本物の侍ならば

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 西鋭夫が嫌いだ。

 個人がどんな方なのかなど全く知らないので、知らないくせに嫌いもへったくれもないだろう、という気もするが、私が嫌いなのは個人とは遊離した「西鋭夫というコンテンツが嫌い」と言えばより正確で、人格を排撃しようなどというつもりはない。なんとなくだが、個人は多分、賢い、いい人なんだろう。

 だが、嫌いなものは嫌いなのだ。嫌いな理由を論理的に説明しろなぞ、人参が嫌いな子供に嫌いな理由を問うようなもので、掘り下げたところで面白くもクソもないが、日曜日で時間があるから、嫌いな理由を無理に考えてみた。

 本当の侍なら、「西鋭夫氏はCIAの招聘を義によって蹴り、相手をして『西鋭夫こそラスト・サムライだ』と言わしめた」なんてコッパズカシイことを、まるで良心的な他人が伝聞したかのような筆致で自分で書くか書かせるかなんぞ、せんだろう。そういうことはしゃべくり散らかしたりなんかせず、自分の胸にしまっておくのではないか、本物の侍だと名乗るならば。

 百歩譲って依頼した広告屋がこんな案文を「西先生、紹介文はこれでよろしいでしょうか」なんて言って持ってきたら、「キミ、これはダメだよー(苦笑)」って、取り下げさせなきゃさー。

 そういうことを書くことが「無知蒙昧な一般読者を獲得するための惹き文句になる」と考える粗雑さも嫌だ。

 「上から目線の感度の低い爺ぃセンセイ」みたいな臭気が紛々と漂っているのが気持ち悪いのだ。

 だいたい、気づいていただけるだろうか。「侍」じゃなくて、「サムライ」だぜ?

 昭和の歌謡曲じゃあるまいし、カタカナで「サムライ」なんて書かれて、みなさん、恥ずかしくないか?バカにしてんだよ、結局は侍って存在や価値をさ。それに、日本の人口の圧倒的大多数は農民で、侍なんてごく一部しかいなかったんだからさ、それを最も尊重すべき日本的価値の褒め言葉みたいに言うなんざァ、ちゃんちゃらおかしくって屁も出ねェわ。

西鋭夫嫌い

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 またこの腹の立つおっさんの記事が推進されてくる。あーっ、もう、腹立つなあ。

 なんで腹が立つのか考えてみた。

 「兵隊でも侍でもない、勉強が得意なだけのオタクのくせに、安全な金持ち学者の立場から兵隊や侍を論じる」

……というところかなあ。なにしろ、こういう爺の年代で、兵隊や侍たりえたはずがないもの。ポヨンと脂肪のついた、だらしない下腹の肉体で「お前ら兵隊はもっと鍛えろ!」みたいなこと言われたって、誰がそんなこと聞くもんかい。

Google Play Musicは文字が化けるが

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 Google Play Musicは文字が化ける。この対処にはいくつかの手段がある。

  1.  大事なのは耳から聞こえる音楽だ!その説明文なんかどうだっていい!
  2.  文字が化けるのは正常ではないのでなんとかしたい

 上記1.の方は、もう、文字化けなんか関係なく、どっぷり音楽に親しむといいと思う。文字なんか放っておいたって、音は出る。

 「いやそうじゃないんだ、俺は2.だ!」という方は、「google play music 文字化け」などで検索すると、とてもたくさんの情報が出てくるので、その情報に従い、音楽データの文字情報をUTF-8あるいは16にコンバートすると良い。私も前から「id3uni」だの「mp3tag」だの、他人様の作品をありがたく使わせていただいている。

アップロード終わり

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 Google Play Music、朝さっそく利用登録をし、自分の音楽フォルダのパスをセットした。

 ほどなく、約2000曲にもなんなんとする自分の音楽データ、スルスルッ、とクラウドの彼方へコピーされていく。

いかん

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 最近週日が忙しく、毎朝のピアノの稽古を怠けていたら、下手になってきた。いかん、いかんいかん。と思いつつまたサボる。

 レパートリーをさらってみたら、もう、あっちこっち綻びだらけ。

少数派を理解せよ、而して

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 人の言う事に耳を傾け、また、人が快いと思うことをしてやり、人が嫌がることをしない。……こういうことは人間が理性の動物である以上、まことに基本的・基礎的で、必要欠くべからざる人生の態度の一つであると言えよう。そこに何らの疑問もない。

 ただ、それにも限度と言うものはある。

 人生の甲を経てくると、人間には実に様々な性癖と好悪を有する一群の者たちがあることを、知識ではなく実体験として知るものだが、そんな中には、例えば、

  •  糞便を全身に塗りたくることを無上の喜びとしているような者
  •  覚醒剤中毒患者
  •  殺人がやめられなくなった者
  •  児童を犯す者
  •  盗癖者
  •  痴漢・痴婦

……などという極端な者たちもある。

 こういう連中に対するとき、生理的な嫌悪のもと反射的に遠ざけてしまうのは、ごく一般の人にとって仕方のないことだ。だが、そこをげて、到底常人の生理の許すあたわざるこういうやからを冷静に良く調べ、彼らの心や内実を理解するということは、この価値観の多様化した現代を生きる常識人にとって、必要なことである。犯罪人の取り調べにあたる警察官などは、日々そういうことに心を砕いているのではなかろうか。

 だが、こういう極端な者たちが望むことをしてやる必要は、ない。いくら人として、相手が快いと思うことをしてやることが基本だと言っても、このような連中を調べて理解することはしても、彼らが望むことをしてやる必要などないのだ。

 これを帰納すれば、

「少数の者を愛ある態度で理解することは必要だが、その好むところをなしてやるべきとは必ずしも言えない」

ということである。

 最近、政治的に絶叫しだした人も多い。冷静にして、多数派とは言えない。だがしかし、彼らの話を聞き、彼らの言うところ、求めるところを理解する必要が大いにある。多数派でないからこそ、少数派だからこそ、その主張するところを理解しなければ人類は進歩しないのである。

 しかし、その要求するところをれるかどうかは、別問題である。

「ウンコはおいしいものです。あなたもこの美味を体験すべきです。さあ、みんなでウンコ食べようウンコウンコー」

……などと言われれば、

「そうですかおいしいのですか。なるほど、おそらくインドールやスカンドールなどの香味成分が脳の快感中枢を刺激して美味なのでしょうね。よかったですね。これからも頑張ってください」

と、彼らの心の内を研究し、理解はする。

 だがしかし、俺はウンコなど食わん。そんなことができるか。誰がお前らの仲間になどなってやるものか馬鹿野郎。