昭和5年生まれの私の父と明治生まれの私の祖母との天皇陛下に関するやりとり@山形のド田舎

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 昭和一ケタ生まれの父は、ある日、通っていた山形県の小学校で、その時代らしく現人神だ万世一系だと、天皇陛下についての当時としては普通のことを教わって、家に帰ってきた。

 当時の父にとって、神とか仏というのは「死んだもの」、すなわち「仏壇の中にいるもの」だった。だが、小学校の先生は、生きている天皇陛下が神だというではないか!それは、違和感を覚えるよりもまず、興奮を覚えずにはいられないような、驚天動地の新知識であったという。

 興奮した父は、帰るなりすぐに、その母(私の祖母)に、

「かーちゃんかーちゃん、テンノーヘーカってものはよう、神様らしいぞ!!死んでないのに、神様だってよう!偉いもんだのう、すごいのう!!」

と、興奮気味に教わったことを話した。そこには素直にモノを信じる子供の興奮があり、それがおかしいとか、そういう気持ちは無かった。

 ところが、それを聞いた祖母の反応がイカしている。

「・・・ったく、また学校はそんなクダラネェことを子供に吹き込んでッ。んなバカなことがあるもんかいッ。ナニを馬鹿なことを教えてまったく・・・何してる、さっさと飯でも食えッ!!」

 書き遅れたが、私の祖父(祖母の夫)は中学校の校長先生で、父は当時としては教育熱心な家に生まれた。当時のことだから、教員である祖父がご真影に拝礼するのは当然だし、生徒たちに万世一系のかしこきあたりについて教えるのもまた当然である。祖母は、そんな祖父を、当時のごく普通の女のならいとして、支えなければならない立場にあった。当然にして無論、祖母は女らしい、古風な良妻賢母で、内助の功の見本のように祖父を支えて生涯を終えた。いうまでもなく、左翼主義者ではなく、天皇を敬愛し、ごく普通の愛国者でもあった。

 だが、その祖母にして、この発言である。時局も日増しに緊張の度を加える昭和10年代、このようなことがもし官憲の耳にでも入れば、祖母が平穏ではすまないばかりか、祖父の職業すら危うくなる。更に書くなら、かてて加えて、曽祖父、つまり祖母の舅は警察署長であった。昔の国家警察がいかなるものかいうまでもない。天皇陛下を神でないなどと、息子の嫁が孫を叱っただと!?なんてことを仕出かしたのだ、とんでもない!!

 ・・・昭和一桁の父は、折に触れてはこの祖母の言動を語ることがあった。

 私は、この話の中に、明治生まれの田舎の女であった祖母の、堅固な「個」の確立、「気骨」のようなもの、を見る。また、その祖母を育てた、素朴な大人たちの、美しく平凡な世界観と常識をも見る。天皇陛下をこよなく愛し、敬いはしていても、それが神だとか、あるいはまたそれを子供に吹き込むなどとなれば、「クダラネェ」「馬鹿なこと」と、瞬時に判定する。

 当時も、おそらく、堅固な常識というものは、人によっては生きていたのだと思う。ただ、時代の流れが、そういうものを塗りつぶしたかに見えるだけなのではなかろうか。

太陽

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 評判の映画、「太陽」を見に行った。今静かな話題となっている、昭和天皇の苦悩を描いた映画である。銀座の「シネパトス」というところでやっている。

 なんというか、昭和天皇の人間性に感動したりする映画ではない。いわば、イッセー尾形の渾身の至芸を楽しむ映画、であろうか。

 大衆的な日本人ウケを狙うなら、マッカーサーに国民の食料費として皇室の有価証券を差し出したという例の話なんぞをちりばめたほうが、間違いなくウケる。しかし、あえて(か「あえて」でないかは知らないが)そういった日本人メンタルに訴えるストーリーはまったく採用されていない。

 そういった点で、見る人を選ぶ映画であると言える。特に、日本人はこの映画に「選ばれる」。

 それから、もしハリウッドが同じ映画を作ったら、どうなっていたかなどと、楽しい想像もできる。ハリウッドが手がければ、噴飯映画「パールハーバー」のように、彼らのいわゆる、低劣な「ボーイミーツガール」的馬鹿映画になることだろう。

 ロシア人が作ってくれてよかった。日本人的潤色歴史エピソードが入っていないところを差し引いても、まだしも情念の世界観が滴っているだけ良いと言わねばならぬ。

靖国神社へ行く

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 終戦記念日を靖国神社で過ごした。

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 大変な人出であった。参拝している人々の人相風体は、どう見ても右翼でもなんでもなく、子連れの奥さんあり、職人風の男、サラリーマン、休日のお父さん、ヤンキーにいちゃん、中学生高校生、ごく一部に右翼、生徒を引き連れて大東亜戦史を語って聞かせている高校教師など、ごく一般の普通の人たちばかりであった。これが、普通の、一般の日本人の心なのだ。

 新聞記事を読んで受ける印象と現実とはかくも違う。現実の靖国へ、いったことのない人は是非行ってみてほしい。現地で感得するものと、伝え聞くものとは違うのだ。

○ もらってきたパンフレット一式(PDF文書・3MB)

国営・昭和記念公園へ行ってみた。

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 ゴールデンウィークの一日を、子供たちと国営・昭和記念公園で過ごした。

 聞きしにまさる大公園である。前日に訪うた同じく国営の武蔵丘陵森林公園のほうが3倍近い広さなのだが、それよりも広く感じるくらいである。

 昭和記念公園は、昭和天皇在位50周年を記念して作られた公園である。 旧米軍立川基地の跡地を利用して造成されたことは、よく知られている。

 戦争の世紀を永く生き抜いた昭和帝を記念する公園が、昭和帝の人生にとっても極めて大きな出来事であった米国による占領の、その証拠とも言える記憶の場所に造られてあることは、今もって残滓となっている砂川闘争の複雑な記憶をも含めて、本当に感慨深いものであると思う。

 おりしも、祝日・子供の日であった。子供の日は端午の節句である。「子供の健やかな成長を祈る日」である、と書けば、肯定されそうであるが、違う。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」日である。人格を重んじるというのと、健やかな成長を「祈る」というのは、似ているようでかなり違う。それから、知る人は少ないが、実は「母に感謝する」という日でもある。

 そんな日に、昭和記念公園内にある昭和天皇記念館へ行ってみたのである。

 初老の方がガイドをしておられ、昭和帝のことをごく短く語って聞かせてくださった。その語りかけに思わず目頭が熱くなったことであった。どなたも一度、この昭和天皇記念館に行っていただきたい。おすすめする。

国営昭和記念公園公式ホームページ
 ○ 昭和記念公園サイト内・昭和天皇記念館

昭和聖徳記念財団サイト内・昭和天皇記念館

そして、

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 そして、

中国人も朝鮮人も朝日新聞も大嫌いだ!!!!

 ・・・と、私が述べるのと同じ強度で、アメリカ人とその作るアメリカ合衆国も、私は大嫌いだ。

私は朝鮮も中国も朝日新聞も大嫌いである。

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 私は、中国も朝鮮も朝日新聞も大嫌いである。

 「朝鮮」は韓国・北鮮両方を含む。

 中国人と朝鮮人と朝日新聞が日本と日本人を大嫌いであるのと概ね同じ強度で私も中国人と朝鮮人と朝日新聞が嫌いであり、彼らが日本と日本人を蔑むのと同じ強度で私も中国人と朝鮮人と朝日新聞を蔑み、憫笑している。

 嫌いなものは嫌いなのだからしょうがない。

 「アナタはどうしてピーマンが嫌いなのですか?」なんて問いに、ほとんど意味がないのと同じように、理由なんかない。心の底から嫌いなのだからしょうがない。

暴言を恥じる

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「8月15日には」

 これじゃあまるで、酔っ払いの暴言なり。

 読み返してみるとまた、随分アホなこと書いてしまったなあ。

 人間・小泉氏にお詫びしたい感じ。

 削除してしまおうとも思ったが、ワタシの忍辱をお詫びとするため、そのままにしておこう。

8月15日には

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 いかなる妨害、いかなる暴力にも屈せず靖国神社へ詣でよ>小泉首相

 そして、中国人無頼漢か韓国人暗殺者の手にかかって、靖国の敷石の上に、屍を流血淋漓と横たえよ。

 それが男の行く道だ。

 それにより日本人の覚醒が1秒早まる。マッカーサーが100年間イビリ抜いてやると豪語した、この日本の覚醒が。

 日本の覚醒のために死ね、小泉!!