Perlとかphpなどの

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 PerlとかPHPなどの、ダラダラと随筆風にプログラミングできるWeb向き言語に慣れると、ArduinoにETHERNET SHIELD 2を取り付けた時のCGI引数の処理にしんどさを覚えるのは確かだ。特に正規表現でいろいろやりたい、という場合が苦しい。

PIC16F628とArduino

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 割合にシリアスな話なのだが……。

 休暇中にArduinoなどいじっているのは、実は、多少、以前の仕事上の屈託があってのことだ。

 4年ほど前、仕事で「PIC16F628」という石を触ったことがある。これは、新規の仕事ではなく、古いプロジェクトのメンテナンスだった。

 当時すでに古い石だった「PIC16F628」だ。36ピンのパラレルにつなぐROMライタでプログラムを焼く。

 使えるのはPIC16F628独特の、たしか1語長14ビットという変わったアセンブラのみ。

 しかも、いったいどういうマネジメントか、ソースコードが消失していた。ROMイメージからディスアセンブルした不完全なソースを参考に、バイナリを直接直さなければならなかった。

 そのプロジェクトはもう忘れられかけたプロジェクトで、それが立ち上がった頃は華々しくもてはやされ、かかわった人たちは表彰などされたのだが、私が始末を押し付けられた頃にはもう何年も経っており、腐ったプロジェクトに成り果てていた。

 誠意をもってメンテしたが、誠意を持とうが持つまいが、私には何の得もないし、また、組織にとってもなんの得もないという腐った作業だった。ただ、やらなければならないことになっており、しかも、それをやると私が叱られる、という、わけのわからない仕事だった。つまり、「叱られる奴を出さなければならない」という仕事なのだ。

 実は当時、既にArduinoは発売されて普及していた。私もそれを知っていた。もし、その腐ったプロジェクトが新規に始まったもので、最初から私に任されたものだったら、私はPIC16F628などではなく、携帯電話かArduinoを使用しただろう。

 そうできなかったことが、当時本当に悔しかった。

 ArduinoはPIC16F628のような苦労をしなくてよい。C言語ライクにプログラミングでき、倍長実数まで扱え、アナログ入出力ができ、ごく安い値段でイーサネットやBluetoothまで扱える。

 自宅の小机の上で「Lチカ」なんぞ試し、夜、赤いLEDが間遠に明滅するのを眺めると、ほんの数年前のそのことがホロ苦く思い出される。



それでまあ、Lチカで遊ぶ。

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 買ってきたガイドブック、オライリーの「Arduinoをはじめよう」に載ってるLチカは1種類だけだが、それでは面白くないのである。LEDの光らせ方しかわからなくっても、並べればこうやってもうちょっと楽しくなるのだ。

……と、いうわけで、さっそく教科書通りにいかず脱線する私。

 そういえば、と思い出す。小学生の頃、理科の実験などあると、私はすぐ何かとアレンジを施したがり、「先生の言ったとおりにしていない」「教科書に載っていないことをしている」として周りの子に言いつけられ、厳しく叱られたものだった。

 いや、そりゃ、化学の薬品なんか使う実験で先生の言ったとおりにしないのは問題があるだろう。だから当時の先生に文句はまったくないが、あの微妙な実験カスタマイズの経験は後年の私に大きく影響を及ぼした。

 8ビットマイコンとBASIC言語全盛の頃、プログラミング雑誌が多くあった。「I/O」や「BASICマガジン」などと言った雑誌にはプログラミングリストが載っており、これを掲載のとおり打ち込めばゲームなどが出来たのであるが、私はこのプログラムリストを機械的に打ち込むのが大嫌いだった。載っている通りには絶対に打ち込まなかったし、しばらくすると、土曜日に本屋で立ち読みでリストを読んで「あらすじ」を覚えて帰り、日曜日に自分のPCで再現する、ということをよくやった。

 単に楽しかったからそうしていただけだが、振り返ると、あれでプログラミング力は大いについたように思う。



極端から極端へ走る

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 極端から極端へ走る思想は危険だ。ナチス・ドイツや、共産主義各国の粛清の嵐、文化大革命、カンボジアのキリング・フィールド、ルワンダ、現在のイスラムの連中、またアメリカ人も、どいつもこいつも極端なのである。

 「正義」や「平等」などの、いいようでいて悪いもの、ウィルスのように人をむしばむ毒がこれらを先導する。

 欧米白人の大好きな「革命」は、言葉はかっこいいが、その中身をつぶさに観察すれば、血みどろのホラー映画やスプラッタームービーも真っ青のエログロ滅茶苦茶、狂気と妄想の現実化である。その当事者たちは皆、「これが夢か、映画かなにかであってくれたら」と願いながら死んでしまったであろうし、また現在も死につづけている。

 そこには、「統一」「シンプル」と言った、耳への感触はよいけれど人間性に逆行する憎むべき何かが含まれている。

 こんなコミュニケーションがあった。ある人が、

「もう、和暦がピンと来ない。『平成ウン年』と言われても、計算しないとパッと出ない。もう、西暦で統一したらどうか」

 ……と書いた。得たりや応とばかり、私がふざけて混ぜっ返す。

「そんな、みなさんね、西暦なんてものは宗教上の聖人の生誕日を元にした宗教上の数値ですよ。今、喫緊の人命がかかっているのだって、元はといえばそれが原因ですよ。だから、いっそ、西暦も和暦も全部やめて、UNIX時間などの技術上の数値か、天文学上の、何か、キリのいい、例えば惑星が並んだとか、そこを0年0月0時0分0秒と定義するとか、そういうものに変えたらどうですか」

 多少ウケ狙いでした発言だから、もちろん真面目にこんなことは言っていない。このような極端なことは、恐れるべきことだからだ。

 この妄想を拡張してみようではないか。

「ことは暦年だけのことではない。通貨だって、なんで為替なんか気にしなくちゃならんのだ。もう、ユーロも元も円もドルも、全部廃止して、全部ドルに統一したらどうか」

「いや、それをやるとまた戦争になってしまう。いっそ、ビットコインとかに世界で一斉移行したらシンプルだ」

「世の中に男や女がいるから、男女格差などの問題が生じるのだ。もう、生物学の研究を推し進めて、遺伝子から男や女を取り去り、単為生殖可能な『中性』にでもしたらどうか」

「イスラム教やキリスト教や仏教があるから殺し合いになる。もう、いっそのこと、全部混和して、なに教とかいうのはやめて、単純に『教』ひとつだけにしたらどうか」

「言語がよくないよ、言語が。『英語で統一』は一見合理的だが、これはまた諍いのもとになる。そこで、情報技術を高度に推し進めてだな、プログラミングに使う『中間コード』のような『中間言語』に各言語を落とし込み、伝送路上はこの中間言語を流すのだ。コミュニケーションはそれを使うとか」

「もうね、多様性がよくない。人間は多数の細胞からなっているが、これが多様性を生んでしまう諸悪の根源である。細胞を全部バラバラにして混合し、個人の人格など全部一体化させて、そう、70億総員、『黴菌』にでも進化したらどうなのだ!」

 ……ダメだな。私は人よりお金を稼いでほくそえんだり、逆に損をして悔しがったり、恋をしたり、いろいろな肉や野菜などのうまいものを食って喜んだり、色々な国へ旅行して、その違いに感心したり、英語ができなくて悩んだりしたい。円高のときにアメリカ旅行をしてニヤニヤしたいし、逆の時には面白いアメリカ製品を買って喜びたい。神社仏閣に詣でる一方でキリスト教の寺院を訪れて感嘆したい。黴菌に進化するのは究極の合理性だが、黴菌になんかなるのはいやだ。人として悩み苦しみたい。死にたくはないが、もし死ぬべき時がきたら、その死の意義など問うまい、ギャーっ、痛いよう、たすけてー!と叫びながら苦痛のうちに死ぬだろう、だが、そうしたい。非合理だがそうしたい。西暦と和暦を計算して「ちっ。ああ、七面倒臭い!」と愚痴を言いたい。

 それが、薄汚れていて、あまり綺麗ではないにもせよ、人間の織りなす壮大な曼荼羅、ペルシャ絨毯の模様のような、楽しい生活というものなのだ。