突然気付いた点

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 先だって「あの頃はフリードリヒがいた」という、岩波少年文庫から出ている子供向けの本を読み、いたく感じ入った。

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520)) あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))
価格:¥ 714(税込)
発売日:2000-06

 あまりにも抑制気味の筆致が、大人には余計に考え込ませて悲惨の気持ちを増幅する。いい本だと思い、長女(小6)にやった。

 このブログの「最近読んだ本」というサイドバー項目にも出してある。それを見て誰か読む人でもあればという心持ちである。

 そのサイドバー項目を眺めていて、突然気付いたことがある。

 ドイツは戦争に敗れた。だから、悲しみをもって、罪のない者を痛めつけたことを反省できる。アンネをかくまい、フリードリヒをかくまった者を温かい目で見、それら善意の人々を逮捕した秘密警察を憎むことができる。ユダヤ人をいじめ殺したアウシュビッツやベルゲンベルゼンの跡地をむしろ逆に保護保存し、反省することができるのだ。

 だが、アメリカで、たとえば強制収容所に連行されようとする日系人をかくまった善意の人がいたとして──いや、広い国土だ、そういう者だってかならずいたであろう──そういう善意の人は、温かい目でなど永久に見られることはないだろう。日系人と言ってピンと来なければ、9.11直後のアルカーイダ兵の家族でもなんでもいい。アメリカ人は、彼らをいたわる者があれば、逮捕し訴追し、刑務所にブチ込んで殴るだろうし、アルカーイダの下っ端兵士をなぶり殺しにした三下将校を英雄だと言って勲章の一つもやるだろう。

 アメリカ人は永久に弱いものをいたわる気持ちなど持つことはできないに違いない。あいつらなど、黒人の大量強制連行や原子爆弾による文明と人道への嘲笑ですら反省していないではないか。

 彼らは正しいのではない。彼らはよこしまに強いだけだ。強いものが正しいと言うのは誤りだ。弱いものでも正しいものは正しいし、強いものでも邪なものは邪なのだ。

 いっそ、ワシントンとニューヨークあたりで水爆でも炸裂して、2億人ほど死ねば彼らも反省と言う気持ちを知るに違いないのだが、そのようなことなど永久になさそうなのが口惜しい。アメリカ自身の退廃ぶりの見返りの疫病、たとえばエイズなどで死に絶えてくれないかと思ったが、逆にエイズで滅びそうなのはアフリカ諸国であったりする。

 専制国家中国に頭を押さえつけられるくらいならアメリカにナメられたほうがまだマシではあるが・・・。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.41

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 土曜・日曜、あわせて40回ほどは「エリーゼのために」の通し練習をしたが、なかなか満足いかない。

 左手がうるさいのを直したいと思い、やさしく弾くように変えつつある。

 終戦記念日の土曜・日曜だ。抜けるような青空が広がっている。靖国神社に行かず、国旗も掲げなかったが、戦争のことを考え込む。

殺人事件

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 猟銃による殺人事件があった。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/sasebo_shooting_incident/

 痛ましい事件であり、あたら前途ある尊い人命が失われたことを悲しむ。被害者とその遺族の心情を思うと酸鼻きわまる。亡くなった方の冥福を祈るよりほかにすべもないのが残念だ。

 しかるに、事件の報道は遺憾といわずしてなんであろうか。犯行の動機の解明を待つこともなしに、ただただ「猟銃の怖さ、日本に銃があることのおそろしさ」という点へばかり傾いているのは間違っている。

 もし、この犯人に銃がなく、持っていたのが包丁かナイフだったとしたらどうだろう。この被害者の敵、蔑むべき犯人は、それでもやはり人を殺しただろう。この男に包丁もナイフも無ければどうしただろうか。この男は自動車で人をはね殺しただろう。それもなければ、扼殺に及んだであろう。そのゆえに、猟銃は原因ではない。

 報道は「猟銃とそれを許可した警察のみが悪い」と言い切っているではいか。

 原因は犯人にある。

 顧みよ、飲酒運転がようやく批判されるようになった。飲酒運転をする者は殺人者である、と、ようやく正しい規律の萌芽が日本にも見られるようになった。だが、「自動車の蔓延と恐怖」などという報道がかつてあったか?

 思い見よ、猟銃による死者と自動車による死者と、どちらが多いか。

 誤解を制する。私は「自動車を撲滅せよ」と言っているのではない。刃物、鈍器、否、石ころでも電気でも、いかなる物も現象も、すべて殺人兵器たりうるのだ。ご飯だって、それで赤ん坊の鼻口を塞げば、立派な殺人武器だ。「この痛ましい事件を永久に封殺するために、米の生産とご飯の調理のような野蛮で非文明的な行いは永久にやめましょう、またこのような危険なものを野放しにしている農林水産省の責任は重大であり、担当官僚を免職すべきだ」などという極端な意見が馬鹿げていることなど、いかなる人にとっても自明である。

 殺人以外の目的を有しない原子爆弾も、それのみでは人を殺さない。アメリカ人という殺戮族がいてこそ、初めて殺人武器たりえた。憤ろしいことには、文明棄却の咎は原子爆弾の存在に帰せられ、アメリカ人、含んで原子爆弾を作った科学者や技術者は免責されて尊敬や羨望すらされている。こうした歪んだ情の流布を悲しむ。

 なにゆえかかる謬見邪見がまかり通るのであろう。戦争でも犯罪でも、果は、いつに、人に因がある。

原子爆弾の投下は

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 白人がいかなる修辞をもって詭弁を弄しようと、原爆の投下は戦争犯罪であり、それを命じた合衆国大統領は戦争犯罪人であり、爆撃機の操縦者その他も同じく戦争犯罪人である。

 米国は独裁国家ではなく、民主国家であった。米国内の合法的かつ民主的手段によって原爆の製造と投下を命じた卑しむべき大統領は選ばれた。専制君主が民衆の意図とかかわりなく恣意によって原爆を製造して投下したのとはちがう。それはアメリカ一般民衆の総意であった。と、いうことは、アメリカの市民一人一人は、同時にすべて文明の敵であり、戦争犯罪人である。

 日本の神社が彼らによって卑しまれる限り、キリスト教とアメリカ人はおなじく卑しまれ、蔑まれる。

 「いわゆる『9.11』テロは、歴史に新時代を記す壮挙であって、WTCに突っ込んだイスラム戦士は顕彰されるべき英雄だ、9.11によって数百万のアメリカ人が結局は救われた」などと言われて喜ぶ米国人がいるなら話は別だが。

 Even if white men make any kind of excuse, it is war crimes to have dropped an A-bomb on Japan.
 President of United States of America which ordered by an atomic bombing is a war criminal.
 The pilots of the bomber are war criminals, too.

 The United States of America was not an autocracy. It was more always than World War II a democracy.
 The President of United States of America was chosen in election. The President was chosen by the legal, democratic means of the United States of America. And the President ordered by an atomic bombing.
 An absolute monarch did not ignore the intention of the people. The President did not let you produce atom bombs forcibly. The President did not drop an atom bomb on Japan by force.

 In other words an American citizen did the holocaust with the atom bomb.
 In other words it is an enemy of the civilization, and all the American citizens are war criminals.

 If a Japanese Shinto shrine is looked down upon by them, Christianity and the American are looked down upon in the same way.

 "9.11 terrors are historic splendid attack. The mujahedin who entered into the World Trade Center is a splendid hero. Millions of Americans did not die by 9.11 terrorism. "

 My opinion withdraws it if there is an American pleased to hear such words.

電氣菩薩と映像夜間中学/根本敬  その2

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 さて、今回の映像夜間中学は、俺には2回目である。

 前回と同じく整理券ナンバー1番をばゲットせんものと、18時30分には早々と渋谷を訪れた俺であったが、夜間中学上級生らしいどこかのキレイなおねぃさんが先に並んでいて、俺は2番であった。

 ドリンクにグラスワインを選んだのだけれど、店のおにいさんがワインオープナーの調子が悪くて栓を開けるのに手間取り、遅くなった埋め合わせのためか、カップになみなみといっぱいワインが注がれておって、トクをした。

 前回は、新入聴講生の立場をわきまえて遠慮をし、2列目に座った俺であったが、今日は1列目の中央にヌケヌケと陣取り、教科書であるところの「電氣菩薩」初版本をば傍らに置き、万全の態勢である。

 開講前のひとときは、今日の授業に関係があるとのことで、ファンクの巨匠2者、「SLY STONE」と「JB」のライブビデオが上映された。

 根本先生はおよそ1時間遅れでご登場。前回とはうって変わってご健勝そうなご様子。喋りもしっかりし、「前回体調が悪かったのを取り返すために今回は盛りだくさんですよ」と、期待のもてるスタート。

 なんでも、先月はあのフラフラの状態で遠藤賢司氏がらみの仕事もこなしておられたそうで、相当苦労されたということであった。

 今回の講義はまったく盛りだくさんで、前回フラフラになって帰宅したあとの顛末から、明治維新における暦制のペテン、戦争、中国の世襲の戦争被害者、歳若い傷痍軍人、ニールヤングのDNAにひそむロックと諦念、原節子などにまでハナシは及び、待ってましたのエビスネタ、坂上弘が大きく取り上げられた先月の朝日新聞、「川西」のおさらい、平やんのタネマキ、意味と理由と自分探しの哲学、「無意識」の鍛錬について、など、実に濃いものであった。書画投影で大写しにされた川西写真がユラユラと大きくなったり小さくなったりしてるのを見ながら、留守番電話テープに吹き込まれた川西音声をエンエン聞かされると、思わずツボに入ってしまい、吹き出してしまうのを抑えきれない俺であった。

 最後に結論として、「『自分』というのは、探すものではなく作るもの」ということを、SLY STONEとビートルズとジミヘンの引用で説明され、愛と平和と嘘八百を強調されて、2時間に及ぶ今年最後の夜間中学は終わった。

 終了後、「電氣菩薩」にサインを頂いたところ、根本先生は前回体調が悪く、思ったようにできなかったことを本当に気にしておられ、それを取り返すべく今日は盛りだくさんにしたとおっしゃった。そうした物腰、話し振りにも根本先生の誠実なお人柄がにじみ出ていた。頂いたサインはキュートな村田と泳ぐ精子、まったく本当に、今日は俺にとってゴキゲンハッピーな年の暮れであった。

赤毛のアン

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 7月の中ごろから今日までかかって、新潮文庫の「赤毛のアン」シリーズ全10巻を読んだ。

赤毛のアン
価格:¥ 540(税込)
発売日:1954-07

 10冊ともそれぞれに面白かったが、最終巻「アンの娘リラ」は駄作だったと思う。戦争文学ならもっと壮絶なのを読み飽きているし、しかも戦争のことばっかり書いてあるのに戦争文学になりきれてない。ほかの9冊がイイだけに、がっかりした。

 あと、村岡花子の、しみじみとした翻訳も悪くなかったが、はつらつとした少女をイメージするのには、もう少し現代的な文体の翻訳で読みたかった気もする。子供の頃村岡花子でなじんだ人には、たぶんこれがタマランのであろうが、ワタシはそれほど村岡花子の文体に思い入れがあるワケでもないので・・・。


キリスト教徒は獰猛で残酷、

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 キリスト教徒は獰猛で残酷、暴力的で、他人を虐げること以外考えていない。

 世界のほぼ全ての残忍は、キリスト教徒がもたらしてきた。世界戦争を起こし、虐殺行為をはたらいたのはキリスト教徒だし、核兵器を生み出して無辜をあまた殺傷したのはキリスト教徒である。さかのぼれば奴隷をかりあつめて恐怖の鞭で支配したのはキリスト教徒であり、わけのわからない妄想に駆られて女性を逮捕しては魔女だなどときめつけて何十万人も惨殺したのもキリスト教徒である。その虐殺ぶりも正視にはとてもたえぬものだ。

 キリスト教というのは、妄想と狂気と殺人と強姦以外、なにもしない宗教なのではないか?

国営・昭和記念公園へ行ってみた。

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 ゴールデンウィークの一日を、子供たちと国営・昭和記念公園で過ごした。

 聞きしにまさる大公園である。前日に訪うた同じく国営の武蔵丘陵森林公園のほうが3倍近い広さなのだが、それよりも広く感じるくらいである。

 昭和記念公園は、昭和天皇在位50周年を記念して作られた公園である。 旧米軍立川基地の跡地を利用して造成されたことは、よく知られている。

 戦争の世紀を永く生き抜いた昭和帝を記念する公園が、昭和帝の人生にとっても極めて大きな出来事であった米国による占領の、その証拠とも言える記憶の場所に造られてあることは、今もって残滓となっている砂川闘争の複雑な記憶をも含めて、本当に感慨深いものであると思う。

 おりしも、祝日・子供の日であった。子供の日は端午の節句である。「子供の健やかな成長を祈る日」である、と書けば、肯定されそうであるが、違う。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」日である。人格を重んじるというのと、健やかな成長を「祈る」というのは、似ているようでかなり違う。それから、知る人は少ないが、実は「母に感謝する」という日でもある。

 そんな日に、昭和記念公園内にある昭和天皇記念館へ行ってみたのである。

 初老の方がガイドをしておられ、昭和帝のことをごく短く語って聞かせてくださった。その語りかけに思わず目頭が熱くなったことであった。どなたも一度、この昭和天皇記念館に行っていただきたい。おすすめする。

国営昭和記念公園公式ホームページ
 ○ 昭和記念公園サイト内・昭和天皇記念館

昭和聖徳記念財団サイト内・昭和天皇記念館

靖国神社へ

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 昨日、やっとこさ靖国神社へ行ってきた。女房子供連れていった。

靖国神社参拝記念のパンフレット等(PDF文書・要Adobe Reader)

 もちろん、家族揃って遊就館も拝観した。日露戦争100年記念の展示をしていた。大人300円。

 「私たちは忘れない/感謝と祈りと誇りを」という映画をやっている。以前参拝した折には、この映画を半分ほどしか見ることが出来なかったが、昨日は全部見ることが出来た。

 靖国神社のサイトは、今日現在、見ることすら能わぬ。おそらく、中国人・朝鮮人が低劣なるDoSアタックを執拗に繰り返しているのだろう。ま、勝手にすれば、とも思う。

靖国神社のサイト