ほんっと、ややこしいのう

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 トルコとロシア。

・ 今々のここらへんのニュース

 ここであらためて、シリアのややこしさをすごく雑に書くと、

  •  アメリカはシリアの現アサド政権を倒したいから、反政府勢力を支援した。
  •  その中に、マズいことに「イスラム国」連中がいて、そいつらまで強くしてしまった。これは、昔アフガンの連中を支援して、タリバンを強くしちまって9.11につながったのと同じ図式。
  •  アメリカにとって、イスラム国はビミョーに敵なような味方なような、ややこしい事態。反政府勢力を支援しつつ、同じ反政府勢力のイスラム国を選択的にやっつけるなんざァ、どだい難しい話。
  •  ロシアは「アメリカが反シリア政権なら、じゃ、俺らは親シリア政権ね」って、真逆。つまり、シンプル~に「イスラム国」は敵。
  •  で、フランスはこの前のことで激怒して空母出したでしょ。
  •  そこへ、シリアの隣国トルコ。トルコはどっちかっつーと反アサド。そこへ今回のややこしい領空侵犯事態。

 こんなグチョグチョなことになって、それで、シリアもう何年も前からこんな惨状でしょう?

 で、さ。な~んにもしてないし、政府や国や外国なんてものにどうしてほしいわけでもない、普通の弱いオッサン・オバハン・子供たち、ぼろ雑巾みたいに扱われて踏みにじられてバタバタ死んでンだよなあ。

 思うに、日本の、意識の高ぁ~い、時事に詳しい人だって、そういう弱い一般人の痛み苦しみをどうしたいとか、あんまり言ってねえんだよな。これは左右どっちもそうなのよ。

 だからさ、そういうトコ、アメリカ人も反省しろ、って思うワケなのよ。だいたい、もともと話をややこしくしてる張本人って、アメリカなんだぜ?

昔のソ連のほうがよっぽど怖かった

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 (かね)てから「新聞ばかり読んでいると、アホになるばかりか、死ぬぞ」なぞという極論、暴言を振りかざしている私である。

 例えば、昨今、新聞記事の影響でか、軍事問題への関心が高まっているように感じられる。日本をとりまく軍事的脅威はますます高まっている、不安だ心配だ、国はなにをやっている、憲法はどうなんだ、官僚は軍備を真面目に整えとるのか、自衛隊はどうなっとるんだ……というような論調に傾いてきたように見えるのだ。

 が、私は、現在の我が国を取り巻く軍事情勢、就中(なかんづく)中国や北朝鮮がどれほど怖いかということは、比較論で言って、昔の対ソ連の時代の足元にも及ばないと思っている。

 ところが、どうも、人々は「昔のソ連や北朝鮮なんか怖くなかった、はっきり言って日本に関係なんかなかった、戦後の日本は戦争を放棄して、安心で安全だった、あの頃はバブルでお金もいっぱいあって幸せだった」と思い込まされているように思う。あるいは、単にその頃若かったか子供だったかして、そういう感覚を持っていなかった、という人もいるかも知れない。

 昔のほうが切実な軍事問題があった、ということには、感覚に訴えやすい好例がある。よく思い出してみてほしい。昔の北朝鮮のほうがよほど怖かった。その例は拉致問題である。

 気の毒にや、日本人が北朝鮮に相次いで拉致されていた頃。考えても見てほしい、かの横田めぐみさんがさらわれたのは、今を去る30年以上も前のことなのだ。今の北朝鮮はさすがに人(さら)いなどしていない。つまり、今の北朝鮮が怖いのではない、「30年前の北朝鮮のほうが現実の意味で怖かった」のである。

 その一方で、30年前の一般の人々の意識はどうであったか。かわいそうに、30年前、拉致の被害者なぞ一顧(いっこ)だにされなかった。自分が30年前、そんなことを問題にしていたかどうか、思い出してほしい。金があった者は財テクなどと言って利殖にうつつを抜かし、かわいそうな拉致の被害者なんかほったらかしだった。北朝鮮だけを例にとってさえ、このとおり、昔のほうが怖かったのだ。

 そればかりではない、ソ連によって日本に照準された核ミサイルはいつでも発射可能な状態に温められ、その数は何百発という途方もない数だった。しかもなお、彼らには上陸戦闘をやってのける潜在力があった。

 韓国も恐ろしく、竹島近辺で拿捕された何百という日本の漁民の中には殴り殺される者すらいた。

 そして、何千万という粛清が続いていることだけが断片的に伝わってくる、国交のない中共の不気味さと言ったらなかった。しかも、中共は昭和39年にはとっとと核実験をすませ、核武装国になりおおせていた。田中角栄大活躍の国交回復後、日本がせっせと献上した金で、せっせと核ミサイルを増備して日本に照準を合わせていたのだから、笑えぬ冗談もいいところだ。

 たとえ日本に直接の関係はなくても、子供の頃、クラスにインドシナ難民の子がいたという人もいるだろう。兵庫県の人には覚えがあると思う。難民キャンプが姫路にあったからだ。ベトナム戦争を持ち出すまでもない。あの頃、人々が国を捨てて逃げ出すようなアジアの戦乱は、即、日本にも指向されておかしくなかった。

 そして、日本に原爆を叩き込んで虐殺の限りをつくし、沖縄の人々を虐げていたアメリカ人を、誰も彼もが大好きという、もう、脳味噌はどうなっているんですかと言わざるを得ない、狂気のような状況に日本はあった。

 昔のほうがよほど、日本とその周辺国がそういう不気味な殺戮の嵐に包まれていたのに、ほんのごくわずかな人しかそれを直視しようとせず、何とかしようという努力を誰もしていなかった。そして、防衛費はGNP比1%の枠に(かたく)なに固定され、軍事問題に理解のない国民が圧倒的大多数を占め、自衛隊は土木作業員か賤民のような地位にしかなく、弾薬すらないありさまだった。

 新聞にそれらの問題が論じられることはまったくなかった。狂気の中でちいさい平和を見つけては、平和経済大国日本万歳とみんながみんな言い続けていた。

 私に言わせれば、むしろ最近は日本をとりまく軍事的脅威の絶対量なんか弱まっている。そうなってから、みんな軍事問題に首を突っ込み出した。

 勝手なものだ。

 アラビア~イスラムと言うけれど、9.11でどれほどの人が死んだか、広島・長崎の10倍も人が死んだのか、アメリカ人もよくよく自問自答すべきだ。

 これらがすべて、新聞の作用によると言ったら、言い過ぎだと非難されるだろうが、私は言い過ぎだと思わない。

 ただ、なにか、私自身がルサンチマンめいたねじれ方をしている、ということは、多少なりとも認めざるを得ないとは思う。

やられたらやりかえすのはバカか覚悟か

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 テレビドラマにかぶれて「10倍返し」だなんだと言っていた人たちが同じ口で「テロへの報復は憎しみの連鎖をよぶだけだからやめるべき」なんて言っているのを、人間ってものはいろいろ揺れるもんだなと感じながら傍観している。

 ただ、成算のない仕返しは単なるうっぷん晴らしにすら届かず、返り討ちになるだけだ、ということは言えると思う。それはドラマの中の銀行員の「10倍返し」だって同じことだ。

 仕返ししても負けるから、さしあたりガマンしておこう、というのは大人の選択ではある。子供の頃、ひねこびた性格だった私は、よくそういう選択をした。

 子供だって、負けないためには覚悟をする。仕返しの連鎖の終局に勝ち残るには、相手を刺し殺して少年鑑別所に入る、という覚悟が要り、それには家族や兄弟を路頭に放り出しても頓着しない覚悟が要る。私の父は刑務所の職員であったから、家から縄付きを出せば退職するならわしも昔はあったのである。

 人に手を出す奴というのは、そういうコッチの事情を見越した卑怯なところがあるものだった。一方の、「終わりには結局負けてしまう、つまり相手を殺すことはできず、散々損をして負けることになるから、それだったらとりあえず早いうちに負けとこ」という、そういう選択をする私のような子供は、誠にかわいげがなく、老成している。

 子供の争いと国家間の戦争や紛争では訳が違うが、覚悟のあるなしという点では似たところはある。その意味では日本は老成している。

 逆に、相手を屈服させるためならどんな犯罪人にでもなる、そういう中学生のような覚悟をしている国の代表格はアメリカだろう。やっこさんたちの核兵器や化学兵器、生物兵器の保有量、9.11で殺されたアメリカ人の人数と、その報復でアメリカ人が殺した中東の人々の人数を調べれば、「はて、イラクの大量破壊兵器の保有を責め立てたのは、どこの誰だったかしら」と、常人なら頭が混乱するはずだ。非人道の極北へまっしぐら、彼らが信奉するキリスト教の教義にすら背いてでもそうする、無辜の市民の10万人や20万人、核兵器で焼き殺してでも屈服させる、そのためなら人類の文明なんか破却してもかまわん、こっちの勝手を押し通すためならどんな汚名をこうむろうと無視する、そういう覚悟だろう。いや、逆に何も考えていない単なるバカ、とするともっと簡単ではあるが……。

 強いバカ国の国民というのは、なんと能天気なことだろう、という写真がある。何年か前の写真だが、一方で戦争しながら、国民はこういう暮らしだ。

  •  http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51809534.html
  •  地方のスーパーに買い物に来ている人々を撮影したものだそうだが、とても一方の手で人殺し、報復戦争をしている人々とは思えない。

     ともあれ、冷厳・冷徹な合理主義でものを決めつつ、かつ、好みや気分にも忠実、というバランスがうらやましく妬ましい。

     個人もそうありたいものだが、やっぱり、私などはリアリズムに欠ける。きっと、多くの日本人も、冷厳なリアリズムは苦手なのではないだろうか。

     災害時の医療現場でトリアージにあって残念ながら死んだ人の家族が裁判を起こして医療関係者を訴える、そういう情が日本人である。玉砕して無線機なんかないアッツ島に、打つ意味のない鎮魂の無線電信をそれでも打つ、そういう悲しい、非合理の選択をしてしまうウェットな愛、やっぱりそれが日本人である。

     日本人はマキャベリばりのリアリズムなんて嫌いなのだろう。アメリカ人のバカ写真を見ては、関連も根拠もなくそう思う。

    マルコムXの孫とWTC

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     昨日久しぶりに愛蔵の名作DVD「マルコムX」を見た。なんとなれば、昨日マルコムXの孫のシャバズ氏がブラジルで殺されたことをニュースで知ったからである。

     マルコムXはいわずと知れたブラック・モスレムの活動家である。日本で言えば大正時代に生まれた人物であることを思うと、彼がどのように育ったかが想像できる。

     DVDでは、主演のデンゼル・ワシントンが、もう、笑っちゃうくらいソックリにマルコムXに扮している。デンゼル若いなあ、と思ってDVDのパッケージ裏をヒョイと見ると、公開は平成5年(1993)とあるから、なんともう20年も前だ。

     平成5年というのは、WTCの地下駐車場で爆破テロがあった年である。9.11の陰に隠れて忘れられがちであるが、これもやはりイスラムの連中が「やっちまった…」ことであった。

     WTC地下駐車場の爆破テロが起こったのは平成5年の2月26日である。他方、アメリカでこの「マルコムX」が公開されたのは、それに先立つ平成4年の冬、11月18日だ。日本では爆破テロの1週間前、平成5年の2月20日に公開されている。

     昨日のニュースでは、旧WTCの跡地に建設されていた「WTC1」がついにもとのWTCの高さに達したとも報じられた。一昨日、5月10日のことであるという。

     「どうだこの野郎」と言わぬばかりのアメリカ人らしい復興が、憎たらしい。しかし、9.11で亡くなった多くの人たちは、そんなアメリカの唱える正義などになんの関係もない弱者でもあった。そしてなおアメリカが、アフガンで、イラクで繰り広げた、9.11で亡くなった人たちの数十倍にも及ぶ報復のための殺戮もまた、国や活動家とは何の関係もない弱者に指向されたことを、同時に弁えなければならぬ。

     ヒロシマもナガサキも、帝国政府の無策と無能によって招き寄せられた当然の帰結だと強弁し、日本人は罪の意識のもと反省し続けなければならないとするなら、WTCの炎上と倒壊もまた、アメリカ政府の傍若無人と破廉恥によって下された審判であったとして永久に反省されなければなるまい。核爆弾に比べれば、9.11なぞ、ほんのお遊び程度の可愛らしい規模でしかなかったが…。

     アメリカが完全民主主義と自由を標榜すればするほど、独裁を保持するアメリカ大統領などではなく、アメリカ合衆国国民自身、一人ひとりが9.11を招き寄せたという論理が成り立つことになる。だが、アメリカ政府の誘導よろしきを得て、9.11を正義実行の懐かしい追憶点として涙するアメリカ人はいても、自らの罪を反省するアメリカ人などいるまい。

     そして、多くの日本人がそれに同調していることも、あまりにも悲しい。日本では、イスラムに攻め込むアメリカに協力することは国是であり国益への寄与であるとされる。

     そんな思いが、麻糸のように千々に乱れる、昨日の映画鑑賞であった。

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    突然気付いた点

    投稿日:

     先だって「あの頃はフリードリヒがいた」という、岩波少年文庫から出ている子供向けの本を読み、いたく感じ入った。

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     あまりにも抑制気味の筆致が、大人には余計に考え込ませて悲惨の気持ちを増幅する。いい本だと思い、長女(小6)にやった。

     このブログの「最近読んだ本」というサイドバー項目にも出してある。それを見て誰か読む人でもあればという心持ちである。

     そのサイドバー項目を眺めていて、突然気付いたことがある。

     ドイツは戦争に敗れた。だから、悲しみをもって、罪のない者を痛めつけたことを反省できる。アンネをかくまい、フリードリヒをかくまった者を温かい目で見、それら善意の人々を逮捕した秘密警察を憎むことができる。ユダヤ人をいじめ殺したアウシュビッツやベルゲンベルゼンの跡地をむしろ逆に保護保存し、反省することができるのだ。

     だが、アメリカで、たとえば強制収容所に連行されようとする日系人をかくまった善意の人がいたとして──いや、広い国土だ、そういう者だってかならずいたであろう──そういう善意の人は、温かい目でなど永久に見られることはないだろう。日系人と言ってピンと来なければ、9.11直後のアルカーイダ兵の家族でもなんでもいい。アメリカ人は、彼らをいたわる者があれば、逮捕し訴追し、刑務所にブチ込んで殴るだろうし、アルカーイダの下っ端兵士をなぶり殺しにした三下将校を英雄だと言って勲章の一つもやるだろう。

     アメリカ人は永久に弱いものをいたわる気持ちなど持つことはできないに違いない。あいつらなど、黒人の大量強制連行や原子爆弾による文明と人道への嘲笑ですら反省していないではないか。

     彼らは正しいのではない。彼らはよこしまに強いだけだ。強いものが正しいと言うのは誤りだ。弱いものでも正しいものは正しいし、強いものでも邪なものは邪なのだ。

     いっそ、ワシントンとニューヨークあたりで水爆でも炸裂して、2億人ほど死ねば彼らも反省と言う気持ちを知るに違いないのだが、そのようなことなど永久になさそうなのが口惜しい。アメリカ自身の退廃ぶりの見返りの疫病、たとえばエイズなどで死に絶えてくれないかと思ったが、逆にエイズで滅びそうなのはアフリカ諸国であったりする。

     専制国家中国に頭を押さえつけられるくらいならアメリカにナメられたほうがまだマシではあるが・・・。

    原子爆弾の投下は

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     白人がいかなる修辞をもって詭弁を弄しようと、原爆の投下は戦争犯罪であり、それを命じた合衆国大統領は戦争犯罪人であり、爆撃機の操縦者その他も同じく戦争犯罪人である。

     米国は独裁国家ではなく、民主国家であった。米国内の合法的かつ民主的手段によって原爆の製造と投下を命じた卑しむべき大統領は選ばれた。専制君主が民衆の意図とかかわりなく恣意によって原爆を製造して投下したのとはちがう。それはアメリカ一般民衆の総意であった。と、いうことは、アメリカの市民一人一人は、同時にすべて文明の敵であり、戦争犯罪人である。

     日本の神社が彼らによって卑しまれる限り、キリスト教とアメリカ人はおなじく卑しまれ、蔑まれる。

     「いわゆる『9.11』テロは、歴史に新時代を記す壮挙であって、WTCに突っ込んだイスラム戦士は顕彰されるべき英雄だ、9.11によって数百万のアメリカ人が結局は救われた」などと言われて喜ぶ米国人がいるなら話は別だが。

     Even if white men make any kind of excuse, it is war crimes to have dropped an A-bomb on Japan.
     President of United States of America which ordered by an atomic bombing is a war criminal.
     The pilots of the bomber are war criminals, too.

     The United States of America was not an autocracy. It was more always than World War II a democracy.
     The President of United States of America was chosen in election. The President was chosen by the legal, democratic means of the United States of America. And the President ordered by an atomic bombing.
     An absolute monarch did not ignore the intention of the people. The President did not let you produce atom bombs forcibly. The President did not drop an atom bomb on Japan by force.

     In other words an American citizen did the holocaust with the atom bomb.
     In other words it is an enemy of the civilization, and all the American citizens are war criminals.

     If a Japanese Shinto shrine is looked down upon by them, Christianity and the American are looked down upon in the same way.

     "9.11 terrors are historic splendid attack. The mujahedin who entered into the World Trade Center is a splendid hero. Millions of Americans did not die by 9.11 terrorism. "

     My opinion withdraws it if there is an American pleased to hear such words.