文化の日

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天皇陛下万歳

 祝日「文化の日」である。軒先に国旗を掲げ、拝礼する。

 「文化の日」は明治時代は天長節、それ以降は「明治節」、すなわち明治天皇の「天皇誕生日」であり、また戦後現行憲法がこれに合わせて公布され「文化の日」と名称が改められたものであることは言うまでもない。

紅葉且つ散る

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紅葉且つ散るらむ父母は耄耋(ぼうてつ)に   佐藤俊夫

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今週のさえずり季題

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読書

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 二百十日以降、狂乱のように台風や低気圧が押し寄せ、各地に甚大な被害を残したが、その後急激に気温は下がり、11月となった。来週11月8日金曜日ははや立冬だ。

 「冬隣」である。秋の小鳥が帰ってきて、美しい声で鳴きつつ飛び交っている。

 R・L・スティーヴンスン著、橋本福夫訳の「若き人々のために」を読み終わる。60年前の古書、平凡社の「世界教養全集・第4巻」に収録されている。

 R・L・スティーヴンスン(嘉永3年(1850)11月13日~明治27年(1894)12月3日)は「宝島」「ジキルとハイド」など、日本でもよく知られる小説の作者である。

気に入った個所
以下「平凡社世界教養全集4」所収「若き人々のために」より引用。他の<blockquote>タグも同じ。
p.435より

 しかし一方の性が他方の性について知る知識をあいまいなものにするだけでなく、両性間の自然的な相違を拡大させるのが、高等普通教育なるものの目的となっている。人間はパンのみによって生きるものではなくて、主として標語によって生きている。したがって単に少女たちには一連の標語を教え、少年たちには別の一連の標語を教えるというそれだけのことで、両性間のちょっとした裂け目が驚くばかりに拡げられる。少女たちにはごく狭い経験の領域が示されるにすぎず、しかも判断と行動についてはきわめてきびしい原則が教え込まれる。少年たちにはもっと広々とした生活の世界が展開され、彼らの行為の規範も比較的融通性を与えられている。男女はそれぞれ異なった美徳に従い、異なった悪徳をにくみ、お互いのための理想ですらも、異なった目標をめざすように、教えられる。このような教育の行き着く所はどこだろうか? ウマが物に驚いて駆けだし、馬車の中の二人の狼狽した人間がそれぞれ一本ずつの手綱を握っていた場合、この乗り物の行き着く所が溝のなかだろうということを我々は知っている。したがって世慣れない青年と、ういういしい少女とが増えや提琴に合わせて踊るように、この世でもっとも重大な契約にはいり、呆れるばかりにかけ離れた観念をいだいたまま人生という旅行に旅立つとき、難破するものがあっても当然であり、港に着くのがふしぎなくらいであろう。青年が男らしい微罪として得意に近い気持ちでやることを、少女は下劣な悪徳としておぞけをふるうだろう。少女にとっては日常のちょっとしたかけひきにすぎないことを、青年は恥ずべき行為として唾棄するだろう。

p.446より

 ちょっと考えても明らかに嘘っぱちであるにもかかわらず、その誤謬に偶然結びついていた別の問題についての半真理のために通用している諺があるが、甚だしい例は、嘘を吐くことはむずかしいが本当のことをいうのはやさしいという、途方もない主張を伝えている諺であろう。もしそのとおりであってくれれば、わたしなどどんなに嬉しいかわからない。しかし真理は一つである。真理はまず第一に発見されなければならず、第二に正しく正確に表現されなければならない。特にそういう目的のために工夫された器具――ものさしや水準器や経緯儀――をもってしてすら、正確であることは容易ではない。情けないことには、不正確であることの方がやさしい。秤の目盛りを見る人間から、国の面積、天の星々への距離を測る人間にいたるまで、外的な不動の物についてすらの、物質上の正確さや確実な知識に到達するには、細心周到な手段と綿密な疲れを知らない注意力とによらねばならないのである。しかし一つの山の輪郭を描くよりは、一人の人間の顔の移り変わる表情を描くほうがむずかしい。人間関係の心理はそれよりもさらにつかみにくく、まぎらわしい性質のものである。把握することがむずかしく、伝えることはさらにむずかしい。厳密な意味でなく日常対話的な意味で、事実に正直であること――実際に私は一度もイギリスより外へ出たこともないくせに、マラーバーに行ったことがあるなどといわないこと、実際には私は一語もスペイン語を知らないくせに、セルバンテスを原語で読んだなどといわないこと――こうしたことなら、実際やさしいが、それだけに本来重要でもない。この種の嘘は事情に応じて重要な場合もあれば重要でない場合もある。ある意味では、それは虚偽である場合も虚偽でない場合すらもある。常に嘘ばかりいっている人間が非常に正直な人間で、妻や友とともに誠実に暮らしているかもしれない。一方、生涯のうちに一度も形式的な嘘をいったことのない人間が、内実は嘘のかたまり――心も顔も、頭から足先まで――でないとも限らない。これは親密さを毒する種類の嘘である。その反対に感情への正直さ、人間関係での誠実さ、自分の心や友に対する真実、決して感動を装わずいつわらないこと――これは愛を可能にし、、人類を幸福にならせる真実である。

 L’art de bein dire(上手にしゃべる術)も、それが真理への奉仕に強要されないかぎりは、ただの客観的才芸にすぎない。文学の困難さは書くことにあるのではなくて、自分のいいたいことを書く点にある。

p.482より

「何人も世界を初めから終りまで探ることはできない、世界は彼の心の中にあるのであるから」とソロモンがいっている。

 次はフランスの作家、J.シャルドンヌ(明治17年(1884)~昭和43年(1968))著、窪田般彌訳の「愛、愛より豊かなるもの」(L’AMOUR C’EST BEAUCOUP PLUS QUE L’AMOUR)である。世界教養全集第4の最後の著作だ。

八千草薫氏死去

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 女優の八千草薫氏が死去したそうである。

 昭和の残照がまたひとつ消えた。寂寥を禁じ得ぬ。祈冥福。

検索エンジンインデックスの追加

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 このブログはGoogleのIndexに登録されるようにしてある。

 このブログで導入しているプラグイン「Jetpack」の「トラフィック」の設定から、他にも、Bing、Pinterest、Yandex が使えることを知った。

 早速それぞれの認証をとり、追加してみた。

お辞儀

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 即位の礼に関するニュースなどを漫読していて、「カーテシー」という言葉を知る。

 カーテシー、カーツィ、コーツィなどとも書かれ、綴りは curtsy、curtsey のどちらでも良いようだ。

 これはつまり、ヨーロッパ流の「お辞儀」である。

 上体を折ったり、頭を下げたりする日本のお辞儀とはまた違って、バレリーナやヨーロッパの貴族の映像、フィギュアスケートの選手の演技後の所作など、色々なところでヨーロッパ流のお辞儀が行われていることを思い返す。

参院補欠選挙

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 参院補欠選挙の投票を早々に済ませる。

コーヒーと老眼鏡

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 近所の庭木の手入れのいい家々では、南天、千両、万両の実が真っ赤になり始めた。石榴(ざくろ)の実が大きくなって色づき、柿は既に濃い黄色から赤になり始めている。

 雨が過ぎ去って、ますます冷涼となった。

 先日来、台風に伴う大雨が降り続き、全国各地に水害が出ている。

 この雨、幸い、私の住居(すまい)する辺りではなんともなかったが、被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い生活の再建をお祈りする。

 朝食代わりに到来の菓子とコーヒー。京都の五色豆。少し香料が入っているのか、鉢に盛ると涼しい香りがする。

 間もなく萬鬼節(ハロウィーン)とて、それらしいマグカップもまた良からんか、というところだ。

 休みの日は大してカロリーも使わないので、こんなものでよい。むしろ、何も食わなくても丁度良いくらいである。

 最近精神・肉体の進境が著しい。つまり物忘れがひどく、非常に老けてきたということであるが、面貌が険しくなってきたように思うので、老眼鏡をラウンド・タイプの丸いものにしてみた。多少愛嬌が出たように思う。

 度数がわかっているので、Amazonで買えば1000円かそこらの安いもの。

夜寒

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衰への首に夜寒を迎へけり   佐藤俊夫

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