •  (モジナビ)
p.206より

導く人のやはりわが仲間であったことは、あるいは時代に相応せぬ鄙ぶりを匡しえない結果になったかしらぬが、その代りには懐かしいわれわれの大昔が、たいして小賢しい者の干渉を受けずに、ほぼうぶな形を以って今日までも続いてきた。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「北の人」で、著者は柳田國男と学系を同じくする金田一京助だ。これも、どういう内容か全く想像がつかない。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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