ボギー

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カサブランカ・ボギー01 ほんで、この前安売りのを買ってきといた、「カサブランカ」なんか見るとか。ぬぅ、ボギー、シブいわぁ~。

オイ佐藤、オリンピックはどうした

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 長女が「ビートたけしはどうでもよくって、椎名桔平と言う俳優が好きだから」などと言って、DVDを持ってきた。「アウトレイジ」と「アウトレイジ ビヨンド」、2本続けて見る。しかし、「アウトレイジ ビヨンド」には、椎名桔平出てこないじゃないかいw。

 この映画も、実は前から見たかったんだよねえ。けど、血が出たりするところを妻がイヤがるもんで、見てなかったのだ。そんな映画を長女が見たがるとは思いもよらなんだ。どころか、最近急激に大人になっちまった長女は、テレビの前に陣取って煎餅なんかバリボリ齧りつつ、例の有名な指ツメシーンなんかも「やくざの中の人も大変だな(ワラ」などと(うそぶ)いて平然と見てたりするからあなどれない。

 それにしても、我ながら、また我が娘ながら、変な父娘ではある。テレビではブレストの世界的第一人者・金藤理絵先生をはじめ、日本選手団が次々と快挙を成し遂げとるっちゅうのに、ソッチ全然見ないで、こんな話題落ちのDVD見てワァキャア言ってんだから。

Mother Fucker

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 昨日見た映画が面白すぎて、いろんなセリフが脳内をリフレインする。調子に乗って「♬Mother fucker~~~~いぇーッ!!」とか歌ってたら、長女に「ちょっとオッサンッ!!意味わかって言ってンのッ!?妻帯者の口ずさむ歌じゃないわよッ!」と、怖い目で怒られた。

 怒るなよぅ~……。

「TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ」の感想に代えて

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 昨日見た映画「TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ」の感想に代えて、映画の中のある設定について引用しておきたい。この映画の面白さは、この部分の引用で代弁できると思う。

以下引用~

ジゴロック=地獄ロックバトルロイヤルってなぁに?
 鬼ミュージシャンVS地獄に落ちた高校生の対決。それが地獄ロックバトルロイヤル。「H」のコード(※)を鳴らすと閻魔山から巨大なえんまが現れ、地獄ロックバトルロイヤルが開幕します。勝者は人間に転生、敗者は拷問の末に鬼に喰われると言う激しいバトルですが、人間道へ転生するチャンスを賭けて、地獄中から腕に覚えのある高校生が集まります。

(※)佐藤注:通常の音楽コードは根音CDEFGABの7個からなるが、地獄には「Hell」の頭文字をとった8番目のコード「H」があり、これは1弦の1フレットから6弦の24フレットまでを押さえると言うまさに地獄の超絶技巧コードである。

 地獄では人間に転生することを、現生との契約、すなわち「メジャーデビュー」と呼びます。これまでメジャーデビューを果たした超エリートに、オジー・オズボーン、ジーン・シモンズ、葉加瀬太郎、篠山紀信などがいます。

~以上引用

TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ

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 話題の映画を見に行った。去年の、あのバス事故のために封切が危ぶまれたと言ういわくつきの映画だ。

 いやもう、笑うどころか、あまりの純愛に号泣しちゃったよ私ぁ。

 号泣したので、とてものことに、理屈っぽい感想など書けやしない。感想を知りたい人は、映画館へ行って映画を見てくれ。

 宮藤官九郎は天才だ!!

(翌日付記: 感想に代えて、こんなことを引用しときました。)

見たい映画があるので

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 見たい映画があるので、かかっている映画館は、と探すと、だいたいどこでもかかっているのだが、ところが、ほとんどが20時頃以降上映のレイト・ショウである。

 どうしようかなあ、と思ったが、休みだし、見たいし、妻に「見に行かないか」と誘ったら行く行くというので、予約した。

一杯

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IMG_3950 早々と入浴してしまう。真っ青な空を背景に、白く輝く入道雲の峰がむくむくと大きくなっていくのが、開け放った風呂の窓から良く見える。写真は風呂の窓からではなく、南向きのリビングの窓から撮ったものだが、なんだか映画「ゴースト・バスターズ」のマシュマロマンみたいな形で、文字通りの入道雲、面白い。顔まで憤怒相の金剛力士像みたいに、怒ったように見える。「ガーゴイル家族」のガーゴイルの顔にも見える。

 クーラーをかけて、いつもどおり氷の塊を冷蔵庫から取り出し、カチワリを沢山作る。IMG_3949

 いつもの酒、指五本分、ケチケチせずにたっぷり注いでやり出す。至福至福。

28.07ブログ記事100件 なんだか今月は、ブログにどうでもいい文字列を書き殴ることが多く、気が付くと細かいエントリを100個も書いてしまったようだ。

 事情により、休日なども家でじっとしていなければならない日が多く、いきおい、読書をするかウェブサーフィンをするか(文字列インプット)、ブログを書くか(文字列アウトプット)、どっちかしか無聊を紛らす楽しみごとがないからである。

 不肖私こと佐藤の特技は、意味のない文字列であれば無限に出力し続けることができることだ。

 しかし、面白いことを書けとかテーマに沿った論説を書けとか他人の文体を模写しろとか、そういうプロっぽい縛りがあると途端にダメになってしまう。だから、この特技を生かしてライターになるとか小説を書くとか、そういう商売はできそうもない。

 恥ずかしながら若い頃、小説の新人賞に応募したことがあったが、箸にも棒にも引っ掛かるものではない。そりゃあ、私は芯から面白い人物というわけでもないので、当たり前である。

 さておき、忙しかったとはいえ、今月は映画を二つ(「帰ってきたヒトラー」と「シリア・モナムール」)見に行けたのは僥倖(ぎょうこう)だった。

 最近は子供たちも大きくなってしまい、子供たちは子供たちで自分の見たい映画を勝手に見に行くようになった。それで、以前のように、私は()いて子供向きのディズニー映画などを見に行かなくてもよくなった。楽だが、こうして子供も離れていくんだなあ、と思う。まだ寂しいとは思わないが、しかしなにやら()()みとはする。

友よ、静かに(ねむ)

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 表題作のテーマ曲が聴きたくなり、DVDも持っているのだが、なんとなくYoutubeであさると出てきた。

 封切当時北方謙三作品にハマっていて、いくつも読んでいたので、この映画もシビれながら見たものだったが、当時はまだ10代だったから、このロケ地があの「辺野古」だとは知らずに見ていた。また仮に辺野古だと知ったとしても、当時は何も思うことができなかったろう。


 原作は沖縄ではなく、北陸かどこかの寂れた温泉地が舞台なのだが、監督の崔洋一が強い思い入れで辺野古にしたのだと言う。

 さておき、この原作を読んだのが確か19歳ぐらいの頃で、その頃大藪晴彦の作品などもいくつかは読んでいたが、ハヤカワ・ミステリのハメットとかチャンドラーにどわ~っと耽溺するようになったんだった。

一杯

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 今日、映画を見る前に映画館の近くのサイゼリアでペペロンチーノをすすり込んだ。まったく、貧乏人の味方、サイゼリアはありがたい。「そういう程度」と思って食うと、意外、値段よりも旨いんですよ、あそこ。399円なんですけどね。

 同様に、あそこには意外に安くてうまいワインがあるので、一杯いったろうかいと思ったのだが、上映中に絶対寝てしまうと思ったので、飲まなかった。なんせ、徹夜明けで日光が黄色いぜ、というような体たらくだったから。

 帰ってきて参議院の投票をすませる。まず、今日の夜更けの酒の肴は開票速報に決まっている。私ですか?私は右翼で、自衛隊が人を殺して何が悪いと(うそぶ)くような糞野郎ですからね、自民党に決まってまさァ旦那、けっけっけ。もうね、何か、申し込んでおいたら、10年くらい続けて、全部自民党に自動的に入れておいてくれるような業者かなんか、ないもんですかね。もう、ソレ一本に決まってんですから私なんか。

 あっさりと行水をつかい、冷凍庫からいつも通り、氷の塊をとりだしてカチワリを沢山作り、今日見た映画のパンフレットと、ラックに置いてあったほかの映画のパンフレットで一杯。

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 今日見た「シリア・モナムール」のパンフと、興味を覚えて持ってきたのは「人間爆弾 桜花 特攻を命じた兵士の遺言」。これは8月の上映だという。

 指1本2本とケチケチせずに、指5本分ドップリ注ごうぜアミーゴスww。もうすぐ開票だぜ、キッシッシ。

シリア・モナムール

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 見たかった映画「シリア・モナムール」を見に行った。以前、ツイッターのタイムラインで誰かが噂していたのを見てから気になっていたのだ。東京では渋谷の「シアター イメージフォーラム」という所でかけている。このシアターは渋谷の駅から歩いて5分か10分ぐらい、青山通りの宮益坂の上のほうにある。

 今日は徹夜明けでしんどかったが、見に行った。見られるときに見ないと、特にこういうミニ・シアターでかかるような映画はすぐに見られなくなってしまう。

 胃のあたり、心臓の下のへんに異物感を覚えだすような、痛みの感じ。目を背けることは映像の中にいる当事者たちのことを思えばとてもできず、顔をあげて見続けるしかない。

 いろいろな角度から見ることのできる問題作だな、と思った。

  •  シリアの惨状を知り問題提起等を行うため社会意識や政治意識の角度から見る。
  •  イスラムを理解する一助に見ようとする方向。
  •  とにかく痛みに共感する見方。
  •  愛の物語として感動を見出すような方向。
  •  優れた映像感覚を鑑賞する方向。
  •  反戦意識の高揚のために見る方向。

 こうしたいずれの方向からの見方も可能だし、それら一つ一つについてひとくさり論ずることもできるだろう。

 だが、私としては、これらの感じも部分部分では持ったものの、全体としてはこれらのどれでもない、と思った。

 ネットの評判やパンフレットの解説では、「突き詰めるとこれは二人の愛の物語である」ということにされているようだが、私にはそれはメインテーマではないように感じられた。ネットから聞こえてくる、登場人物シマヴのささやきのような語り掛け、彼女から送られてくる動画の、鮮血飛び散る、土まぶれの肉体の凝視などから見えてくるのは、愛ではなく、シマヴという一個の人格だ。強く、かつ、弱い。冷徹なようでいて深い悲しみと痛みの感覚、静謐な信仰。そうして、それらを共有している、この映画の監督であるオサーマ・モハンメド氏にとっての、シマヴという人への共感、同情、心配、そして同時に畏怖と尊敬がテーマである、というふうに見えた。

 シリアに舞台を借りた、人間と人間の向き合い、だろうか。モハンメド氏ははからずも、惨劇のシリアから遠く離れ、自ら恥じ入りつつもパリという安全な俯瞰の位置にいる。だからかえってシマヴの人格がくっきりと浮かび上がって描き出されていくのだ。

 実際、見終わってからパンフレットで知ったが、この映画の原題は「シマヴ」なのだそうだ。”SILVERED WATER, SYRIA SELF PORTRAIT” というのが原題だ。「Simav シマヴ」というのは「Silvered water 銀の泉」という意味なのだ。

 そうするとやはり、この映画は、モハンメド氏の取り上げ方による、シリアにいるシマヴという名の一個の人格を描き出したものであると思える。

 「それを『愛』と呼ぶんだよ」と言われると、そんな気もする。だが、恋愛ではない。映画の中には恋情は描き出されてはいなかった。

 ただし、上映に人を呼ぶためには「シリア・モナムール」という題名付けのほうがいいということは、むしろ残念なことながら、言えると思う。「愛の讃歌」の引用から、ヒロシマ・モナムールへのオマージュが感じられるというのも、事実ではあろうから。