応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.97

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 休みだ。今日も朝からせっせと「エリーゼのために」練習。

 最近、少女エリーゼ(ベートーベンの思い人は『テレーゼ』であったとは定説だが)の姿や心を思い浮かべて弾くと言うことをしていなかったので、この演奏は、少々暗いめの性格のエリーゼ、だが、たまには少女らしくパッと花の様に笑ったり、かと思うとかなり手が付けられないくらい部屋に閉じこもって大泣きしたり、ちょっと成長しちゃったり、そういうエリーゼを想像しながら弾いた。

 もう一息、あとちょっとだと思うのだが・・・。やっぱり第1中間部の左手などに微妙に怪しいところなどがあって、なかなか完全にはならない。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

「応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.97」への3件のフィードバック

  1. 初めまして。
    ちょこちょこ覗かせてもらっています。
    ちょっと疑問なのですが、毎日エリーゼばっかり弾いているのですか?ブログには書いていないけれど何か他の曲も練習されているのでしょうか?私は、弾けるようになった曲は1ヶ月くらいで飽きてあまり弾かなくなるので、こんなに長い間1曲を弾いているのはすごいなぁと思って見ていました。

  2. >ちゃん様
     こんにちは。はじめまして。時々見て下さっているとのこと、嬉しいです。ありがとうございます。
     私ごときの演奏は、本来人目に触れるところに置くようなレベルではないとはわかっているのですが、自分の励みにするために、録音しては公開しています。インターネットで公開する前提で録音すると、演奏するのに一種の緊張感が得られ、いわば毎日が発表会のようになるからです。
     私は、40歳の年に、ひょんなことから、バイエルの1番から順番に弾いていくことをはじめました。その経過は次のとおりです。
    http://t-sato.blog.ocn.ne.jp/my_housing/cat5271009/index.html
    (↑量が多く、少々重いですから、ご注意を)
    http://t-sato.blog.ocn.ne.jp/my_housing/beyer-midi-mp3.html
    (↑一覧表。こっちは重くありません。)
     私の使っている、全音出版の「最新バイエルピアノ教則本」という本では、バイエルを106番まで弾き終わったあと、3曲の応用曲があり、その2曲目が「エリーゼのために」なのです。この曲を終わらせることなくしては、この教本を終わらせることができません。
     私がこのように、まるでバカのように徹底的にバイエルないし「エリーゼのために」を稽古している理由は、いくつかあります。
     まず、私は、生来熱しやすく冷めやすく、物事を辛抱強く続けたということが、子供の頃から一度もありません。だが、自分が人の親となり、生活を続けているうち、こんなことではダメだと思うようになりました。バカバカしいようなことを、人からなんと思われようと続けていき、そこに何かの意義を探すようなことを、しなければならないと、もともと思いはじめていたことが一つ。
     次に、私の子供たちも、親である私に似て、飽きっぽく、長続きがしそうにもありません。私が来る日も来る日も、同じ曲ばかり弾いていることを、今はバカにして見ていても、大人になってから思い出して、なぜ私がこんなことばかりしていたのか、考えてくれるかもしれないと思うようになりました。最初からそう思ってピアノの稽古を始めたのではないのですが、途中からそういう効果があるかもしれないと思いました。それが一つ。
     また、「エリーゼのために」を弾き始めるとき、番号を「0.01」刻みで弾いて、何度も何度も弾くんだ、そう決めました。だから、今、このエントリは「その0.97」という番号ですが、これは、
    http://t-sato.blog.ocn.ne.jp/my_housing/2009/03/fr_elise001_b34a.html
    ↑このエントリで、こういうふうにやると決めたのです。以前の私は、自分がこうして決めたことでも、自分で守ることはできませんでした。なんとかこれを守ることで、私は約束を守る男になれるだろう、そういう自分への期待が一つ。
     先ごろ亡くなった私の義父(家内の父)は、目立たない人生を送った人でしたが、物事を30年40年と続ける人でした。それまでの私は、一つのことばかり打ち込んで稽古するようなことを、内心バカにしていました。それでは何の応用も利かないではないかと。いろんな可能性を台無しにしているではないかと。ですが、私の義父は、基礎の力、持続する精神力のないような応用などハナから問題にせず、数十万枚に及ぶ般若心経の写経を残したりしました。しかもそれらは、小学生の使う硯と筆で、広告の紙の裏に書かれていました。私はそれを見て、あ、稽古事というのは、これでいいんだ、何も疑う必要はないんだ、こういうやりかたでいいんだ、と思うようになりました。どんなに高価な掃除機を買おうと、それで掃除をしなければ、部屋は綺麗になりません。ですから、私のピアノも、毎日500円づつ小遣いを貯めて買ったもので、高価なものではありません。
    http://t-sato.blog.ocn.ne.jp/my_housing/2007/11/post_5cc6.html
    このようなことも一つ。
     ともかく、いろんな理由でこんなことをしています。
     それに、だいいち、私はまだ、「エリーゼのために」を弾けるようになっていません。弾けるまで、練習します。
     でも、他の曲も練習していますよ。ただ、私はバイエル終わったばっかりの初心者なので、バイエルと教本に載っている応用曲を除けば、弾ける曲はショパンの「プレリュードop.28-No.7」だけなもので(笑)、そればっかりですが。あとはバイエルを毎日おさらいしています。
     いろいろな応用は、まず、基礎が出来てから。そう思っています。
     ですが、自分のやり方を、他人に押し付ける気はまったくありません。(自分の子供には『辛抱しなさい』と叱ってはいますがね。ちなみに自分の子供の教本はバイエルではありません。バスティンです。)
     エリーゼは、あと少しで番号が「1.00」になります。その時に、ミスをしないで美しく弾けるようになれたら、と思っていまして、今の感触だと、なんとかできそうな気がしているのです。どうかその時を、見ていてください。
     ・・・こんなような、とりとめもないようなことですが、答えになっておりますでしょうか。

  3. ご丁寧な回答ありがとうございます。
    私がこちらのブログを初めて見たときはすでにエリーゼに入っていて、最初から読んでいて、バイエルはとんとん進んでいたのにエリーゼだけやたらこだわってるなーと不思議に思っていたのです。
    そういう教育的な意味もあったのですね!
    元々の性分ってわけではなく、意思を持って1曲をずっと練習しているというのは、すごいと思います。
    飽きるとかそういう次元ではないのですね。失礼致しました。
    私は20年ぶりくらいでピアノを再開したのですが、弾ける曲が少なく、同じ曲ばかり何度も弾いているのですぐ飽きてしまいます。電子ピアノの、調を変える機能を使うと新鮮な気分で弾けて楽しかったので、電子ピアノを買おうか思案中です。佐藤様のローランドうらやましいです。
    まあ、飽きないくらいいろいろな曲が弾けるようになれば普通のピアノで問題ないのですが・・・。新曲習得は苦痛でなかなか進みません。が、頑張ります。
    佐藤様もエリーゼ制覇頑張って下さい!

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