今日から放映のNHKスペシャルがなかなか

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 今日から4日間のNHKスペシャルは、なかなか見られそうな内容である。録画してゆっくり見よう。

 終戦記念日が近いからこその力の入った内容なのだろう。15日放映の「インパール」、ひょっとすると生前の牟田口廉也のコメントなどが聴けるのかもしれない。

「破獄」見た

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 先月から心待ちにしていたテレビ東京の記念ドラマ「破獄」の放映が去る12日にあり、録画しておいたのを昨日15日になってから見た。

 あまりテレビを見ないが、たまにこういうものは気が向いたら見る。

 映像も俳優も良く、見応えがあって面白かった。

 脚本は原作に概ね沿ってはいるが、人物への焦点の当て方はだいぶ異なっている。原作の主人公は稀代の脱獄王・佐久間清太郎なのだが、このドラマでは佐久間を担当する看守の浦田が主人公であり、それをビートたけしが演じている。

 さすがはビートたけしで、もはや入神と言える演技力だが、戦前の窮乏した看守を演じるには肥満し過ぎなのと、呂律(ろれつ)が老い過ぎているところは何としても惜しかった。

 佐久間清太郎を演じる山田孝之の演技は鬼気迫るものがあり、一点非の打ちどころのないものだった。彼を過酷に扱った看守が出征し、程なくして戦死する。その報が届いた時の一瞬の表情など、人間の業の深さ、混沌とした心の闇などを凝縮して表現しており、息を呑むほどだった。

 BDにダビングして、とっておくことにした。

いいコマーシャルだと思う。

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 日本人は差別が好きで、差別感を楽しみながらでないと生きられない。……のだそうな。

 受け売りだ。しかもどこの馬の骨が書いたかも判然とせぬ匿名ブログの受け売り、というかそこからインスパイアされた考えだ。だが、そのブログはどうやら人気ブログらしいから、それなりに真実を含んでいる、とも言える。

 さておき、有名企業に勤めている連中は無名企業に勤めている連中を(さげす)み、ホワイトカラーはブルーカラーを蔑み、大卒は高卒を蔑む。

 忘れてはならないのは、そのすべての逆もまた然りであることだ。無名企業の連中は有名企業の連中を、ブルーカラーはホワイトカラーを、高卒は大卒を、徹底的に憎み抜き、強烈に蔑み返しているのだ。知能の高い者が知能の低い者を蔑む以上に、実は逆に、知能の低い者は知能の高い者を激しく憎悪している。私は統計学者ではないし、新聞屋でもないからそこに証明だのなんだの、裁判所じみた根拠は持っていない。だが、実感としてそれはよくわかる。

 面白いことに、覚醒剤中毒者などの最底辺の人種どもですら、煙を吸引する主義の奴は注射をする主義の奴を激しく見下し、また注射をする連中は煙を吸う奴を蔑んでいるのだという。更に言えば脱法ドラッグをやる奴と覚醒剤をやる奴、大麻をやる奴とシンナー中毒、シンナー中毒と咳止め剤中毒はお互いに相手をバカにしているそうである。まさしく「目糞鼻糞を(わら)う」の(たぐい)だが、そうやって「俺はアイツより偉い」と思って安心するそうな。

 私の父は刑務官を長年務めて定年で辞めたが、かつて語ったところによると、人殺しは窃盗、窃盗は強姦犯、強姦犯は詐欺師、詐欺師はやくざ者、という具合に、全部が全部お互いを「下らぬ連中」と言って馬鹿にするそうである。

 私は長い間、人から見下されるような変な職場で働いてきたので――それももう35年を超えた――、人から見下される気持ちがよくわかる。まして、生まれつき備わったものではなく、自分で選んだもので見下されるのだから、文句の言いようもない。これがもし、生まれつき備わったこと、肌の色や髪の色、知能などで見下されるのであれば、それこそやりきれないだろう。

 「日本人は差別が大好き」と書いたが、アメリカ人だってヨーロッパ人だって中国人だってアフリカ人だって、世界中の人間はどいつもこいつも差別が大好きだ。結局は政府にそれを利用され、煽られて戦争へ行き、殺し合うわけだ。

 そうした差別意識の渦巻く社会にあって、この「ジョージア缶コーヒー」のテレビコマーシャルは一服の清涼剤のように思えた。非常によくできている。爽やかで、それでいて泥臭く、そして、なにより差別でなく、つながりのない社会人相互の尊敬(リスペクト)をテーマに持って来たということに好感を覚える。

 実は、私はテレビが嫌いで、あまり見ない。テレビのニュースもドラマも悪意に満ち、差別意識を煽るようなものしかやっていない。見ていて腹が立つ。身銭で電気代を払って腹を立てることほど馬鹿々々しいことはないから、できるだけ見ないようにしているが、(たま)さか妻子が付けているテレビを瞥見(べっけん)したらこのコマーシャルが流れていて、珍しくいいコマーシャルだな、と思ったのである。

Twitterは最善ではないが、マシだと思う

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 う~ん?これは、こんなふうに伝えるアメリカの新聞やテレビ、あるいはアメリカの新聞やテレビがそう伝えていないのだとすればこんなことを言うNHKの方がおかしいんじゃないか?

 ワケのわからんヘンな記者が思うさま捻じ曲げた嘘記事を読まされたり、自称ジャーナリストのテレビタレントが都合の悪いところを端折り、都合のいいところばかり切り取って伝えるニュース紛いなんか見せられるより、本人の直接ツイートでも見た方が、よっぽどましなんじゃないか?新聞やテレビに「コイツの言っていることは間違っていますよ」と教えられるより、直接本人のツイートでも見て、「あ、コイツの言ってることは間違ってるな」と自分で思った方がよっぽどいい。そのほうが新しいと思うけどなァ。

 発信側の政治家にしたって、そうしたほうがよっぽど国民とインタラクティブに交われるのと違うか?ドナルド・トランプはウソばっかり報道されて足を引っ張られたから、新聞やテレビを全然信用してないんだろうし。

 「つぶやくなーッ!」って言うのが一般の人だったらいいんだけど、新聞やテレビが「つぶやくなーッ!」はないと思うんだよな。お前ら、呟くより前に取材してちゃんと書けよ載せろよ、と。だいたい、そういう本来の仕事をしてないから、お前らが書いたり撮ったりする前に呟いてしまうんじゃないの?

 まあ、何年か先、日本もこうなるワケだよ。

詐欺師グラフ

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 まあ、私も、池上何某みたいな「詐欺師グラフ」を描いたことは、ありますよね……。

 はっきり言って相関係数0.3以下というようなどうしようもない離散データを、両対数でプロットして、「両対数にとれば線形に収束します」などと、「中卒の佐藤がなんか難しいことを言っている」みたいな言い方で博士さん修士さんを騙す、という。

 そんなもん、あんた、グラフなんて、どうにだって描けてしまうんだから、池上彰ばかり責めるわけにもいかんですわ……。

2.26及びNHK特集

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 こういう番組があったんだ、と知る。

 昭和54年(1979)放送だという。記憶にない。私は中学1年生で、ひねこびた子供だったから色々な報道を知っていたが、これは知らなかった。

 さらに驚くのが、昭和54年当時でも、まだ2.26事件の当事者がこんなにも多く存命だったことだ。

こんなこと日本でもマネするよ

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 「トランプ・ショック」なんぞと言って他人事みたいに愛でている場合ではないように思う。

 私は特定分野のITに関係して長年過ごしてきたが、かつては「アメリカから10年遅れ」などと言ったものだ。アメリカの流行やトレンドを、だいたい10年くらいのタイムラグで日本でも真似しはじめるのだ。なぜ真似するかというと、所詮、アメリカ人の言う「猿」だからだ。

 だからかつてはラクなもので、アメリカの事情をウォッチして、あらかじめ準備しておくと日本でもドンピシャと当たりがとれ、予言めいた不気味さを醸し出してカリスマ扱いされることも可能だったのだ。テレビ番組なんて、ほとんどアメリカの番組の真似だったことを思い出すと良い。

 さすがに、ITについては技術の進歩が早いし、企業の追随も切迫感があるからそんな悠長なことはなく、その遅れ方はあるいは5年であったり3年であったりもした。しかし、技術趨勢よりもゆっくりした、制度とか仕組みとか空気感というのが染みわたってくるのには10年くらいかかっていた。「AIDS蔓延の空気感・文化感のタイムラグ」と言うと、お分かりいただけると思う。

 だが、今は違う。何時(いつ)頃からだったか、そんな時間感覚も、10年が7年に縮まり、7年は5年に、5年は3年に縮まった。

 言おう、大方の米メディアの言い分、「トランプ落とせ」キャンペーンにも関わらず、トランプ氏は当選した。だから、数年後、日本でも同じことが起こる。

 朝日、毎日、あるいは各テレビ業者あたりが総力を挙げて「こんなクズが政治家になっていいのか!?」とキャンペーンをするであろう過激政治家が、日本でも選ばれる。なぜって、日本はアメリカの真似をする国だからだ。腹立たしいことに、アイツらの言う猿にすぎないから、我々はそういうふうに行動する。

 新聞屋さんもテレビ屋さんも、その時に焼き捨てられ排撃されないよう、意見を交えず、真実をありのままに伝えるように努めたほうが、「食っていける」と思う。

オリンピック選手を称揚すべし、だが

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 リオオリンピックにおいて日本の選手たちは多くの勝利を得、自己を証明するとともに人々を力づけ、まさしく「国威を発揚した」と言える。

 選手の力戦奮闘、またそれよりも尚、ここまでに至る努力精進の過程を思うと、感動を通り越して崇敬の念をすら覚えるのである。選手たちを称揚せずして、他に何ぞ称揚すべきもののあるや。

 だが、今に至って、ずーっと、テレビでオリンピック感動番組をやっているのを見せられ続けていると、

「これは、電通、博報堂による『東京オリンピック乗っかりゲヘヘヘ銭ゲバ戦略』だな」

……と思えて、腹が立つのだ。

 オリンピック選手とは直接なんの縁もない、錬金術師みたいなチャラチャラしたテレビ詐欺師連中が、努力精進の聖なる国宝級選手に何百人もぶら下がって金儲けをし、食い物にしている表れがこの延々と続くテレビ番組なのだと思うと腹が立つ。第一、おそらくは、このテレビ番組の連続は、選手たちには一文の得にもなっていないのではなかろうか。

 一刻も早く、本来の主役であるオリンピック選手を静謐な環境に戻し、休ませるべきである。電通や博報堂は、いつもの下らないポルノビデオまがいでも撮ってギャーギャー下品に喜んでおればよろしい。

平田実音氏死去

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 長女が小さい頃、この人の番組を見て料理の真似をしていたものだ。「舞ちゃん」引退後も先輩格でアドバイス出演したりしていて、非常に懐かしい。ところが、まだ若いのに、亡くなってしまったという。いたましいことである。

 祈冥福(めいふくをいのる)

障害者と感動とキリスト教

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 何か、NHKの番組が評判になっている。今夜放送されるという。評判になっている理由は、例の24時間なんちゃらの裏番組としてぶつけるべく作られた、「ケンカ売っとんのか」みたいな番組だから、らしい。

 さておき、私が思うには、「本来、障害者は人を感動させるべき人たちである」という決めつけに違和感を覚えるのは、それが聖書・マタイ伝にある、

(以下、聖書『マタイ傳』より引用)

幸福(さひわひ)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を()がん。幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。幸福なるかな、憐憫(あはれみ)ある者。その人は憐憫を得ん。幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と(たた)へられん。幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。我がために、人なんぢらを罵り、また責め、(いつは)りて各樣(さまざま)()しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。」

……というような観念、つまり、「(めし)ひたる者は(さひは)ひなる(かな)、そは神により許されたればなり」というキリスト教的な価値観念に通じているからではないだろうか。

 つまり、このことに関する違和感は、それはキリスト教に対する違和感であると思えばよい、と私は思う。