昔日の水都

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 「昔日や……」と一句詠みました。

 かつて大江戸の八百八町(はっぴゃくやちょう)に対して、大阪は八百八橋(はっぴゃくやばし)と言われ、商業が盛んだったことから水運がよく通り、ために「水都(すいと)」というと大阪の異称でした。

 私の生まれ育ったのは堺市で、どちらかというと「水都」というのは大阪市内のことですからそのまま故郷が水都というのもどうかと思いますが、昔の堺市は鉄砲や刃物を扱う商人町で、町周りには自衛のための(ほり)を巡らせ、町人の自治が認められた特殊な町でした。また数多い天皇陵や古墳は濠に水を(たた)え、溜池も多く、室町時代には渡来した宣教師をして「東洋のベニス」と言わしめた町ですので、水都を称しても差支えないか、と思い、一句詠んでみたものです。

 ちなみに堺の自治は太閤秀吉に掣肘(せいちゅう)され、その頃に自衛の濠は埋められてしまい、有名人の千利休は腹を切らされ、大坂夏の陣では全焼して全滅、時代が下って戦前には数多くいた刃物商も戦時の鉄材供出で商運が傾き、空襲でも丸焼け、けっこう踏んだり蹴ったりかもしれません。

運動会

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さえずり季題【303】補足

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さえずり季題【303】補足 この題は、「角川俳句大歳時記 秋」(角川書店、平成18年(2006)7月31日初版)p.103にありました。#saezuriha_odai

真夜中の月

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 さえずり季題【303】は、変わったところで「真夜中の月」を詠んでみましょう。傍題に二十三夜・二十三夜月。丁度昨日がこの旧暦八月二十三日でした。 添ふ影のあらざる二十三夜月 大久保一子 #kigo #jhaiku #haiku #saezuriha #saezuriha_odai

葡萄

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