ほんっと、ややこしいのう

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 トルコとロシア。

・ 今々のここらへんのニュース

 ここであらためて、シリアのややこしさをすごく雑に書くと、

  •  アメリカはシリアの現アサド政権を倒したいから、反政府勢力を支援した。
  •  その中に、マズいことに「イスラム国」連中がいて、そいつらまで強くしてしまった。これは、昔アフガンの連中を支援して、タリバンを強くしちまって9.11につながったのと同じ図式。
  •  アメリカにとって、イスラム国はビミョーに敵なような味方なような、ややこしい事態。反政府勢力を支援しつつ、同じ反政府勢力のイスラム国を選択的にやっつけるなんざァ、どだい難しい話。
  •  ロシアは「アメリカが反シリア政権なら、じゃ、俺らは親シリア政権ね」って、真逆。つまり、シンプル~に「イスラム国」は敵。
  •  で、フランスはこの前のことで激怒して空母出したでしょ。
  •  そこへ、シリアの隣国トルコ。トルコはどっちかっつーと反アサド。そこへ今回のややこしい領空侵犯事態。

 こんなグチョグチョなことになって、それで、シリアもう何年も前からこんな惨状でしょう?

 で、さ。な~んにもしてないし、政府や国や外国なんてものにどうしてほしいわけでもない、普通の弱いオッサン・オバハン・子供たち、ぼろ雑巾みたいに扱われて踏みにじられてバタバタ死んでンだよなあ。

 思うに、日本の、意識の高ぁ~い、時事に詳しい人だって、そういう弱い一般人の痛み苦しみをどうしたいとか、あんまり言ってねえんだよな。これは左右どっちもそうなのよ。

 だからさ、そういうトコ、アメリカ人も反省しろ、って思うワケなのよ。だいたい、もともと話をややこしくしてる張本人って、アメリカなんだぜ?

今週

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● 連休明け、11月24日火曜日出勤途上、トイレに行きたくなり、南千住駅で降りた。

 五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。

 それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、

「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」

……とアナウンスが流れるではないの。

 当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。

 もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。

● Twitterを漫然と眺めていたら、Tumblrからのリンクが誰かから流れてきて、こういうのだった。

http://menmennamihei.tumblr.com/post/133986893677/ほうれんそうを考えた人って去年亡くなったんですよね-その人の話を読んだんですけど報告連絡相談

 なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。

 で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……

・ 山崎富治氏が死去

……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。


 へぇ~、知らなかったなあ。

● 日本の都知事選あたりの候補者も、マック赤坂だのドクター中松だの変な人物の満艦飾、さながら百鬼夜行で笑えるが、アメリカの大統領選はそんなものを遥かに超越し、日本の変な候補者なんか足元にも及ばない強烈さであるということを知った。

・ http://togetter.com/li/904991

話題のヴァーミン氏
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 あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。

● 「ろくでなし子」という変人の有名人がいる。自分の性器の3Dデータを公開して芸術だと言い張り、騒ぎを起こした人だ。私は別に、この人のファンではないし、「アタマおかしいんじゃねえか」としか思っていないが、「ぱよぱよちーん・しばき隊騒動」に一枚噛んでいて、なんだかその文章がまっすぐで面白いと思った。

・ ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相

 特に、

(引用)

 それと二つ目は、「ぱよぱよちーん」で怒り出す一見怖そうな男性たちが、わたしを逮捕・起訴にまで追い込んだ警察当局や検察当局の人たちととてもよく似ていることでした。彼らも「まんこ」というくだらないテーマに対し、額に青筋を立てて必死になっていました。 

 わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。

 それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。

 なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。

(引用終わり)

……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。

新潟日報部長

 新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。

 というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。

リンドバーグ第二次大戦日記(上)・(下)概見メモ

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リンドバーグ第二次大戦日記(上)・(下)
THE WARTIME JOURNALS OF CHARLES A.LINDBERGH:
Charles A. Lindbergh
Original copyright:Charles A.Lindbergh
This book is published in Japan by arrangement
with Harcourt Brace Jovanovich through
Charles E.Tuttle Co.,Inc.

チャールズ・A・リンドバーグ 新庄哲夫訳
発行昭和49年(1974)1月30日 新潮社

 先日、この本の内容に少しばかり触れたところ、なぜか興味を持つ人が多かったようであったので、特にリンドバーグが赤裸々に書いた下巻の該当箇所を抜書してみようと思う。

p.522

(1944年)6月21日水曜日

 日本兵士殺害に関する将軍の話──数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう2年以上も太平洋地域で戦闘部隊と行をともにしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく──帰国する前にせめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。

 軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。今こそ日本兵を殺すチャンスだと、その捕虜は軍曹の前に引き立てられた。

「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」

「ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」

 偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に、日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。

 このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた。私がそのやり方に反対し、どうしても捕虜を殺さねばならないのなら疚しくない、蛮行に非ざる方法に訴えるべきだと主張すると、私は悠然たる侮蔑と哀れみの態度に接した。「野郎どもがわれわれにやったことだ。奴らを扱うたった一つの方法さ」

p.523

(1944年)6月26日月曜日

 談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の一人が答えた「ところが、我が方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」

「 * * * * *では2千人くらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」

「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と別の将校が調子を合わせる。

「例えば * * *隊だが、かなり残酷なやり方で切り刻まれている隊員の遺体を発見した。それ以来、連中は日本兵をさほど多く捕虜にしなくなったと考えて間違いない」

 話は次いで空中戦や落下傘脱出に移る。一座の操縦士は一人残らず、落下傘で降下中の敵のパイロットを撃ち殺して差し支えないと主張した。もっとも、自分ならそんな真似はしたくないと断わる者が数名いた。「これも、最初はジャップの方からやり出した。奴らがその手を使いたければ、われわれ
にだって同じ手が使えるということだ」。落下傘にぶら下がったまま、日本軍に撃ち殺されたアメリカ軍パイロットの話が幾つか披露された。

p.524

( 1944年)6月28日水曜日

第475飛行連隊の将校連と夕食、夜を共に過す。話題は今夜もまた、戦争や捕虜、記念品のことに及ぶ。我が将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また一般的な人間生活の品位に対しても、敬意を払うという心を持ち合わせておらぬ。日本兵の死体から略奪したり、略奪の最中に死者を”野郎(サノヴァビッチ)”呼ばわりしたりすることも意に介さぬ。
(中略)
「ま、中には奴らの歯をもぎとる兵もいますよ。しかし、大抵はまず奴らを殺してからそれをやっていますね」と将校の一人が言い訳がましく言った。

p.532

(1944年)7月13日木曜日

 ……話が日本軍と我が軍が犯す残虐行為に及んだ。我が軍の一部兵士が日本捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残忍な蛮行をやってのけていることも容認された。我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。事実、この点に関する我々の成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

p.558

(1944年)9月9日土曜日

……アメリカ軍の戦死者は個別的に埋葬されたが、日本軍の戦死体はトラックに積み込み、ブルドーザーが掘り返した大きな穴に放り込んだ。
(中略)
 将校の話によれば、穴の中の遺体を「ブルドーザーにかける」前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む小袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに、耳や鼻を切り落とされている日本軍の戦死体を幾つか見たとも言った。「兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので、首を取り上げねばなりませんでした」。行く先先で聞かされる似たり寄ったりの話だ。

靖国神社と春香クリスティーンと私

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 「春香クリスティーン」とヒョンなことで検索エンジンにキーワードアシストが出てきて、なにコレ誰?と何の気なしに手繰ってみたら、まあ、面白いことwwwww。

 まあ、罪のない女のコのおバカ、と見るか、嘆かわしいと見るか、いろいろと見方はある。

「…それを言うならアーリントン墓地なんて、テロリストの集団埋葬所だろ。戦士の墓?笑わせんな、原爆落とすような人殺し連中がワンサカ埋められてる墓だぜ?しかも、「命令されてしかたなくやった」んじゃねえ、任務達成の充実感を味わいながら大喜びでやりやがったんだ。つまり、洗脳された狂信者たちだ。そんな連中が埋められてる墓なんだアーリントン墓地なんてものは。

 ケッ。言ってやった、ザマァ見ろ。そう言われて胸糞が悪けりゃあ、コッチのやることにもいちいち文句をつけンなよな。」

 …なぞと暴言のひとつも書いてみたくもなるが、実のところ、これしきのことで腹を立てる私ではないし、そこまでヒドい気持ちは持っていない。だいたい、人間、中年になると、怒ろうと思っても逆になかなか腹も立たたないものなのだ。それに、アメリカは靖国神社のことなどいまやハナも引っ掛けない。終戦時は焼き払おうとしたらしいが、むしろ最近献花しようとして逆に日本政府から再検討を促されたくらいだそうな。支那、朝鮮にしても、単に新聞売りたかっただけの朝日新聞が中曽根総理のころに書きたてたから、ああ、そうなの、それなら、まあ、反対の立場で言説でも組み立てときましょうか、ってんで成り行きでこうなっただけで、靖国神社なんて彼らにとってはどうでもよかったのである。

 つまり、靖国神社が無残にコケにされるのも、もとはと言えば日本人が自分自身で招きよせたことであるから、人のことは悪くは言えないのだ。だいたい、中曽根サンのころまでは天皇陛下も御親拝、あるいは悪くしても勅使が参じていたくらいなんである。こうなってしまったのは、気分は悪いが、かえすがえすも私たちが自分で招き寄せた結果なのだ。

 「戦う」と書くが、本当に殺し合いをしている人たちなんて、日本にはごく特殊なやくざ者などを除いてほとんどいない。「必死」と書くが、それは比喩の文字面であって、文字通り「必ず死のう」なんて考えて仕事をしている者もいないのだ。ほとんどの戦いは、所詮デスクワークのたぐいだ。「必死で仕事をする」というのが文字通りなら、日本の自殺者なんて3万人どころではない、3000万人くらいになってしまう。

 だから戦え、というのではない。戦わなくてよくて、本当に幸せなこっちゃ、と腹の底から思わないことがあろうか。

 戦うことや死ぬことを、一生懸命に追体験しようと、また、わがこととしてそれを考えようとするかしないかだけでも、だいぶ違うのだが、実際に戦うということとの間には、それでも天と地ほどの違いがある。

 支那にも朝鮮にもアメリカにもドイツにも、同様の戦士の墓や顕彰所はあり、そして、戦うということを考え込む場所がそういうところなのである。平和主義の人は

「国家権力にだまされた知能の低い人を思いのままに操って、命を捨てさせたりするためには、権力がそういう風にうまくだます場所が必要だ」

…などと言うと思う。自分のことを「知能の低い人」と言われたように感じて、右翼や保守の人はここで激昂するのだが、まあ、会社の命令にだまされて、首をつる人もたくさんいる世の中だ。政府が企業にさしかわっても、2000年来海ゆかば水漬くかばね、みたいなもので、だからだまされているというのも、そんなに間違ってない。

 これらのことをくだくだと言い立てたところで、通じないし、噛み合わないし、議論などもするだけ無駄なのだろう。無駄なことはしないことだ。それを言うと、こうやってヒマにあかせて文字列を量産している私も、まあ、無駄なことをしてるわなあ…。


 この記事は、平成25年12月30日(月)にFacebookに書いたものをコピー・ペーストしたものである。(下リンク)

アメリカなんか頼るな!!

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 アメリカは、日本人を「昆虫 Insect」と言い捨ててほしいままに虐殺した国である。中国・朝鮮が主張する日本の残虐行為の比ではない。

 どうしてそのようなアメリカに、北鮮によって連れ去られた哀れな人々の保護を求めようとするのか、理解に苦しむ。

 アメリカが日本人など保護するはずはない。彼らは彼らを保護する。

 日本人がアメリカ人の盾になる限りにおいて、──日本人10万人がアメリカ人1人の盾になる限りにおいて──やっとたった一人の日本人を彼らは救うだろう。数は単なる例えだが、この例えのとおりなら、日本人100万人が死んで、やっと彼らは日本人を10人助けてくれるのだ。

 なぜって?そういうことをすでにした国がアメリカなのだ。