魂なき科学と長崎原爆忌

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 8月は広島原爆忌、長崎原爆忌、敗戦忌と続く。

 今日は長崎原爆忌だ。幾万の犠牲者のたまき()魂魄(こんぱく)を思い、悲しむ。

 長崎に投下された原爆は、「Mark 3 “Fat man(デブ)“」という名前であったことが知られる。

 実は20年ほど前までは、この「Fat man」が広島に、長崎にはもう一方の「Little boy(チビ)」が投下されたと信じられてきた。ところが情報公開が進み、逆であったことがわかったのである。

 長崎に投下された原爆の種類と、広島のそれとが逆に発表されてきたことには、実は腹立たしい理由がある。

 長崎に投下された「Fat man」は、広島に投下された「Little boy」より威力が大きかった。だが、長崎のほうが死者が少なかった。そうすると、これらを設計した科学者や技術者の計算ミスと言うことになり、多くの者が処分されてしまう。そこで、広島に投下されたものと長崎に投下されたものとを、長らく逆に発表してきたのだ。

 死者が多い少ないと言う恐ろしい報告は、豆とか麦を(ます)で計って目方が多い少ないなどと言う事とはわけが違う。額に汗して真面目に暮らしていた人々の、かけがえのない命が2万3万多いだとか少ないだとか言っているのだ。数十余万に及ぶ(おびただ)しい人々を虐殺しておいて、博士修士といった連中のたかが100人がところが「俺がクビになっちまう、来月の給料はぁ~?」などと言ってうるさいから、とりあえず逆に報告しておきましょうなどという、そういう話なのだ。

 この文章を読む方に言いたいが、指を折って2万とか3万とかいう数を数えたことがあるだろうか。ほとんどの人が、実際に指折り数えたことがある数字は、千くらいまでがせいぜいだと思う。自分が数えたこともないような数の人が死んでいるのだ。それを、科学者の地位の保全のために誤魔化(ごまか)したのである。

 使われたプルトニウムはハンフォード・サイトというところにある原子炉で作られたが、この近所には、今、億万長者ビル・ゲイツ氏の自宅がある。近所、と言っても200kmほど離れているが。

 「ファットマン」はプルトニウム爆縮型の核兵器だ。プルトニウムを爆薬で包み込み、爆薬に点火すると爆圧が急激に内向する。それによりプルトニウムが高速かつ極度に圧縮されて臨界を超え、核爆発が起こるのだ。原理的に丸い形状にならざるを得ないので、文字通り「Fat Man(デブ)」の形状となったのである。

 だが、単純に爆薬で覆えばいいと言うものではない。1か所に点火すると、爆発が点火場所から順次伝わっていくので、プルトニウムを全方向から均一に圧縮することができない。

 どうにかならないかというわけで、点火栓を周囲に沢山取り付けて爆発させてみた。ところが、これでは「あちこちから棒で同時に突ッつき回した」ようになってしまい、プルトニウムを均一に圧縮することはできなかった。

 そこで、かのフォン・ノイマンの登場となる。そう、「ノイマン型コンピュータ」の考案者、あのノイマンだ。天才的数学者であった彼は、爆轟速度の異なる2種類の火薬を二次曲面で精緻に組み合わせた「爆縮レンズ」を計算により編み出した。

 魂を持たぬ科学、愛を失った天才ほど恐ろしいものはない。この計画を強力に推進したアインシュタインでさえ、後年に至って

「私たちは、知性を神格化しないように、十分注意しなければなりません。知性は、言うまでもなく強力な筋肉をもってはいますが、人格をもってはおりません。〔……〕知性は、方法や道具に対しては、鋭い鑑識眼をもってはいますが、目的や価値に関しては盲目です。」

「宗教なき科学はびっこ((出典ママ))であり、科学なき宗教はめくら((出典ママ))なのです」

(アルバート・アインシュタイン『晩年に思う』より)

 と言っている。

 かくてプルトニウムは全周囲から爆発的圧力で均等に圧縮可能となった。技術的には、科学的には、つまり人間の脳味噌のなしうる器用な働きの上からは、これは大成功だ。

 だがその大成功の産物は、あいつらの言う、人類が到達しえた至高の知性の産物は、無辜(むこ)・無防備の素朴な長崎市民の只中へ放り込まれ、恐るべき地獄の業火となって炸裂したのである。

 稀代の頭脳にして人類の至宝、フォン・ノイマンの手になる、精緻な科学的知性の帰結であるこのガジェットが(もたら)した凄惨な地獄絵図は、結果として人類文明史上最悪の汚点となり、かつまた欧米白人科学史上の恥となって永久に消えぬこととなった。

 戦争であろうと、科学であろうと、やっていいことといけないことの区別が、やはりあろう。それを思えば、長崎の虐殺は「やってはいけないこと」であったには違いない。

https://youtu.be/grFZiNaNVds?t=4m21s

「原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる!そうしたことを計画、実行した人たちが今、被告たちを裁いているのだ!」(東京裁判弁護人・ベン・ブルース・ブレイクニー少佐の弁護より)

 東京裁判では、米側弁護人ですらこう言わざるを得なかったのだ。

 原爆が欧米白人科学史上の恥となった、と私が言う証拠に、ブレイクニーが畳みかけたこのくだりは、見てのとおり映像には残ったものの、映像の中にも触れられている通り、同時通訳が停止され、速記録からは抹殺された状態で出版されてしまった。

スポーツ異見

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 スポーツが嫌いだ。特に野球・サッカーなどの球技は大嫌いだ。

 球技選手のスターは尊敬され、大金持ちになるばかりか、偉人伝にさえ収載されることはイチロー何某(なにがし)の例を見るまでもあるまい。

 こうしたスターになるべく、個人は絶えざる研鑽、修練、鍛錬、訓練を積む。

 これを基盤として、集団となって訓練に次ぐ訓練を重ねる。勝敗のためには自己犠牲を(いと)わず、チームのため徹底的な献身を強いられる。多少の怪我など我慢してチームのために頑張り抜くことが美徳とされる。この美徳から外れた者は排除されるべき弱者であって物笑いの種となる。

 これは軍隊だ。

 恐ろしい。こういう個の抑圧を繰り返し、それを尊ぶようなことを当たり前だと思うように洗脳されると、その集団は戦争をする国を作り上げてしまうだろう。

 平和な社会を作るためには、憲法だのなんだのを論議する前に、まず、これら恐るべき洗脳カルト集団、プロ野球、プロサッカーをはじめとする抑圧的スポーツを廃止することが肝要ではなかろうか。

 護憲論者はまずスポーツの抑圧・廃止から手を付けてはどうか。

今週時事色々

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 新聞・テレビ嫌いの私が、やたらと新聞サイトのリンクを貼りまくるのもどうかと言う感じだが、まあ、時代の記録、ってところで……。10年後あたりに読み返すための覚え書き。

eは鋭アクセント付き

 「Pokémon GO」で閉じた週だったなあ、などと思いつつ。帝國大朝日新聞サイトでは文字コードの関係か、

「Pokemon GO」(ポケモンゴー、eは鋭アクセント付き)

……と、強迫神経症気味にこればかり書いているのもいとをかし、である。

 口に出す時など、この読んだ文字列がクセになってしまい、

「ぽけもんごお、いぃはえいあくせんとつき」

などと言ってしまいそうである。

 帝國大朝日サイトでは、多分、欧文を必ず全角で書け、というルールにでもなっているのだろう。

 カッコ内の「ポケモンゴー」というのも、音節が「ポケ」と「モンゴー」の間に入りかねない感じで、これでは「ぽけ紋甲」とかいうよっちゃんいかの新製品か何かのように聞こえ、なかなかキュンッとなる金曜日であった。

癌治療法

 驚いた。ウィルスをさながら家畜の如く馴致(じゅんち)し、がん細胞のみを感染症に(かか)らせて死滅させるという。この療法が進歩するように祈る。

危険地域とトルコの件

 まことに不謹慎で申し訳ないが、思わず吹き出してしまった。上野の西洋美術館が世界文化遺産に決定された、その会議地がイスタンブールで、発表がクーデター騒ぎの最中だった時も正直「へ?」と思ったが、こういうことなのね。

 しっかりやっとくなはれや、外務省はん。

大学

 こんな記事読んで、バカじゃねえかコイツ、だったら大学行くなよ、対価の分を得たんだろ、そこをポンッと徴兵制にすり替えて妙に政治っぽいこと言うんじゃねえよクソガキぁ、……などと思っていたら、今度は……

……なんてことを言ってる爺がいる。あのなあ、給料安いって?かたやは借金地獄だって言ってんだぞ。

 奨学金だ徴兵制だと言い立ててる連中に抜けてるのは、「大学の学費が高い。教員の給料下げろ」なんだよな。大学なんてお公家さんの集まりみたいな贅沢な所はアホみたいに寄付金取るしな。そんで、大学の先生連中は軍事研究絶対反対とかホザいてたくせに、変節もいいところ、カネカネ言って、防衛省あたりの研究費なんかツマみはじめて、何してんだよ、と。

 思うんだけど、「青年の高等教育」と「研究開発」を一緒くたにするから、こういうふうになるんじゃねえの?子供を大学に行かせている親だって、奨学金借りてる大学生だって、「教授の給料を払うことにより、日本の研究開発の経費を負担している」なんて意識、ないよ。よくても「大学の軒庇(のきびさし)のもとで勉強する」ために払うのであって、もっと下司味(ゲスミ)の言い方すれば、ほとんどの連中は「自分の子供を『大卒』にする」「自分が『大卒』になる」という、タイトルが欲しいだけだ。

 お前ら大学屋の商売の面倒見てやってンじゃねえんだよボケ。身の程(わきま)えとけ馬鹿野郎。

ドナルド・トランプ

 安全保障がらみは影響大よの~……。閉じこもるアメリカ、複雑な同盟敵対、イスラム……て、第1次大戦の開戦原因の要素と似てんだもの。

 第1次大戦の開戦原因って、セルビア皇太子云々、てのは引き金に過ぎなくて、第1次大戦当時は、戦ってる各国とも、「なんでオレんとこ、戦争してんだっけ?」ってわかんなくなっちゃってたのよ。単に同盟関係で次々に参戦しただけなんだよ。そして、その結末は結局第2次大戦につながって、ドイツ敗戦の成り行きで余った原爆、日本に叩き込まれたんだからさ。

訃報

 どんどん昭和の跡が消えていくなァ。

 参議院に比例代表で当選したのにすぐやめちまったり、政治的な発言などは大嫌いだったが、亡くなったとなれば話は別で、祈冥福(めいふくをいのる)

乱射事件寸見

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乱射朝日記事 先週末のアメリカの乱射事件は大変なことであった。誠に気の毒なことであり、謹んで哀悼したい。

 それにしても、新聞・マスコミから漏れ伝え聞くさまざまな識者の論は混乱の極みであった。そりゃ、そうだろう。テロ論、GLBT論、大量殺人論、イスラム論、大統領選論、銃社会~銃規制論、米国憲法修正2条論、精神疾患論、加うるに米国人一般の退嬰(たいえい)無秩序と無軌道、他人の価値観を受け入れようとせぬ偏狭な米国流個人至上主義、そこへ「実は犯人はゲイだった」などという真偽定かならぬ混ぜっ返し情報まで加わっているのだ。かくもいろんなことがいっぺんに来過ぎてしまって、アメリカ人は勿論、世界の評論家が好き勝手に自分の得意な方向に事件を利用しようとするものだからいけない。これで事件の本質がさっぱりわからなくなってしまい、事件の分析は遅れ、アメリカは適切な再発防止の手が打てないだろう。

 犯人も、よくこれだけ色々と引っ提げて出てきたものだと思う。

 雑談にして余談、知る人ぞ知るところだが、大量殺人の世界記録と言うと、恥ずべきことに長いこと日本が保持していた。「津山三十人殺し」事件である。これは戦前に起こり、戦後しばらくするまで世界記録を保持していた。横溝正史の「八つ墓村」のモチーフになった実事件で、日本人としてはなんとも恥ずかしいことであった。その前には明治時代に「河内十人斬り」などという事件もあったが、これは世界記録と言う程の事でもなかった。

 戦後しばらくして韓国で「宜寧(ぎねい)事件」が起こり、津山事件の記録が塗り替えられた。この宜寧事件、犯人の名で()範坤(はんこん)事件とも言われて知られている。禹は60人もの人を続けて殺害し、実に30年間、世界記録を保持し続けた。

 宜寧事件のあと、つい最近の平成23年(2011年)になって、ノルウェーで連続殺人事件が起こり、70人もの人が殺されて禹の記録が更新された。

 今度のアメリカの事件は死者数において宜寧とノルウェーは下回るが、これらに匹敵はするという恐るべき規模であった。

 多分、「頭のおかしい殺人鬼」が、「たまたまイスラム教徒」で、「たまたま警備員」で、「たまたまその矛先がGLBT」に向き、「たまたま理屈の付くISISへの忠誠」に自分で行動を結び付け、恐怖を利用したいISISがそれをジハードだと言った、……というのが本当のところだろうと思う。これも憶測、推測、個人の思い込みではあるが、しかし、そこを見誤ると、またアメリカはこういうことを口実に戦争に突き進んでしまう。実はイスラムがどうこうなんて付け足しだという、それを解っていて、それを理由づけに中東の人を十倍も百倍も殺すだろう。まったく、やりきれない。

一歩後退したのは何

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 伊勢志摩サミット出席のため来日中のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、昨日夕刻広島に立ち寄り、献花し、スピーチした。

○ ニュース(産経のコラム)

 世間の評判は概ね良いようだ。

 だが、私は釈然としない。

 なんだろう、この嫌な感じ。

 気安く詫びなんか入れてほしくない、謝罪など受け付けてやるもんか、というような気持ちに近い。近いが、何かそれとも違う。

 だが、そんなごく一部の気持ちなんか米国には当然何の関係もなく、当たり前だが大統領は謝罪をしたわけでもなんでもない。用意してきた原稿に従って、淡々と感懐するところを述べただけである。また、スピーチの中で真珠湾がどうとかというようなことを持ち出す不見識なことはしなかったし、事前に騒がれたような、元米兵捕虜を推し立たせるという悪趣味極まることもしなかった。

 スピーチの内容は概ね真摯かつ人道的で、万人に受け入れられるものではあった。

 つまるところ、朝鮮人が日本人に求めるような種類の謝罪を米人に乞うているわけでもなければ、そんな謝罪をされたところでそれを受け入れたいわけでもなく、かつ、向うだって簡単に謝罪なんかしたわけでもない、という、なにやら中途半端な落としどころなのだ。

 果たして、広島は、長崎は、中途半端な落としどころなんかでめでたしめでたしになるような、ここらで手打ちにしときまひょ、ほんならこれからはお互い(あきな)い一直線で額に汗してまいりまひょ、よろしくたのんまっさ、儲かりまっか、ぼちぼちですわ……そんな気楽な土地であったか?

 そんなことになるくらいなら、鎮魂のための永遠の静謐のほうがまだしもの救いであるはずだ。

 多分、総理大臣と大統領がしたことは、幾多の魂魄(こんぱく)をざわめかせただけではなかったか。

 アメリカ合衆国大統領の、広島での感傷程度のことで世界の核兵器が廃絶できるなら、こんな無数の核爆弾実験痕など最初から作らないはずのものではないか。

 そんなセンチメンタリズムで揺らぐ程度の覚悟で、こんな大それた文明への挑戦、自分たちが崇める神をも踏みにじるようなことをやってのけてきたのか?そんな程度の覚悟で、あんな虐殺をしたのか?広島はその程度のものなのか?それくらいの値しか、十有余万の広島県民の魂にはなかったというのか?

 だったら核兵器なんか今すぐ捨てろよ。だけど、できないんだろうが。口先で言うだけで、やる気だってハナからあるまい。欧米人なんぞ、そんなものだ。

 まあ、だからと言って「ええ、ええ、そうですか、そうですか、じゃあ、わかりましたよ。核兵器、捨てません。最初からそんな気持ちありません」と広島で言い放たれてもハラ立つけどな……。

 世の中の人たちは、本当に、オバマの訪問で、これでよい、一歩前進した、と思っているのだろうか。

 ……いや、多分、思っているんだろう。新聞読んでテレビ見て、なるほどなるほどって言うような、素直で頭の良い人たちばっかりだから。学校の先生のご高説で脳味噌を染めて、それを洗脳だとは思いもよらず、自分が偏った考えを持っていない中立な人物だと信じているような、立派で賢い人たちばっかりだから。

 嫌だな、一歩後退したな、と思っているのは、多分、私だけなんだろう。

 私は素直に納得なんかしてやらないぞ、知性ゼロだから。オバマを広島に来させることが知性だと言うなら、知性なぞ糞くらえだ。

殺し合いはここにも

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 様々な物には、人間同士の血みどろの殺し合い、闘争の歴史が隠されており、平和のうちに発達してきたものは意外に少ない。

 例えば、平和で長閑(のどか)に見える農村の、田圃(たんぼ)や畑の広がる風景だって、太古の人類が狩猟・採集生活の頃の殺し合いと奪い合いの歴史を逃れるべく、流血の闘争から編み出した稲作文化の最終形であるかも知れず、かつ、その稲作も土地の奪い合いと覇権につながっていき、更なる流血と闘争を生んでいったことは、考古学者も()うところである。

 世界の人々を自由に交流させ、その文化の発展を急速ならしめる人類の画期的叡智の所産の一つに航空機技術がある。これはあたかも、ライト兄弟が完全に軍事と独立した技術的興味の向かうところに完成されたものの如く考えられがちである。しかしさにあらず、もし航空機がライト兄弟の作成した姿のままであったら、素人が凧揚げを楽しむ程度の意味しかなかったであろう。航空機は第一次、第二次の世界大戦の殺し合いがもたらした強烈な技術的洗礼を受けて現在の姿になっていったのだ。

 また、インターネットが核戦争の歴史につながることも、知る人ぞ知る。のみならず、現在の我々の生活になくてはならない通信や測位を支える人工衛星は、ICBMを敵国に叩き込んで皆殺しにする技術の延長上にできていることは、現在の北朝鮮のなすところなど見るまでもなく、60年も前、とっくの昔に冷戦中の米ソがやってのけてあることだ。

 そのようなことを踏まえつつ、ネットの広告を見ていると、こういうのがあった。

 米国の軍事研究の中には当然合成樹脂の研究もあり、ラップフィルムはその中で生み出されたフィルムなのであるという。

 食品用ラップフィルムは、家庭のお料理の風景になくてはならない、また、家族の団欒のテーブルにも楽しげに置かれる料理の一皿に、当たり前のようにかけられているフィルムだ。

 だが、実はそれは、上陸用舟艇に乗り込んで敵国の海岸に押し寄せる将兵の戦力を大いに発揮させるために開発されたものなのだ。小銃に巻き付けて潮気(しおけ)()かしめるのである。

 このような平和な物にすら殺し合いと闘争の暗い影が入り込んでいるなどということは、日々の安寧な生活を享受する現在の私たちには、簡単に想像することは難しい。

やくざとか犯罪人とか朝鮮のロケット大将軍でも殺せばいいのに

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 アメリカの乱射事件がまたニュースになっている。

 外国のこととはいえ、亡くなった方には哀悼を捧げたい。

 日本でも時々、無差別殺人はある。数年前の秋葉原の事件など、いたましい限りである。

 遡れば、大阪・附属池田小事件なども、思い出して背筋が寒くなる。

 さておき……。

 頭がおかしくなってブチ切れた奴が人を殺して回るというのは、実は昔からあった。その昔の津山30人殺しなどは、横溝正史の「八つ墓村」のモチーフとなって有名だが、後年オーストラリアやアメリカの同種事件に抜かれるまで、戦争以外の大量殺人の世界記録であったという。日本人としては恥の大記録だ。

○ 津山三十人殺し(無限廻廊)

 そのたびに思うのは、なんでコイツら気狂(きちが)いは、抵抗する(すべ)のない弱い者へ向かうのだろう、ということだ。

 どうせ大量殺人をするのなら、小学生やら女なんかではなく、どこか、暴力団とか愚聯隊の事務所などへ殴り込み、全員刺し殺すとか、そういう行動はとれんのだろうか。あるいは、テロリストのアジトへ殴り込んで全員殺すとか、北朝鮮へ旅行して自称大将軍もろとも爆死するとか、もうちょっとできることがあるだろ、と思うのである。赤ん坊とか小学生なんか射殺しててどうするんだ、他に殺す奴いるだろ、ということである。

 殺すんならもうちょっと、殺して世のため人のためになるような奴を殺せよ、何やってんだカスが、と、本心からそう思う。

愛の知能

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 漫然とネットを見ていたら、ネアンデルタール人の頭骨と、現代人の頭骨の写真が出てきた。

 ネアンデルタール人の頭骨は、意外に大きい。脳も現代人より100~200ccほど大きかったという。

 つらつら思うに、ホモ・サピエンスが殺し合いをするのは、ネアンデルタール人の知能を失ったからではないか?ネアンデルタール人の脳は、ホモサピエンスより1割も大きかったが、その知能は、協力、愛、共生といったことに向けられていたのではないだろうか。

ほんっと、ややこしいのう

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 トルコとロシア。

・ 今々のここらへんのニュース

 ここであらためて、シリアのややこしさをすごく雑に書くと、

  •  アメリカはシリアの現アサド政権を倒したいから、反政府勢力を支援した。
  •  その中に、マズいことに「イスラム国」連中がいて、そいつらまで強くしてしまった。これは、昔アフガンの連中を支援して、タリバンを強くしちまって9.11につながったのと同じ図式。
  •  アメリカにとって、イスラム国はビミョーに敵なような味方なような、ややこしい事態。反政府勢力を支援しつつ、同じ反政府勢力のイスラム国を選択的にやっつけるなんざァ、どだい難しい話。
  •  ロシアは「アメリカが反シリア政権なら、じゃ、俺らは親シリア政権ね」って、真逆。つまり、シンプル~に「イスラム国」は敵。
  •  で、フランスはこの前のことで激怒して空母出したでしょ。
  •  そこへ、シリアの隣国トルコ。トルコはどっちかっつーと反アサド。そこへ今回のややこしい領空侵犯事態。

 こんなグチョグチョなことになって、それで、シリアもう何年も前からこんな惨状でしょう?

 で、さ。な~んにもしてないし、政府や国や外国なんてものにどうしてほしいわけでもない、普通の弱いオッサン・オバハン・子供たち、ぼろ雑巾みたいに扱われて踏みにじられてバタバタ死んでンだよなあ。

 思うに、日本の、意識の高ぁ~い、時事に詳しい人だって、そういう弱い一般人の痛み苦しみをどうしたいとか、あんまり言ってねえんだよな。これは左右どっちもそうなのよ。

 だからさ、そういうトコ、アメリカ人も反省しろ、って思うワケなのよ。だいたい、もともと話をややこしくしてる張本人って、アメリカなんだぜ?

【妄想】戦場から差別をなくすことにより社会の差別も消える

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PHM15_0922 ジェンダー・フリーは急進してダイバーシティになり、これがラジカルな色彩を帯びるとGLBT礼賛というようなことにどうやらなるようだ。

 さてそこで考えたのである。戦場がダイバーシティないしGLBTオリエンテッドでないのは、差別であり、人間性に対する挑戦である。

 体が不自由な者、体力が劣る者、性的マイノリティなどが楽に戦闘できるような兵器の開発が急務である。これは将来の戦(しょう)獲得、戦場よりする人類そのものの進歩のため、必ず達成されなければならない。

 戦車の車椅子対応、盲人用小銃、聾人用無線機、GLBT教範、老人用戦闘機、家庭用コンバット・システムなど、日本の科学技術を余すところなくつぎ込み、戦場を多様化するわけである。多様な戦闘力は将来の戦場を支配するであろう。

 小銃一つとっても、「人と環境にやさしいエコモード」とか、女性向けの柔らかいストック、これならメイクも落ちずに安心、フェザータッチのトリガーでらくらく連射、と言ったダイバーシティ&エコ志向が求められる。指向、ではない、「志向」だ。

 人間の歴史は戦争の歴史であったが、その舞台である戦場から差別をなくせば、おのずと社会の差別も将来の歴史から消滅するというものである。

 戦前の研究者は、戦場空間は点から線、線から面、面から体へ進化し、時間軸は(べき)乗に比例して短くなり、そして、その参加者は武士や軍人から、殺される者として一般人までが幅広く参加するようになる、と予言したのであったが、シリアやパリの惨状を見るまでもなく、その言う所の中に的中したものは少なからず含まれる。既にGLBTまでが戦闘に参加する時代が到来したものと考えられる。