読書

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 引き続き世界教養全集を読む。第25巻の最後、三つ目のアルバート・シュヴァイツァー Ludwig Philipp Albert Schweitzer「水と原生林のあいだで 赤道アフリカの原生林における一医師の体験と観察の記録 Zwischen Wasser und Urwald: Erlebnisse und Beobachtungen eines Arztes im Urwalde – Äquatorialafrikas」(和村光訳)を、近所の寿司チェーン店「銚子丸」で一杯やりつつ読み終わった。

 シュヴァイツァー博士という人物については、名前は知っていたが、何をした人かなど全く知らず、白紙状態でこの本を読んだ。

 読むと、著者シュヴァイツァー博士の博識多芸、多才ぶりに驚く。医師になる前に既に著名な哲学者として、またプロのオルガン奏者として大成している。大学の神学講師になり教鞭をとるようになってから一念発起、医学部に入りなおして医師免許を取得したのは30歳代後半になってからであった。今こんなことをしてのける人がいるだろうか。後年アフリカでの献身的医療で資金難にあったとき、オルガン演奏旅行で資金を稼いで盛り返したなど、常人のなしうるところではない。そしてついにはノーベル平和賞を受けている。

 同じアフリカに関して書かれたものでも、この全集の第23巻で読んだ「暗黒大陸 Through The Dark Continent」(H.M.スタンレー Henry Morton Stanley 著、宮西豊逸訳)のような、アフリカの黒人を見下すばかりか敵とすらみなし、人にあらざるものであるかのように躊躇なく射殺するといった著作に比べると、欧州人的・キリスト教徒的な独善の匂いは若干漂わせつつも、根本にはヒューマニズムや愛、相互の理解、奉仕といったシュバイツァーならではの良心が基底にあり、読んでしみじみとした素朴な感動を覚える内容である。

 本書に記されているのは、第一次大戦の直前から直後までの時期のシュヴァイツァー博士の経験談である。

Table of Contents

気になった箇所
平凡社世界教養全集第25巻「水と原生林のあいだで」より引用。他の<blockquote>タグ同じ。p.441より

 原住民たちは私のことをガロア語で「オガンガ」、つまり呪術師という。黒人の治療師はみな同時に呪術師でもあるのだから、医師にあたるほかの呼び名はないのである。私の患者たちは、病気をなおす人は逆に病気を、それも遠くからよび起こす力も兼ねそなえているのが理の当然だと思っている。親切だが、同時にこうした危険な存在だと見なされていると思うと、私は妙な気持になる。

p.442より

 原住民たちは白人の医術に、非常な信頼を寄せてくる。こうなったのは主として、オゴウエ川流域の白人宣教師たちが、彼らを三十年来献身的に、人により十分の知識をもって診療してきたことによるのである。なかでも、エルザスの婦人で一九〇六年になくなったタラグーガのランツ宣教師夫人とスイス人で目下重病でヨーロッパに滞在しているヌゴーモーの宣教師ローベルトさんをあげておきたい。

p.506~507より

黒人が戦争から受けた印象

(中略)

 私たちみんなが感じていることだが、多くの原住民たちは、自分たちに愛の福音をもたらした白人がいったいどうしていまたがいに殺し合うことによって、主イエスのおきてを無視するのか、という疑問を胸にもっているのである。そのことを問われると、私たちはとほうにくれる。ものを考える黒人にそのことを話しかけられると、私は説明も弁解もせずに私たちはわけのわからない恐ろしいことに直面しているのだという。自然の子の間での白人の倫理的、宗教的権威が、この戦争によってどれほどそこなわれたかは、後になってはじめてわかることであろう。この損失は多大ではないかと心配している。

 付記すると、上記印象は大正3年(1914)の第一次世界大戦勃発を受けての述懐である。

p.514より

 アフリカで自分をかたく守るためには、精神的な仕事をもたなくてはいけない。妙に聞こえるかもしれないが、教養のある人は、教養のない人よりも、原生林のなかの生活によく耐える。なぜなら、前者は後者の知らない慰めをもっているからである。何かまじめな書物を読んでいるときには、一日中信用のおけない原住民やあつかましい動物と戦って精根を使い果たす哀れな者であることをやめて、ふたたび人間に帰るのである。

 次は、順番としては第26巻「ある革命家の思い出 Memoirs of a Revolutionist(ピョートル.クロポトキン Peter Kropotkin)/アラビアのロレンス Laurence and the Arabs(トーマス・エドワード・ロレンス Thomas Edward Lawrence)」となるのだが、この全集を父から貰い受けてすぐの頃、約5年前に既に読んでいる。それで、第26巻は飛ばし、その次の第27巻「リザベスとエセックス Elizabeth And Essex(リットン・ストレチー Lytton Strachey著・片岡鉄兵訳)/ディズレーリの生涯 La Vie de Disraeli(アンドレ・モロワ André Maurois著・安藤次男訳)/ジョゼフ・フーシェ Joseph Fouché(シュテファン・ツヴァイク Stefan Zweig著・山下肇訳)」に取り掛かることにする。

 どれも予備知識すらなく、内容に想像もつかない。エリザベス1世とエセックス伯爵のことは何かで読んだことがあり、なんとなく知ってはいるが……。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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