読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻を読みはじめ、最初の「日本文化史研究」(内藤虎次郎著)を往きの通勤電車の中で読み終わった。秋葉原での乗り換え前、仲御徒町の駅辺りであったか。

 著者の内藤虎次郎は戦前に活躍した中国学者である。本文中で何か所も「日本史については私は専門外である」という意味のことを言っているが、その実、東洋文化に関する幅広い視点から日本史を俯瞰し、しかもその通低ぶりたるや、日本史専門の学識をはるかに凌駕するものがある。

 本書は日本文化の概観からはじまり、上古時代、奈良~飛鳥、天平、平安、鎌倉、室町、応仁の乱、江戸や大阪の文化、維新史、日本の自然の風景など、さまざまな部分を取り上げてこれに評論を加えるもので、この巻544ページのうちの216ページを占める大著である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「日本文化史研究」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.210より
輸入風景観の堕落

 最近我邦では西洋文化を受入れることになつてからその画法をも伝へるやうになつたが、西洋画を習ひはじめる時に先づ最も感心するのは透視法の応用であつて、これは我邦のみならず、支那においても康熙、乾隆頃、西洋画からして同じやうな影響を受けた。我邦の司馬江漢等の心酔したのもこの点であつたが、その実、西洋の風景画はこれを支那画に比べると極めて幼稚なもので、十六七世紀頃に盛んになつたオランダ派等の風景画でも、支那でいへば十一世紀乃至十三世紀頃の董源、郭熙等のかいた平遠なる風景の画法を好んで用ひるに過ぎない。自己精神を象徴すべくゑがゝれた風景画の起つたのは、最近七八十年この方のことで、その以前の風景画は大部分説明的な、日本でいへば「名勝図会」の挿絵ぐらゐの程度のものが多い。もつとも部分的なスケツチにおいては特種な長所があり、或は又岩とか波とか霧とか光線とかいふやうなものを特別にうまくゑがいたものはある。しかし支那風な構成的な画法においてはその特別な長所が応用せられないところから、西洋風景画の輸入は我風景観に大した影響を与へなかつた。もつとも最近において登山といふことが一種の流行になつたところから、日本の風景に好んで西洋の出店のやうな名称を用ひ、「日本アルプス」「日本ライン」とかいふやうなことが盛んに唱へられるが、それらは多くは詩的若しくは絵画的な芸術眼を必ずしも備へないで地理学、地質学のやうな科学的知識をなまかじりした登山家によつて風景が紹介されるので、素人趣味としても到底芸術的雅趣にはならぬ見方を以て風景を批評するやうな風が起つて来てゐる。一部画家等は又この新流行の悪趣味に捉はれて、如何に風景を画中にとり入れるべきかの考へもなく、たゞ登山家が見て感心するやうな見処をそのまゝ画にしようとつとめて、つまらない失敗を重ねるものが多い。これは実に風景観に関する古来未曾有の堕落といつてもよいのである。

これらの見方は西洋趣味といつても、西洋の芸術家の見方を理解してゐるでもなく、単に西洋風な名目にかぶれて、写真で見た山岳とか渓谷とかの風景で、我邦においてそれに類似したものを拾ひ出して、世界的の景色などと称するに過ぎない。そのいはゆる世界的といふのは、西洋の非芸術家の悪趣味に近いものを日本で見出すだけのことで、日本における特有の景色で他の国にないやうなものを、芸術的にも或は非芸術的にも見出すでもなく、又前にもいつた広重などの如く、読書人階級の趣味以外に新らしき風景の見方を見出すでもなく、或は又蕪村などの如く支那風の手法を用ひながら、日本の或地方において自分の個性で見出した風景を写し出すやうなこともなく、単に新時代において流行的にありふれた景色に心酔してゐるに過ぎない。風景観として最も排斥しなければならぬのはこれらの悪趣味である。

 上の部分は本書の最後のほうに置かれた「日本風景観」という章の一部であるが、もう、似非西洋趣味を排撃してコテンパンである。

言葉

 本書は明治~昭和の初期にかけての戦前の評論なので、古い字づらの言葉が多かった。

動もすれば

 これで「(やや)もすれば」と()む。

下線太字は佐藤俊夫による。p.19より

……外国の材料に依つて研究することは、動もすれば記録の不確実なる朝鮮の歴史から推究さるゝことは寛容しながら、……

 「あと」である。

  •  (モジナビ)
p.22より

……その分布のは近来に至つてますます明瞭になつて来た。

琅玕

 「琅玕(ろうかん)」と読み、碧の宝玉のことである。

p.23より

……恐らく日本人の愛好するが為に特別に製造して輸入したらしく思はるゝ琅玕の勾玉等を見、……

和栲

 これで「和栲(にきたえ)」と訓む。織の細かな布のことである。

p.23より

……当時恐らく日本人は之を以て和栲と称して居つたかと思はるゝので、……

諄い

 「(くど)い」である。「諄々」と書いて「くどくど」と訓む使い方もある。

p.28より

……それまでやりますと余り諄くなりますからやめて置きますが、……

臨菑

 「(リン)()」と読み、中国の地名である。

p.37より

……天主といふものは斉の国の都、臨菑といふ所でありますが、……

竟に

 「(つい)に」と訓む。同じ意味・訓みで「遂に」「終に」などがあるが、「遂に」などがより一般的ではあろう。

p.59より

さういふ関係から日本文化が東洋において、どういふ径路を経て、竟に東洋文化の中心になるか、今日既になりつゝあると思ふのでありますが、……

曩きに

 「()きに」と訓み、「先だって」の意味での「先に」と同じである。

p.75より

……例へば顧凱之の女史箴の巻中にあります人物、其外曩きに日本へ一度来たことがありましたが、買手がないので持つて帰つた閻立本の帝王図巻の人物の姿勢がやはり流動式姿勢を持つてゐます。

摹本

 「()(ほん)」であり、「模本」と同じ意味、すなわち複製のことである。

p.76より

張萱の画はボストンの博物館に宋の徽宗の摹本がありまして、……

態々

 「態々(わざわざ)」と訓む。

p.96より

是は私のやうな別に真言宗の信者でもなく、弘法大師の研究者でもない者が、こんな厚い六冊もある本を何故に態々写して置かなければならぬ程のものかと云ふことを申せば、……

迚も

 「(とて)も」と訓む。

p.99より

私は迚も其処までは研究が届いては居りませぬ。

弥る

 「(わた)る」と訓む。

p.113より

閻立本は唐初の人にして、此等各帝王の時代は数百年に弥れるを以て此等肖像は単に想像によりて画きしものならんとの疑を生ずれども、……

縉紳

 「縉紳(しんしん)」と読み、身分が高く立派な人のことである。「紳士」と同じようなものと思えばよかろう。「縉」は訓読みでは「(さしはさ)む」で、「笏を帯に挟む」意味があり、そのことから身分の高さを言うようである。

  •  縉紳(コトバンク)
  •  (漢字ペディア)
p.120より

……身分高き中央縉紳の生活を模倣せんことを欲求する風盛んとなり、……

滋〻

 「滋〻(ますます)」と訓む。ネット上には「滋〻」での訓みや意味はヒットしないが、用例として「法令(ほうれい)滋々(ますます)(あきら)かにして盗賊(とうぞく)多く有り」などというものが見つかる。「滋」という字には「ふえる・ます」という意味があるので、このように訓むのである。

p.121より

支那肖像画の流行は、唐以来滋〻盛んにして、士大夫の間まで拡がり、……

却々

 「却々(なかなか)」である。仮名で「なかなか」と書く場合と意味は同じである。

p.132より

却々面白い。

暹羅国

 「(せん)()(こく)」と読む。「暹羅」とだけ書けば「シャム」と訓み、言うまでもなくこれは現在のタイ付近のことである。今も「日」「米」「英」などと同じく、タイのことを一字のみで表す場合に、古い書き方では「暹」とする場合がある。

p.143より

羅斛は今日の暹羅国の一部分であつて、支那の元代に出来た島夷志略には……

纔に

 なんて難しい字を書くことだろう。拡大すると「纔」で、訓みは「(わずか)に」である。

  •  (コトバンク)
p.181より

……纔に百余年前にその国訓の附いた文字だけの抄録本が先づ世に行はれたが、……

幽邃

 「幽邃(ゆうすい)」と読む。奥深く静かなことを言う。

p.203より

道教の方からいへば、支那で最も風景の幽邃なところを三十六洞天、七十二福地などゝいふ風に選定して、……

峰巒

 「峰巒(ほうらん)」と読む。単純に山岳の峰のことを言う。「巒」は「やまなみ」を表す字である。

  •  峰巒(コトバンク)
  •  (モジナビ)
ルビは佐藤俊夫による。p.210より。

……山の(みゃく)(らく)、水の原委を峰巒樹石の間に見え隠れにゑがくといふことなどは、初めは最も新しい手法であらうが、……

 次は同じく17巻から、「黒船前後」(服部()(そう)著)を読む。

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