罪のロシアンルーレット

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 インフルエンザで出勤禁止、居間に出ようとすると家族への感染も心配だ。いきおい寝間から一歩も出ずに引きこもるが、寝間の無聊を慰めるものと言ってはタブレットぐらいである。

 いい時代で、こんな外出もできない折でも、Kindle/Amazon、とりわけ青空文庫の成果物はよりどりみどりの読み放題である。愛用のタブレットにKindleアプリをダウンロードしておけば、家から一歩も出ずに図書館にいるようなものだ。

 先ほどまで読んでいた坂口安吾の「白痴」は、4月の東京大空襲の2夜目が主たる舞台だ。作品は大空襲を絶好の環境として使った、「生きる」ということに対する内省と自問であり、おそらく坂口安吾にしてみれば、他に適切な舞台があれば別段東京大空襲でなくてもよかったのだろう。だから、この本を読んだからといって東京大空襲について筆のすさびを始めるのは当たってはいない。

 しかしそれはそうでも、読後の思いは乱れるのであった。

 ゲルニカや東京・大阪がもし欧米白人の手によってなされなかったとしたら、この「一般市民が現住する都市への無差別爆撃」という人類史上最も憎むべきことに位置づけられなければならないはずの大犯罪に最初に手を染めるのは、一体誰であったろうかと考えてしまう。

 もし我が国であったら、と想像すると暗鬱な気持ちになるが、明治維新から終戦までの帝国にはそれだけの力はなかった。大陸に対しては幾分その程度の軍事的実力はあったが、いわゆる渡洋爆撃など、その後米国によって我が国に向けられた蛮行に比べれば、まことにもって礼儀正しいものであった。

 だが、実行は別として、単にそれを選ぼうとするだけなら誰にでもどの国家にでもできる。帝国がそれを選ぼうとしたかどうかである。「最初に選んだ者負け」だ。そして、その永久の罪の汚名は、さながらロシアンルーレットのように、欧米白人が先に引き当てた。

 運悪く引き当ててしまったのか、彼らが自らの手で握りとったのか、それはわからない。強いて言えばおそらく両方だろう。歴史の流れは必然として彼らにその籤をあてさせたし、かれらは能動的にその籤を引き当ようとして引き当てた。

 そうしてでも、彼らは生存したかった。そういうことだろう。

 文字のない太古、アフリカあたりの熱帯で生まれた人類は、弱いものを辺境へ辺境へ差別・排除しつつ、繁栄を謳歌してきた。

 遠く北の寒冷飢餓の土地へ追いやられた生白い一団は、数千年にわたって臥薪嘗胆、牙を研ぎ、500年ほど前から断固復讐を開始した。ローマ法王からスペインとポルトガルに対して発せられた大デマルカシオンがそれである。

 いくつかの紆余曲折を経ながらも、1494年にポルトガルとスペインがトリデシリャス条約を結んだ後、かれらがアジアと米大陸を総なめにしたことは歴史上の事実だ。ことに南米においてスペインのしたことなど、悪鬼をしてその顔色をさえなからしむる、酸鼻の地獄絵、鬼畜の所業である。

 しかし、いかに鬼畜スペイン、ポルトガルといえども、当時は強大なイスラム圏の処理は簡単には済まなかった。欧米白人にとっての歴史的やり残し、それがイスラム圏の処理なのだ。

 近代に至って、その後英国、あるいは米国へとバトンタッチしながら、白人がその人類全体に対する復讐の魔手をついに悲願のイスラム圏へ向けているまさにその時が、今なのだと言える。

 500年もの期間を費やして太平洋を押し渡るために向けられた復讐の前縁が、東京や大阪や広島や長崎であったのだ。彼らが犯罪人の汚名を着ながらも決してやめようとはしない、今の中東への憎悪もそこにつながっている。やっと手に入れた日本を手放さない意義もそこにあるが、邪魔になれば見殺しにするだろう。

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