今週のさえずり季題

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こどもの日

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天皇陛下万歳

 祝日「こどもの日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 ついに私の家には「こども」がいなくなってしまった。みな大人になったからである。しかし、親にとっては子供はいつまでたっても子供。大切にするに如くはない。また、母たる妻をも大切にするのだ。

 なんとなら、祝日法には「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」とその趣旨が記されているからである。

テーマ詠「みどり」

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(しょう)(にん)の像新緑は容赦なく
利休忌に朝鮮磁器の(みどり)
行く水に聖帝(おし)むみどり濃し
(うず)む緑のうへに春の虹
みどりなす髪佐保(さお)(ひめ)は街々に

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #jtbt

 「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。

みどりの日

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天皇陛下万歳

 祝日「みどりの日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 去る「昭和の日」と相俟って、昭和聖帝が植物を愛好する御性格であらせられたことを思い出す。様々な植樹祭では、おん自ら鍬などをお使いあそばされていたご様子が写真などに数多く残る。

特別展「空也上人と六波羅蜜寺」

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 上野の東京国立博物館で標記の展覧会をやっていると知り、行ってみた。

 空也上人像と言うと、あの慶派の代表的作品の一つ、上人の口から六字の名号が実体化して出て行っているという表現の、あの像だ(左写真)。

 国立博物館のホームページによると、4月からは特段事前予約がなくとも、当日入場は可能だという。折よく憲法記念日、祝日で休みだ。朝からいそいそと出かけた。

 窓口に10分くらいは並ぶが、どうということはない。9時半頃窓口の行列にとりつき、じきに当日入場チケットは買えた。10時半から11時半までの入場となっている。「入場時刻までの間、一般展示などをご覧になっていてください」と係の人が言う。なるほど。

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 特別展のすぐそばの展示室で一般展示が行われている。特別展との関連展示になっていて、重要な仏像の数々を観覧することができる(右写真)。

 以前と違って一般展の方は一部の展示物を除いて写真撮影可で、このようにいくつか撮影できた。

 さて、定刻の10時半に特別展の方へいく。一定の人数だけ整理して入場させるわけであるから、空いていて実に見やすい。むしろ新型コロナウイルスの影響で博物館は良くなったのではあるまいか。

 展示は六波羅蜜寺の文化財から、表題の「空也上人(りゅう)(ぞう)」をはじめ、薬師如来坐像・四天王立像・地蔵菩薩坐像など、選り抜きの重要文化財がところも狭しと観覧に供せられていたが、わけても、やはり「空也上人立像」は見応えがあった。子供ほどの大きさしかない小さな像なのに、人間美と精神性が溢れ出ていると思った。他の文化財もいずれ劣らぬ第一級のものなのであるが、その中でも空也上人立像は異質なくらい他を圧し、一頭地抜きん出ていた。単に展示の仕方がそれを中心にしてあったとかその周りに人が集まっていたからそう見えた、というのとは違う。

 以前、興福寺の運慶作「無著・天親(世親)両菩薩立像」にも同じような深い精神性の表現を見て取って感動したことがあるが、それと似ていた。さもあろう、空也上人立像の作者は運慶の息子の康勝なのだという。但し、無著・天親両菩薩立像は2メートルもある大きなもので、これは大きさだけで他を圧する迫力があり、空也上人立像がこの小ささで他を圧しているのとは性質が違う。

 空也上人立像は、なんというか、まことに粗雑極まる書き方で恥ずかしいのだが、「微笑ましい小学生の造形工作展の中に、大人が3Dプリンタで製作した超写実的なフィギュアが混じっている」ような感じがするほど、異常な放射線を放っていた。

 ふと妄想するのだが、作者の仏師・康勝は、父で師匠の運慶から、「これ康勝。おまへのし(やう)は、()れでは佛様、菩薩様とは到底いへぬ。さながら人間の生き(うつ)しではないか。やりすぎぢや」と叱られたのではなかろうか。

 さておき、余談。

 許された1時間の間、あらかじめ買っておいた図録の解説と実物をかわるがわる見て、たっぷり鑑賞した。それから本館の通常展示をゆっくり見た。

 そろそろお昼も過ぎたから、上野・アメ横の藪蕎麦へでも、と思って敷地を出かかったのだが、出て左側にある「東洋館」に、つい入ってしまった。私は博物館に行くと、どうしてもあれもこれもと見たくなり、ズルズルと長居してしまうのだ。

 ちょうど中国の陝西省西安宝慶寺の石仏龕(ぶつがん)が多く展示してあった。1200~1300年ほど前のもので、阿弥陀その他の如来や、弥勒などの菩薩をはじめ、諸尊いろいろなのだが、どれもよく似た三尊構成となっている。よく似ていて、一つ一つ違う。古びた縹渺(ひょうびょう)たる感じが身(ぬち)を満たすようであった。

 はて、と撮影の可否を見てみたが、特に禁止の表示はない。撮影しようと思ったが、一応確かめようと思い、入り口の館全般の注意書きを読んでみたが、特に制限はないようだ。しかし、更に念を入れて、入り口にいた警備スタッフに

「あのう、撮影は禁止ですよね?」と聞いてみた。

「いえいえ、撮影しても構いませんよ。但し、展示品によっては所有者が撮影を拒否しているものがあって、それにはカメラの絵に禁止斜線が入った『撮影禁止マーク』を表示していますから、その表示に従ってください」

「なるほど、ありがとうございます」

というわけで、もう一度、三尊仏龕に撮影禁止マークが表示されていないのを確かめ、ゆっくり写真を撮りはじめた。

 「如来三尊仏龕」と題されてある。(ごう)()(そく)()(いん)を結んでいるところから、釈尊である。さすれば脇侍は薬王・薬上の両菩薩であろうか。

 そんなことを考えながらカメラのフォーカスを合わせていると、そこらをパタパタ走り回っていた小学校3~4年くらいの男の子が、パッと仏龕と私の間に入ってきて、こっちをじっと見る。あれ、通りたいのかな、と思って「どうぞ」と言って笑いかけてやり、手真似で合図してやるが、「ううん」と首を振る。ではというのでカメラを構え直して撮ろうとすると、また前に入ってくる。「どうぞ……?」と同じように促しても「ううん」。両三度そんなことを繰り返した。なんだか変な子である。構っていても仕方がないので、無視して撮影しなおしていたら、この男の子、「ねえ!」と叫びながらお母さんらしい人のところへ走っていき、私を指差しつつ、

「ねえ、あれ、写真撮っていいの!?」

お母さんらしい人は「シッ!」男の子を制し、「あんな人に構っちゃダメ」みたいなことをもそもそと男の子に言っている。

 あ、いや、違いますよ親御さん、ここは撮影してもいいのです、と説明するようなタイミングはなく、親子は向こうへ去ってしまった。男の子はというと騒々しく走り回っている。

 不愉快になった。私はきちんと係にも確認し、掲示や注意書きもよく見たうえで撮影をしているのだが、あの親は「撮影禁止のものを撮影している悪い奴だが、関わらない方が良い」というような意識なのだ。あの調子のまま帰宅すれば、さぞかし家で「今日、撮影禁止の博物館で写真撮りまくっている悪い人がいたんだよ!」などと話のタネにしていそうである。

 人を悪しざまに断じたいなら、撮影禁止かどうかぐらい確かめてからそうしろ、と思った。私には親子の誤認を(ただ)す機会はなく、男の子は「世の中には悪い大人がいる」と思い込んだまま今後成長するのだろう。ケッタクソの悪い。

 まあ、私も右のようないでたちで博物館見物なんかしているから、まあ、見るからに悪い人には見えるが(苦笑)。自業自得と言えば言えなくもない。

 それにしても、これから先、長ずるにしたがってあの男の子の記憶は「撮影禁止の博物館で写真を撮りまくる人相風体のおかしい悪人に注意しようとした勇気のある小さい頃の僕」というふうに都合よく書き換わっていくのだろう。ああ、馬鹿々々しく腹立たしい。

 さて、気分を変え、蕎麦屋で遅い昼にした。以前なら「池之端・籔」に行ったものだが、残念ながら先年閉店してしまった。アメ横の藪もいいのだが、いつも混んでいる。今日は仲町通りの「蓮玉庵」へ行くことにした。

 蕎麦前に()(しゅ)。「今日の肴」を頼むと、酢牛蒡と独活味噌で、おいしい。

 客が少なかったのでおかみさんのあしらいも良く、盃一杯ほど酒が残っている頃合いにちょうどよく「お蕎麦はどうします」と聞いてくれる。「せいろ」を一枚。

 壁を見ると、西山宗因の句がかかっている。

やかて見よ
棒くらは
せん蕎麦
の花  宗因

(落款 印)


 「や()て見よ棒くらは(喰らわ)せん蕎麦の花」となる。「やがて」の「が」は濁点のない「可」の崩し、「棒くらはせん」の「は」は「盤」の崩し、「蕎麦」の「蕎」は蕎ではなく「楚」の崩しである。「花」の崩しは読み慣れないと難しいと思う。

 落款は私にはどうしても読めない。「ツ□くら〇謹書」とだけかろうじてわかるが、□は「恒」に見え、〇は「波」の崩しの「は」に見える、というくらいしか私には判読できなかった。

令和4年(2022)5月6日(金)追記

 この落款、「(こな)くら()(ゐ(い))謹書」か「ソばくら()(ゐ(い))謹書」のどちらかかな、というように思う。だが、「ソばくら居」の場合、「ば」の字体に調べ当たらず、どうもよくわからない。

 ともあれ、写真撮影と男の子の一件は気になって後を引いたものの、一日、気晴らしになって面白い休日であった。

憲法記念日

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天皇陛下万歳

 祝日「憲法記念日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 いよいよ強固なる護憲精神を新たにする今日この頃である。

 

読書

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第22巻の2書目、「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)を読んだ。携帯電話が故障したので、秋葉原の修理店へ行き、修理の待ち時間、万世橋「マーチエキュート」の神田川に面したテラスで午後のひと時を過ごし、そこで読み終わった。

 本書は、幕末の江戸時代(嘉永5年(1852))に、当時名前もなく「ピーク15」と番号で呼び過ごされていたエベレストが、その実世界一の高峰であったことが英印測量局によって確認され、大正10年(1921)に最初の英遠征隊が送り込まれて以来(このかた)、昭和28年(1953)に遂に初登頂が成し遂げられるまでの、苦闘の登頂史を迫真の筆致で(しる)したものだ。

 著者のエリック・シプトンは、エベレスト登攀路開拓の第一人者であり、戦前からほぼ30年にわたってエベレスト登頂チャレンジを続け、昭和28年(1953)の、シェルパのテンジン・ノルゲイとニュージーランド人登山家エドモンド・ヒラリーによる世界初登頂の(いしずえ)を築いた人物である。ただ、惜しい(かな)、世界初登頂がなされる前年までは遠征隊長であったが、テンジンとヒラリーによる初登頂時は遠征隊から外されており、一般にそのことを「悲劇」であるとしている世評があるようだ。

 ところが、本書の筆致はそれとは違う。自身が隊長を務めたときの遠征を誇るでもなく、また、世界初登頂成功時の遠征を妬むわけでも貶すわけでもなく、実に正確かつ淡々とこれを記録し、岳人らしく成功を深く喜んでいる様子が行間から伝わる。どうも「悲劇の登山家」とするような世評とは違うように思う。

 むしろ迫真の筆致が胸に迫るのは、自身が頂上アタックメンバーとして昭和8年(1933)・昭和9年(1934)・昭和10年(1935)・昭和11年(1936)・昭和13年(1938)、戦争を挟んで昭和26年(1951)・昭和27年(1952)という驚くべき回数にわたってエベレストの山懐に入り、8000メートルを超える地点で頂上を指呼の間に望みながらついに登頂を果たせず、苦闘する様子である。

 また、自身は参加していないが、大正13年(1924)のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンの遭難について、同時代の登山家として克明に記しており、興味深い。また、この時のアーヴィンのものとみられるピッケルが、昭和8年(1933)に自身も参加した遠征隊により発見されたことが記されている。この逸話にも胸を打つものがある。なお、余談、知られるところであるが、マロリーの遺体はその後75年も経った平成11年(1999)にエベレストで発見されている。

 さておき、本書は翻訳もよく、簡潔な記録となっていて読みやすい。おそらくは、原文も岳人らしい簡潔な文章なのであろう。

 引き続き第22巻を読む。次は3書目、「山と渓谷」(田部重治著)である。著者は戦前に活躍した登山家で、この書は岩波文庫にも入っていて有名だ。

弥生(やよい)(じん)

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飛行機の雲引く先や弥生(やよい)(じん)
行く水に弥生尽てふ()(ぎり)かな
弥生尽旅を惜しみてゐたりけり

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

昭和の日

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天皇陛下万歳

 祝日「昭和の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 今日は昭和聖帝の御誕生日である。崩御あそばされて34年。その頃の私は23歳であった。いまや上皇陛下もかの御高齢だ。昭和は遠くなりにけり、というところか。

百千鳥

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降れよかし卒塔婆(そとば)の灰に百千鳥

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha #俳句ポスト365

 「俳句ポスト365」2022年2月20日週の兼題「百千鳥」で、中級者以上の部「並選」でした。

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