ICHI

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 流感(インフルエンザ)による風邪籠(かぜごもり)である。節々が痛く、熱も高熱で、しんどい。だが、静かに横臥していると、もともと所謂(いわゆる)「寝腰」のひどい私は、腰痛のためにたびたび起き上がらざるを得ない。

 しんどいのに、暇だ。

 家族が感染を用心しているため、リビングに出ていけない。寝室でPCでも見ているか、読書ぐらいしかすることがない。

 そこで、前から見たいなあと思いつつ見そびれていた映画をAmazon Prime Videoで見る。綾瀬はるか主演の「ICHI」。もう10年も前の映画だ。

 公開時にこれが「座頭市」へのオマージュ映画だということを、私は全く気付かなかった。なので、見なかった。最初から知っていたら見に行ったのに、と残念でならない。と言って、DVDなどを買って見るのも、高いので二の足を踏んでしまう。

 しかし、Amazon Prime Videoだと、Prime会員特典で見ることができる。

 面白かった。「座頭市」へのオマージュがふんだんに盛り込まれ、また、あの「泥まぶれ、血まみれ」の世界観もキッチリ踏襲していて、良かった。

 勝新太郎にせよビートたけしにせよ、主人公座頭市をややコミカルな人物として描きかつ演じている。しかし、「ICHI」ではコミカルな部分は助演の大沢たかおが受け持ちである。

 「あの人」というような扱いで、主人公が少女の頃の父代わりのような人物として、「座頭市らしき人」が出てくる。これがまた、味があって面白い。

 宿場町、賭場、イカサマ、博徒(やくざ)野伏(のぶせり)との対立、危機(ピンチ)、クライマックスでの対決など、もう、これほど忠実な座頭市映画もあるまい。毎週放映の「水戸黄門」を見るような安心感の中にも、座頭市を若い女に置き換えるという新たな設定が光る。いい仕事しているなあ、脚本家。

 ネットの評判はいろいろとあるようだが、座頭市が好きな私は、当然映画も好きだな。

 クレジット・ロールに、原作は子母澤寛の「座頭市物語」と出るが、これはわずかに誤りである。なんとなれば、「座頭市物語」で子母澤寛の書籍を探しても、ないからだ。あるのは童門冬二の「新・座頭市」か、子母澤寛の座頭市物語を含めたアンソロジーものである。座頭市物語は正確には子母澤寛の「ふところ手帖」の中にたった6ページほどしか出てこない短編なのである。勝新太郎の座頭市シリーズでも、作品によって「ふところ手帖」とクレジット・ロールに出る場合があったように記憶する。

「破獄」見た

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 先月から心待ちにしていたテレビ東京の記念ドラマ「破獄」の放映が去る12日にあり、録画しておいたのを昨日15日になってから見た。

 あまりテレビを見ないが、たまにこういうものは気が向いたら見る。

 映像も俳優も良く、見応えがあって面白かった。

 脚本は原作に概ね沿ってはいるが、人物への焦点の当て方はだいぶ異なっている。原作の主人公は稀代の脱獄王・佐久間清太郎なのだが、このドラマでは佐久間を担当する看守の浦田が主人公であり、それをビートたけしが演じている。

 さすがはビートたけしで、もはや入神と言える演技力だが、戦前の窮乏した看守を演じるには肥満し過ぎなのと、呂律(ろれつ)が老い過ぎているところは何としても惜しかった。

 佐久間清太郎を演じる山田孝之の演技は鬼気迫るものがあり、一点非の打ちどころのないものだった。彼を過酷に扱った看守が出征し、程なくして戦死する。その報が届いた時の一瞬の表情など、人間の業の深さ、混沌とした心の闇などを凝縮して表現しており、息を呑むほどだった。

 BDにダビングして、とっておくことにした。

「破獄」放映日

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 過日、吉村昭原作の「破獄」がドラマ化されるということを知って、放映を楽しみにしているが放映日時がサッパリわからない、なんてことをこのブログにも書いた

 昨日、有楽町の映画館へ行ったとき、日比谷の駅のホームの公告でこういうのがあり、放映日時が4月12日(水)21時であると知った。

 今サイトを見に行ったら、日時が追加されていて、4月12日とある。

 楽しみだなあ。ビートたけしって、演技がけっこう上手いからなあ。「戦メリ」の軍曹役からはじまって、最近では東条英機役とか。

破獄

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 「破獄」が、ビートたけし主演でドラマになり、テレビ東京から放映されるという。

  •  破獄(テレビ東京番組サイト)

 原作は言わずと知れた吉村昭の名作だ。

 だいぶ昔だが、昭和60年(1985)に緒方拳主演でNHKでもドラマ化されており、今でもDVDが手に入る。

 実は私は、若い頃、リアルタイムで放映されていたこのドラマを断片的に視聴し、緒方拳の名演に息を飲んだのだ。その印象が忘れがたく、数年してから原作を探して読み、いたく感銘を受けるとともに、この作品から吉村昭を知った次第である。

 20代の頃、この「破獄」をきっかけに、「(くま)嵐」「高熱隧道(ずいどう)」「零式戦闘機」「帰艦セズ」「冬の鷹」「海軍乙事件」など、次々に買って読んだ。後年に至って、「関東大震災」「三陸海岸大津波」「赤い人」なども買って読んだ。

 子供が生まれた頃はアパート住まいだったので、数千冊の蔵書が住居を圧迫していた。しばらくは自分の楽しみごとなど我慢して赤ん坊の面倒を見るべきで、妻の勧めもあって、多くの蔵書を処分してしまった。その中に吉村昭の本もあり、誠に惜しかった。どうしても吉村昭の小説は手許(てもと)に置いておきたく、後年、子供が大きくなり、自宅を建てて本棚の二、三(さお)もしつらえ、小遣いに多少の余裕も出来てからまた文庫で買い直して所蔵している始末である。

 その原作が再びドラマ化されるというのだから、蔵書を(ひもと)くのは当然だ。

 今度のドラマ化では、主演のビートたけしは原作では主人公となっている脱獄犯・佐久間清太郎に扮するのではなく、人情家の看守・浦田進を演じるという。浦田進は原作にもキー・パーソンとして登場するが、終始一貫して登場するわけではない。そうすると、また違った視点からのドラマ化なのだろう。佐久間清太郎は山田孝之が演ずるそうな。

 ところで、「破獄」では主人公の名前は佐久間清太郎となっているが、モデルとなった実在の脱獄犯は「白鳥由栄(しらとりよしえ)」という人物である。白鳥由栄がやったこともほぼ小説に描かれている通りで、戦前から戦後にかけて大変な話題を振りまいたという。

 実は、とうの昔に定年退官しているが、私の父はかつて大阪刑務所の刑務官であった。確か昭和29年(1954)拝命と聞いているから、この白鳥由栄の事件は終息していた頃だが、父は「若い頃、先輩からこういう事件があった、ということで、教訓・教材としてその話を何度も聞かされ、また資料などでも読んだことがある」と私に語ったものだ。

 ともあれ、そういう色々なことがあるものだから、この本は好きだ。早速、本棚から引っ張り出して再読する。

 いつも思うのだが、吉村昭の小説は文章が端正でいい。読んでいてストレスがない。特殊な言い回しや難しい単語は少なく、取材に基づき淡々と題材を追っていく。なのに、ふと気づくとそこには十分な文学的肉付けが施されている。そうした味わいがあるし、何度も読んでいる愛読書だから、楽しく読める。この月曜から通勤電車内の楽しみにし、じっくりと読んだ。今朝の電車内で読み終わった。

 これがどんなドラマになるのか、楽しみだ。今日現在は前掲のドラマ公式サイトを見ても、「平成29年(2017)放映」としか発表されておらず、いつ見られるのかまったく不明である。はやく放映予定が決まらないものかな、と思う。

ダウンタウン

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 ダウンタウン。松本も、浜田も、面白い。不世出のお笑い芸人であると思う。

 だが、なんだか最近、アンタッチャブル感を漂わせ、不可触の権力者あつかいになった。何を言っても、「松本が言うなら、浜田が言うなら、これは仕方がない。正しいのだろう」ということになっているようだ。

 なんか、そう考えたら嫌いになった。これは、ビートたけしも同じである。

 おそらく、なにか、あまり美しくない事情が裏に沢山あるのだろう。排撃される前の島田紳助の感じに似ている。なにかちょっとでもしでかせば、いろいろと噴出してアウトだろう。

オイ佐藤、オリンピックはどうした

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 長女が「ビートたけしはどうでもよくって、椎名桔平と言う俳優が好きだから」などと言って、DVDを持ってきた。「アウトレイジ」と「アウトレイジ ビヨンド」、2本続けて見る。しかし、「アウトレイジ ビヨンド」には、椎名桔平出てこないじゃないかいw。

 この映画も、実は前から見たかったんだよねえ。けど、血が出たりするところを妻がイヤがるもんで、見てなかったのだ。そんな映画を長女が見たがるとは思いもよらなんだ。どころか、最近急激に大人になっちまった長女は、テレビの前に陣取って煎餅なんかバリボリ齧りつつ、例の有名な指ツメシーンなんかも「やくざの中の人も大変だな(ワラ」などと(うそぶ)いて平然と見てたりするからあなどれない。

 それにしても、我ながら、また我が娘ながら、変な父娘ではある。テレビではブレストの世界的第一人者・金藤理絵先生をはじめ、日本選手団が次々と快挙を成し遂げとるっちゅうのに、ソッチ全然見ないで、こんな話題落ちのDVD見てワァキャア言ってんだから。