日航機123便墜落事故

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 ふと思ったことだが、日航機123便墜落事故があったのは昭和60年(1985)の夏だった。

 当時私は既に自衛官ではあったものの、陸自生徒・陸士長で18歳、当時の生徒中期教育で富士学校に入校中であったから、日航機救助のための災害派遣とは無縁だった。

 しかし、先輩には参加した人がおり、凄惨な現場の様子を、後になってポツリポツリと聞かされた。

 そんな私がもう60歳だから、当時現場に行った自衛官はもう現職自衛官としては自衛隊に残ってはいまい。60歳の将官はいるだろうが、防大出だと当時まだ高校生か、防大の1年生あたりだから、無論日航機の現場は知らないと思う。

 再任用で自衛隊に残っている自衛官の中には、ひょっとすると現場へ行った人がいるかもしれない。だが、いても少しだけだろう。


 この記事は、Threadsに書いた記事からの転載です。

災害派遣で人を助ける

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 「自衛隊の悪口言う奴なんか、災害時に助けるな!まして『貧乏人呼ばわり』する奴なんか、助けなくていい!」みたいなことを書いている人が結構いて、いや、それは違うぞ、誰でも助けなきゃいかん、何なら戦時だって、敵国の困っている人や、傷を負った敵だって、助けなきゃいかんのだぞ、人道ってモンがわからんのか、などと内心ブツブツ考えていて、ふと次のようなことを思い出した。

 3尉の頃、私は阪神淡路大震災の災害派遣に従事した。神戸では「平和の街神戸を軍靴で踏みにじるな!」だのと一般の人から抗議された。海自からは輸送艦「さつま」他の艦隊が派遣されて神戸港に入り、大いに陸自を助けてくれたのだが、神戸の人々はこれをしも「平和の港たる神戸港への戦争道具の入港を拒否する」などとがなりたてたものだ。

 私も当時若かったものだから、抗議には不満と言うか、 “災害派遣で人を助ける” の続きを読む

自衛隊の戦い

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 私は自衛隊にいた40年もの間、()(フタ)もない端的な言い方をすれば、人殺しの仕方を一貫して鍛え続けていたわけであるが、どの自衛官もそうであるように、それによって人を殺したことはない。

 だがしかし、そうやって対人戦を鍛え続ける一方で、自衛隊は常に人ではない他の何かと戦っていて、今もそれは続いている。

 思いつくまま挙げれば「ウイルスとの戦い」「牛との戦い」「鶏との戦い」「トドとの戦い」「鹿との戦い」 “自衛隊の戦い” の続きを読む

のらりくらり

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 阪神大震災から20年が既に過ぎた。私は当時まだ30歳になる前で、若輩であった反面、中学校を卒業してすぐに自衛隊に入り、ほどなく幹部自衛官になったこともあって、「妙に若いくせに叩き上げ」の現地部隊の小隊長であったから、数十人の部下を率い、一意専心救助にあたった。

 救助活動の最中にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、多くの人が不安を覚えたものだ。

 初夏、麻原彰晃が逮捕された日。神戸から引き上げてきていた私は、その頃六本木にあった防衛庁庁舎の警備の任務にあたっていた。

 都内の厳戒態勢の様子を思い出すと、一緒にその警備任務の苦しさが身ぬちに蘇る気がする。

 本当にその頃 “のらりくらり” の続きを読む