来世と意識の高い層

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 善行の正しいありかたが奈辺にあるか、できるだけゲスっぽく考える。

 日本人のトラッドな宗教観からすると、古来の自然信仰道に神道と仏教がほどよく入り混じった考え方になる。しかもなお、日本人の場合、仏教にも大乗と小乗がほどよく入り混じり、善行の発露のしかたに影響している。なおかつ近代はキリスト教の裁きの日を恐れる気持ちなどまで流入して、一種独特の考え方になっていると言える。

 善行による結果の取得先が自か他かで多少議論はあるだろうが、シンプルに書けば「よりよい来世を得るため、他に善行を施し、自に徳を積む」ということでだいたい合っているだろう。

 よりよい来世が得られるかどうかというのは、一種の確率である。六道輪廻転生などと言えば、確率×確率×確率……、つまり確率の6乗ということで、一種の確率過程で屁理屈をこねて遊べるかもしれない。善行のマルコフ過程、などと専門用語をちりばめると、私もいかにも頭が良い人に見え、実力以上の尊敬が得られることは疑いない。

 話を戻す。まず、最初の「来世なるものが存在するか否か」というのが確率で言えるのであるが、これは言い出すとハナから話にならぬから、とりあえずアッチへうっちゃる。

 次に、「よい来世」というのが何かということの定義である。指標を持ち出して言える定義はなかなかないので、不本意ながらゼニカネで言ってみる。ここがまあ下司な話で、「金持ちに生まれ変わる」というのを仮に「良い来世」とするわけだ。

 では、「金持ちとはなんですか」という、金持ちの定義ということになる。

 こんなものは相対的なもので、100万持ってるから金持ちとか1億持ってるから金持ちとかいう絶対量では言う事はできない。所詮、「人より金を持っている」という比較論でしかない。ちなみに仏教用語ではこうした相対論を「戯論」といい、逆に絶対論でいう事を「金剛論」という。宗教家が金持ちをさげすんで見せるのはそういうところにも原因がある。ま、多くの宗教家はお金が大好きですけどね。

 また脱線した。

 ここで、いわゆる「意識の高い層」の考え方を借りようではないか。世界の人口は今、ざっと72億人と言われている。彼らによるとそのうち1%が世界の富を独占する富裕な人々であるという。昔の共産主義者めいた憎悪を込めると、「悪しき連中」だ(笑)。なんにせよ、彼らゼニカネ独占貴族を除けた、それ以外の99%、71億人は貧乏人と言ってしまおう。アナタもワタシもドイツもフランスも、いや違った、ドイツもコイツも貧乏人、である。

 カネとか富裕とか貧困とかいうこと「だけ」でいえば、よりよい来世が得られる確率は、その1%にもぐり込める確率である。つまり、0.01である、ということになる。

 これを期待値ということで考えると、自分が善行に使えるリソースにこの確率を乗ずれば、使ってもよい量が出る。

 具体的にしてみよう。今、誰かのために喜捨をする、それに使ってもよい捨てガネが100万円ある、そして、期待するのが自分の来世だとする。そうすると、

100万円 × 0.01 = 1万円

 まあ、1万円ほど喜捨をしておくのがせいぜいのいいところ、だ。

 多分であるが、捨ててもよいカネが100万円もある、という人などあまりいない。例えば私あたりの凡百の貧乏人は、募金箱に入れているのは5円だの1円だの、そういうあさましい額でしかない。独身の頃、5万円ほど寄付したことがあったが、これはもう、一世一代の多額であった。

 逆にいうと、募金箱に喜捨する額を0.01で割れば、その人がその人自身の「金持ちに生まれ変わる来世」のために捨ててよいと考えている額が推定できるということになる。

5円 ÷ 0.01 = 500円

 我ながら、まったくしみったれている。情けなくなるほどだ。

 某富豪は、自分の来世のためと言うわけではなかろうが、大震災の時には100億と言う途方もない金員を寄付した。しかし彼のことだ、そこには単純な浪花節やら人類愛、郷土愛なんかではなく、期待値や確率に基づく冷厳な計算がなかったとは言えぬ、いや、なかったとは言えないどころではない、ひょっとするとそればかりだったかも知れない。

 どういう確率を寄付できる総額に乗じたのか、恐れ入ってしまうのはここである。

 私ごとき、500円ほどの額を動かすことで金持ちに生まれ変わりたいなぞ、虫が良すぎると怒鳴りつけられるだろう。

 してみれば、金持ちとしての来世を確率(イコール「運」(笑))で願う者のめでたさには一警をとなえざるを得ない。

 これには逆がある。

 「今と変わらぬ暮らし、凡百の貧乏人」に生まれ変わる率が0.99なら、期待値で考えれば、さっきの500円のうち、495円まではつぎ込んでよいのである。

 つまり、はやく言えば生まれ変わって金持ちになることに現世のリソースをかけるなどムダなのだ。今と変わらぬ不易のほうへ費やす方がよっぽど賢い。

 なんにせよ、金持ちになりたいなどと、下司な来世など願わぬのが賢にして明というべきであろう。

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