にゅろぬろ

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 外出できないので家に垂れ込めていたら、「NURO光(にゅろぴか)」の営業が来た。

 薄汚れた作業着に、実直そうな汗を額に浮かべ、「今日も頑張ってますっ!」と言わぬばかりである。

 だが、その誠実韜晦とは裏腹に、この男は詐欺師であった。

 営業の仕方が人を騙すようなやりかたで不愉快だったので、「ウチは回線もプロバイダも代える気はありません」と一言、ピシャリと玄関を閉めた。こんな幼稚な野郎に騙されるようなことでは男が(すた)る。

 無視していたらずーっと玄関先でなにやら(わめ)いている。明日は我が身と思うと多少胸底の痛む気もしないではないが、それにしても日曜日に気の毒なこった。

 いろいろ苦しいとは思うが、人を騙すようなやりかたはどうかと思うぜ>NURO光(ヌロみつ)

 いくら良心的でも、「お客様は何もすることはありません、ただ回線が速くなるだけなんです」などと言って、無知と目した客がなんだかわからないうちに契約する相手を変えてしまう、てのは、例え形の上で合法であろうと、どうもよくないな。近代社会では契約ってのはけっこう大事なんだぜ。

 「NURO光」の営業の若僧には恨みはないが、とっとと帰れ、世間知らずが。

犬入札

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 私はなぜか犬の調達の発注側の担当者で、入札をかけなければならないことになった。

 発注側担当者であるからには、犬についてどんなことでも知っていなければならない。しかし、私は犬については素人であり、そのような部署に配置されて、毎日困り果ててしまっていた。

 そんな日々、これもどうしたわけか、某大手IT企業で営業をしていたはずの知り合いが、なぜか犬屋の営業に転職しており、知り合いの(よし)みで、陰でいろいろと教えてくれた。とても助かった。

 ある日、なんだか、マスチーフとゴールデンレトリバーと(ちん)などを一緒くたにしたような大型犬の写真が問題になった。はっきり言って醜い犬で、肥満しており、目つきもぼんやりと小さく、毛足もボサボサだ。肩の高さは50センチか60センチもあるが、贔屓(ひいき)めに見ても賢そうとは言えない。

「これ、何ですか?」

と、その知り合いの犬屋の営業氏に聞いてみたら、「これはチワワだ」という。

「へっ?チワワ!?そんなバカな、チワワは小型犬でしょう?」

「あ、佐藤さん、佐藤さんは犬が専門でないからご存知ないと思いますが、チワワを飼うときは、育たないように餌をあまり与えないようにするんですよ。そうするとずっと小型の愛らしいままなんですが、つい可愛さに負けて、ほしがるだけ餌を与えると、どんどん大きくなってしまって、こういう阿呆(あほ)のような姿になってしまうのです。大きくなっても知能は小型犬のままで、盲導犬とか救助犬とか警察犬とかの使役犬には使えないし、ウドの大木みたいなもんで、病気にもかかりやすくなって、困ったことになるんですよね」

「へぇーっ……そ、それは、し、知らなかったなあ。い、いやあ、いつもいろいろと教えてくださって、本当にありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして。……そういえば、もうすぐ公示でしたっけ、どうか佐藤さん、よしなにお取り計らい下さいよ」

「すみませんねえ、いつも直接お力になることができなくて……」

「いやあ、わかっておりますよ、佐藤さんのお立場は。祈ってくださるだけで結構ですよ」

……などというほのぼのとした会話があった。

 入札は電子入札になった。ところが、この営業氏は電子入札に1分ほど遅れてしまって、入札できなかった。締め切りになるところを、契約担当部署に入札書持参で大慌てで駆け込んできて、システム障害のための不可抗力だ、どうか何卒(なにとぞ)、非電子入札の書面で受付をお願いします、と懇願した。

 契約担当者も渋い顔をしたが、熱心に平身低頭する営業氏に負けてしまい、つい、入札書を受け取ってしまった。

 結局、落札したのはこの営業氏の商店だった。予定価格と比べて適正だし、なにより最も安かったのだから、それはルールどおりといえばルールどおりではある。

 ところが、納品内容の説明を聞くと、例のデカくなってしまって役に立たない、ウドの大木チワワを納品するというのである。契約担当者は腹を立て、

「あなたねえ、本来だったら遅刻した時点で資格喪失してるの、わかってるでしょう?本当なら落札できないんですよ!?それをこんなバカ犬を納品しようって、何を考えてるんですか」

「でも、でもでも、結局は入札をお受けくださったじゃないですか、ひっくり返すのはずるいですよ。仕様書には『犬』としか書いていないはずです。公定の仕様書にしたがって落札したんですよ。それに、約立たずのでくチワワだって、命のある生き物なんですよ、あなたにはそういう万物の霊長としての慈悲ってものはないんですか」

「キミは何を言っているんだ!」

……と、いうようなモメごとに発展して、発注担当の私が契約担当と営業氏の間に立ってオロオロしているというところで、目が覚めた。

 ああ、よく寝た。それにしても、ヘンな夢だったなあ。

 今日もメシは一つ覚え、チョコレート3かけら、()れたてのアイスコーヒー。

明るい才能の対極

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 「Google後」について論考しようとして、とてものことに私などその器ではないと思い直す。

 タブレットやモバイルにしても、ポンとアイデアを思い付きで出して、運よく資本エンジェルが金出して、スクスク一発屋商売がヒットした、というわけではない。

 私にとってのスマートフォン元年は平成21年の夏ごろだ。ドコモから「HT-03A」が発売されたところから、スマートフォンの盛り上がりを感じはじめた。古くからのiPhoneユーザにとってのスマートフォン元年は、もう少し早いだろう。

 が、これはポンと出してポンと売れたものではない。HT-03Aは、更にそれを遡る2年前に、Googleが組織した「OHA」(Open Handset Alliance)に、日本3大キャリアや有力IT企業が参加して、営々とAndroidの研究を続けていたのである。ようやく台湾HTC社のハードウェアの発売に漕ぎ付けるのにそれくらいかかったということだ。

 そのGoogleにしても、どれほどの努力の年月を重ねたか。

 Web2.0を標榜したAmazonの商売が、やっとこさ軌道に乗るのに何年かかったかを振り返るのも分かりやすい。

 iPhoneにしても、日本での最初のスタートなんか散々なものであったと記憶する。それを、それこそソフトバンクがタダ同然でばらまくようなふるまいに及んで、ようやく今のような市場を握ることに成功したのだ。しかも、それすら、2年後3年後にどうなるかなど、誰も予測できない。

 そこからは、血の臭いすら、する。文字通り血のにじむような営業努力だ。

 Google後はますます、ピカッと光るような才能とクリエイティビティが世界を変える、と、多くの人が考えているように感じられるが、私はそうは思わない。

  死んだジョブズのプレゼンになんか、私は騙されないぞ。

 クリエイティビティの対極にある、ゲロのにおいの、血と苦汁とションベン臭い汗のしたたりにじむ、蟻が地を這うような、サラリーマンのおっさんの活動が、実は世界を変えている。