Twitter で「平成33年」がトレンド入りしているという。
令和3年と平成33年がイコールとなっていることで、両者は誠に換算しやすく、生活や仕事の上でも実に便利である。
しかし、この際同時に、令和3年は昭和96年であり、大正110年であり、明治154年であって、そして、
その昔、大人たちが「明治100年祭」ということを懐かしそうに話していたのを、ふと思い出した。
オッサンは生きている。
Twitter で「平成33年」がトレンド入りしているという。
令和3年と平成33年がイコールとなっていることで、両者は誠に換算しやすく、生活や仕事の上でも実に便利である。
しかし、この際同時に、令和3年は昭和96年であり、大正110年であり、明治154年であって、そして、
その昔、大人たちが「明治100年祭」ということを懐かしそうに話していたのを、ふと思い出した。
天皇陛下万歳
祝日法の定めによれば、「勤労を
その起源は歴史的で、遠く記紀万葉、飛鳥時代に
皇室祭祀であり、収穫を
よく晴れた朝となった。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。
時疫のこと、靖国神社でももちろん随分と気を使っており、足元に1~2m間隔の印をつけて、
何、苛烈なる戦場に護国の鬼となった英霊にあって、これしきのこと、問題になどなるまい。
一心に、「英霊安らかにあれ」とのみ念じて参拝した。
以前、「鎮霊社」の由来書きを撮影して書き取ったことがある。今日は「元宮」の由来書きが見えたので、撮影してテキストを書き取った。下の通りである。
文久三年福羽美静ら津和野藩士が中心となり、京都祇園社に
小祠を建て徳川斉昭卿等維新の志士四十六人の霊を祀る
後に幕府の嫌疑を恐れてこれを取り壊し、福羽邸内に
ひそかに建てた小祠に霊璽を移して祀った。
奠都に伴ひ更に東京に移されて祭祀が続けられたが、
招魂社のさきがけとも言ふべき由緒に鑑み、昭和六年
福羽亭より神社に遷座、元宮と称して今日に至る。
炎天、燃えるような暑さの一日であった。畏友F君と合流し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に立ち寄り、一華を
今年もこうして、終戦記念日が暮れてゆく。
天皇陛下万歳
祝日「スポーツの日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ、拝礼する。
それにしてもしかし、依然時疫は
もとは「体育の日」であったこの祝日を「スポーツの日」と改め、もとの10月の祝日から、オリンピック開催予定の今日にまで移動させて臨んだオリンピックだ。だが、そのオリンピックがこんなことになってしまうとは、7年前、平成25年(2013)の開催地選定時に誰が想像したろうか。
何より、ぎりぎりまで鍛え抜いている選手たちは、一日一日の練習にすべてをつぎ込み、「あと残り1,500日と15時間30分!」というような、それこそ分刻み、秒刻みの鍛え方をしてきていたのであろうから、この延期は打撃であろう。お見舞いを申し上げたい。