日常

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 庭の沈丁花が咲き始めた。

 赤花が先、白花が三分咲きと言うところ。

 池波正太郎原作の映画「仕掛人・藤枝梅安」の新作がかかっていて、ぜひ見たかったのだが、昨日と今日はかかっておらず、だからというのでもないが昨日は別の映画(『すずめの戸締まり』『ラーゲリより愛を込めて』)を2本見た。「仕掛人・藤枝梅安」のほうはもう今週木曜日で封仕舞いなのだという。劇場で見たかったが、残念だ。

 2部からなる大作で、第2部は4月7日から封切だという。今度は逃さず見てみたいもの。だが、第1部を見ていないと面白くないという作りなのなら、やめておこうかな、と迷うが、公式サイトを見るとそうではないようだ。公式サイトのストーリーによれば、第1部がシリーズ第1巻第1作の「おんなごろし」、第2部が同じく第2作「秋風二人旅」からの映画化のようだ。

 梅安で連想したわけでもないが、梅見頃を逃したかな、と思う。来週頃宮内庁越谷鴨場隣、越谷梅園に行ってみようか。

気晴らし

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 昼に行きつけの蕎麦屋、新越谷「SOBA満月」で蕎麦前に山梨の銘酒「七賢 風林美山」を一合、天婦羅を肴に冷やで飲み、生粉打ち十割の盛蕎麦を手繰る。今日の粉は鹿児島・川辺町産の「春のいぶき」。

 その後越谷レイクタウンのイオンシネマへ行き、予約してあった話題の映画「すずめの戸締まり」を見た。案外に面白かった。

 晩めしに黒毛和牛のしゃぶしゃぶを鱈腹喰って、レイト・ショウの映画をもう一本見た。「ラーゲリより愛を込めて」。名作映画と言えた。これもよかった。

テレビを見る

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 新コロ蔓延の折柄、外にも行けないので家でテレビなど見る。もとよりあまりテレビを見ない方なのだが、HDDレコーダーの便利さ、気に入ったものを選択的に見られるのは有難い。

 NHKの「BSプレミアム」で、名画や名作ドキュメンタリーがよくかかっていることを知った。

 これまで知らなかったのである。高い放送受信料を一銭漏らさず払い続けている私としたことが迂闊であった。見なければ勿体ない。

 さすがはNHK、お金を取るだけあってコマーシャルは一切入らず、没頭して見ることができ、気持ちが良い。こうでなくちゃいかん。

 昨日は先週放映された「グラディエイター」の録画を見た。その前はインド映画の傑作「ムトゥ 踊るマハラジャ」、ドキュメンタリー「映像の世紀・ヒトラーの野望」同じく「世界は地獄を見た」、それから「バック・トゥ・ザ・フューチャー」パート1、2を続けて見た。「ダーティ・ハリー」1~3も良かった。

時事漫察

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は、八百ッ……!

 絶句せざるを得ない。

 ただ、何とはなしに「慣れてきた」感じもあって、焦燥的な危機感は、私自身にあってはあまりない。

動画
こ、ここ、これは……!?

 思わず吹き出してしまった。

 「アフリカに脱出したヒトラーと東条英機が殺人空手でガーナを侵略、ガーナ人はカンフーでこれと対決」、て……。

 滅茶苦茶過ぎてよくわからないが、面白そうである。

 話題としてはそんなに新しくなく、映画自体は今年の年明け、令和2年(2020)の2月に目黒で公開されており、その時に映画ファンをだいぶザワつかせたものらしい。

 内容は意外に真面目なカンフー映画のつくりになっている、とのことだ。

イミテーション・ゲーム

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 アラン・チューリングの伝記映画「イミテーション・ゲーム」を見た。

 今朝書いた記事に「ホモに関するくだりはないらしい」などと書いたが違っていた。

 実は、この映画については、先日知人が教えてくれたのだ。その知人が「ホモなんてことに関するくだりはなかった」と言っていたので、今朝の記事にそう書いたのだ。だが、違っていて、映画は知られている史実に概ね忠実に描かれており、ホモ疑惑や、長距離走に励むシーン、変人ッぷり、最近になってからの英国政府による名誉回復なども克明に描かれていた。

 名作だと思う。

 但し、「チューリング・マシン」が現在言われているコンピュータである、とする結語は、なんだか、ちょっと違うな、とは思った。

ジーザス・クライスト・スーパースター

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 こんなゴタクを書き、聖書を読んで、それから真夜中に至り、子供の頃からそのタイトルが焼き付いて離れなかったロック・オペラ映画、「ジーザス・クライスト・スーパースター」をAmazon Primeで見る。

 ああ、思い描いていた通り以上のシビれる作品だった。これだ、これだよ、私が見たかったキリスト教は。

 それにしても、なんと驚くべき時代であろうか。こうして、あんなにも見たくて、しかし機会に恵まれず見られなかったものを、居ながらにして見ることが出来るとは。

読書

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 引き続き約60年前の古書、平凡社世界教養全集第5巻に所載の評論「恋愛論」を読む。

 Googleでふと「スタンダール」を検索してみたら、キーワード・サジェスチョンに「症候群」と出る。「スタンダール症候群」というものがあるらしく、何か文学的な偏執症のようなことなのかな、と思いきや、その昔、スタンダールが有名な聖堂のフロアで丸天井の壮大な装飾を見上げて、眩暈(めまい)と動揺に襲われたそうで、そのような症状をスタンダール症候群というのだそうである。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」より引用。以下の<blockquote>タグも同じ。
p.316から

 恋する技術とは結局そのときどきの陶酔の程度に応じて自分の気持ちを正確にいうことに尽きるようだ。つまり自分の魂に聞くことである。これがあまりたやすく出来ると思ってはならない。真に恋している男は、恋人から嬉しい言葉をかけられると、もう口をきく力がない。

p.340から

 ある有名な女がボナパルト将軍に突然いった。彼がまだ光栄に包まれた若い英雄で自由に対し罪悪を犯していなかったころの話である。「将軍様、女はあなたの妻となるか妹になるほかはありませんのね」英雄はこのお世辞を理解しなかった。相手は巧妙な悪口で仇を((ママ))った。こういう女は恋人に軽蔑されることを好む。恋人が残酷でなければ気に入らない。

p.355註〈1〉より

「スペイン人の目的は光栄ではなく独立です。もしスペイン人が名誉のためにのみ戦ったのだったら、戦闘は、トウデラの戦い(一八〇八年十一月)で終わっていたでしょう。名誉心は変わった性質をもっています。一度汚されると動けなくなってしまう。……スペインの前線部隊はやはり名誉の偏見に囚われていたので(つまりヨーロッパ風現代風になったのです)一度敗北すると、全ては名誉とともに失われたと考えて壊滅しました」

p.357註〈3〉より

 ああ、時代の哀れな芸術に当たるやいかに辛き。
 子らはいとけなくして、ただ人にもてはやされんことをのみ願う。

ティブルス、一、四。
言葉
丁年

 「定年」「停年」というと、老齢による退職の年齢だが、「丁年」は一人前の年齢、ということだそうである。

下線太字佐藤。以下の<blockquote>タグ同じ。
p.333より

ついにドンナ・ディアナの丁年が近づいた。彼女は父親に勝手にわが身の始末をする権利を行使するつもりだと告げた。

 まだこの評論、半分ほどである。引き続きこれを読む。

ライオン・キング

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 妻と二人、話題作の「ライオン・キング」を、これまた話題の「4DX」で見てきた。朝イチ、午前8時20分から上映の席をとる。近所の「イオン・レイクタウン」のイオンシネマだ。8時40分と言うとまだイオンレイクタウンそのものが開いていないのだが、シネマだけはそのために一部の入り口が開き、入ることが出来るのだ。、

 「ライオン・キング」は結婚した頃、妻といろいろなメディアで何度も見たもので、懐かしい作品の一つである。

 作品は元のストーリーを忠実になぞり、かつ、最新のコンピュータ・グラフィックスで生々しく迫力のある映像美に作り変えられ、元の作品に勝るとも劣らない、実に見ごたえのあるものに仕上がっている。

 4DXは映像が立体視できることはもとより、振動、座席の傾き、水しぶき、香り、煙、変わったところではシャボン玉による演出など、非常に楽しめるものであった。

 パンフレット買ってご飯を食べて帰る。

映画「アルキメデスの大戦」

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 今日は話題の映画「アルキメデスの大戦」を観に行った。

 劇中で、主人公が映画の核心ともなる数式を得るシーンがある。近似式で、軍艦を建造するために必要な鉄の単位量あたりの経費を数理モデルにあてはめたものだ。

 映画のストーリーはさっさと進むので、主人公が素早く黒板に書き出す数式をいちいち見ている暇はなく、細部はよくわからなかった。だが、主人公が紙や黒板にグラフを描き出すシーンがあり、ふとそれに注意を惹かれた。

 そのグラフは「ある一定のところまでは鉄の単位量当たりの経費は増えていくが、ある一定量を超えると工作が単純となるため、単位量当たりの経費が漸減していく」というものだ。映画では一瞬だけ画面に出る。

 これが、IT技術者が古典的な工数モデルとして慣れ親しんだ「Putnam(パトナム)モデル」と非常によく似ていた。

 Putnamモデルというのは次のようなものだ。

\cfrac{dEt}{dt}=\cfrac{E}{t^2d}t \cdot exp(-\cfrac{t^2}{2t^2d})

但し

E>0,td>1
Et: 某tまでの累積工数
E: 総工数
td: \cfrac{dEt}{dt}が最大となる時刻t

 このモデルをグラフにとると次のようになる。

 このPutnamモデルを積分すると、「S字成長曲線」に似ることもよく知られるところだ。逆に言うと、S字モデルを微分するとPutnamモデルに似た曲線になるのである。

 工数はそのまま金額に比例するから、映画のシーンを見ていて「おっ、これは」と感じた。

 帰宅してから、映画のサイトや他の方のレビュー記事などを見ると、主人公が黒板に書き出す数式は実数の定数の他は1個の説明変数があるだけのシンプルなもので、自然対数が現れる「レイリー分布曲線」を使用したPutnamモデルとは違うことがわかり、ちょっと肩透かしを喰った気になった。

 なんにせよ面白い映画で、いろいろと考えさせられるところ大であった。

時事雑挙

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 通勤経路の他所(よそ)のお宅の庭に木槿(むくげ)が咲いた。

 美しい。

 写真にでも撮りたいところだが、他所のお宅の庭なんか写真に撮って、犯罪者だと思われても困るし、向こうでも気味悪くて迷惑するだろうから勝手なことはできず、残念である。

自然な農業を歪めているのは誰

 私は農業関係者ではない。しかし、おいしい野菜や果物を食べたいという単純な欲求は持っている。

 去年の話題ではあるが、「種苗法」の運用により、自然な農業のなりゆきと感じられるような、例えば「収穫から種を採り、それを分けあって()き、更に収穫を増やして共存する」などということが出来なくなっていくであろう、……というふうに書いているメディアがある。

 パッ、と、そこだけ切り取って聞くと、「なんと不自然なことだ。天然自然の農業を歪めるものだ」という感じがしてしまう。上掲は去年の記事だが、この記事のように、「米国の大企業の支配構造に農業を組み入れる暴挙であると同時に、生態系や人間の健康に重大な影響を及ぼしかねない」というようなことを書きたてているところが多いようだ。

 しかし、冷静に見ていくと、そういうことばかりではなさそうである。

 もともと、苦労を重ねて改良された、日本の優れた農産品が、無秩序に中国や韓国に持ち去られ、勝手に播種(ばんしゅ)栽培、更には増産されて日本に輸入され、平穏な日本の農業需給を荒らすというような、そういうことが問題となったから、種苗の取引に一定の秩序を付与しよう、ということらしい。

 言われてみれば、苺や柑橘類、米穀などで損害を被る事態になっていることがニュースになっていたのを、深刻に思い出す。

 どうも、落ち着いて見ていくと、「米国の支配」云々、ということを言い立てているところは、地方紙など、反社会活動に(くみ)するような、変なところが多いようだ。

 何であれ政府や役所のすることは全部間違いだ、などということを言うのが好きな人が多いかのように感じられるよう仕向けて行く、というのは困ったものだ。

「余っている」

 企業の経営は苦しいらしく、リストラもよく行われる。本当に企業が苦しいのか、お金を多く儲けようという商売の自然な道理に従っているだけなのかは私にはよくわからないが、こんな記事があった。

 この中に、

(引用)

余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑える。

 というくだりがある。

 これにびっくりする人もいる。

 まあ、「余った従業員」という言葉に、労働者の悲哀を(かえりみ)ることもない巨大利権構造と政府及び社会の冷酷無情を見て取るか、最近の新聞記者の語彙(ごい)(すさ)み方を見て取るか、それはまあ、人それぞれだと思う。

 私はどちらかと言うと、記事が乱暴な態度で無造作に書かれているだけではないかと思う。つまり、新聞記者の語彙が低劣化しているのだと見る。

 種類の違う話だが、(かしこ)し、()ぐる年、上皇后陛下が「『生前退位』なる新聞やテレビの言葉に痛みを覚えた」と漏らしあそばされたことがあった。

 余談だが、なんと(いきどお)ろしいことに、大新聞・大テレビは上皇后陛下のこのお言葉をすべて無視したのである。新聞・テレビなど、悪しき呪術にも似て、怨念や不安を増大させ、世の中を混乱と恐怖に(おとしい)れようとしているとしか思えない。いっそ天罰でも下るがよいわ。……と言って、私のブログの時事エントリなど、大新聞や大テレビの記事やニュースがなくては表すことができないのだが(苦笑)。

 さておき、その時と同じような痛みを共感すると同時に、私は「余った従業員」という言葉しか書けない新聞記者を哀れに思う。

 その新聞記者が悪いのではないのだ。教科書や国語のテストに出てきた言葉しか、彼らは知らないのだ。新聞記者と言うのは学歴が高く、子供時代は勉強に明け暮れているから、余裕のある時を過ごして読書したり人と話したりする機会を持てなかったのだ。しかもなお、光輝ある新聞記者の地位を得てみたら思いの(ほか)、取材に追いまくられ執筆に追いまくられ社内の雑用に追いまくられ、のんべんだらりと文章を推敲している暇などあるわけもなかろう。自分の貧弱な言葉をひねり出して日々の仕事をこなしていくしかない。生来言葉にいたわりや悲しみ、温かみなど盛り込むことに縁のない怜悧な人物たちだ。だから、人をいたわる言葉が書けず、「余った従業員」だの、場合もあろうに「生前退位」などと記して、しかもその言葉の何が悪いのかもわからないのだ。

パジェロ販売終了

 ほほ~……。

 パジェロは官公署、例えば自衛隊などでも採用されているので、何かと波乱がありそうだ。

 私も若い頃、パジェロが欲しかったが、それよりやっぱり小粒でイカしたスズキ・ジムニーのほうが好きで、長いことジムニーの幌車に乗っていた。結婚を機に四駆への興味が薄れ、パジェロもどうでもよくなったが、販売終了となるとまた懐古の情がそこはかとなく胸に生じる。

まあ、普通かなあ

 時代に照らして、まあ、そうでしょうねえ……。

 ただ、まあ、「職場のことをネットに流すなッ!」というのは、若い人には、折に触れ教育しておかなくてはいけない。警察官が取り調べ中の事件のことをツイッターに書いたり、銀行員が有名人の貯金残高をFacebookに書いたり、メーカーの人が開発中の新商品のことをYouTubeで流したり、そんなこと、法律や社規以前に、常識で判断したってダメですからね。

 一方、「今日、叱られて落ち込んだ」とだけ、ポツリとTwitterに書いたとして、それは、今時、責められぬ気はする。暑苦しい人間関係を避けることが望まれる昨今、その受け皿はSNSだったりするんだろうし。

ものの作り方も国際的になっていて

 産業振興などにつながるならそれも(むべ)なるかな、と感じなくもない。

 昔、三菱重工が「F1戦闘機」を開発した頃は「日本、『ゼロ』から『1』へ」などと海外メディアに書かれたものだそうだ。

 なんとなく連想するのは、ヨーロッパなどは第1次大戦や第2次大戦で、ドロドロの国際関係を持っていて、むしろその昔の第1次大戦の時代の方が、自国以外の兵器、ともすれば敵国の兵器で戦っていたりするのだ。

 ドイツ製の火砲をフランスが重宝していたりしたと聞いたことがある。いつぞや読んだ本によると、第2次大戦中のスイスなんか、中立国だが、ドイツのメッサーシュミットを買って領空侵犯機を叩き落としている。

 余談だが、中立国であるスイスの上空をアメリカの戦闘機が領空侵犯したため、スイスはこれを撃墜した。戦時下だから、アメリカ・イギリスだろうとドイツだろうと、どの国に対してもそうしたのである。ところがこれに激昂したアメリカは報復の挙に出た。国もあろうにスイスにB29を差し向け、都市無差別爆撃を敢行したのだ。この爆撃で、スイスの一般市民にはおびただしい死者が出た。あまり知られていないがこれは史実で、アメリカ側にとっては思い出したくもない汚点となり、スイスとのしこりともなって今も残っている。

 話がそれたが、仮に国産で戦闘機を作ったとして、部品の多くはやっぱり米国製で、サプライ・チェーン上、もはや国産がどうとか論ずること自体が無意味なのではないだろうか。

へえ、「みさき公園」がねえ……。

 私の生まれ育ちは大阪の堺市だ。その近くの岬町に昔からある「みさき公園」が閉園するのだという。

 私なども子供の頃、何度か行ったものだったが。しかし、うんと小さい頃だったものだから記憶は遠い。確か伯母も一緒だった。陽光の中、青い芝生の中で遊び疲れ、土管のような大きな遊具に入って楽しんだような気がする。追憶、と書けば的確だ。その伯母も先頃亡くなった。……まあ、私にとっては懐古の情(ノスタルジー)の場所ではある。

 まあ、そりゃあ、当時と違って今は子供も減っているし、どうしたって子供相手の場所であることを否定できない遊園地が赤字になるのは、これはもうしょうがないわなあ……。大人、就中(なかんづく)、子供の減少とは逆に増え続けている、退職老人などが日参するような場所にでもなれば別なんだが。

だいぶ前の記事だけど

 ……(こわ)ッ!

 不動産屋(ぢめんし)怖いッ。……私は土地なんか持ってなくて、良かったと思う。私の親も地面の財産なんかないし、貧乏人で本当に良かった。

け、経団連?……て……。

 私は会社の経営のことなどサッパリわからないが、Facebookみたいな、なんとなく「若者の企業」みたいな感じのするところが、口に出して言うとおっさん集団の代表みたいな響きの感じられる「経団連」なんてところへ、入るもんなんだなあ。

 他にも、GoogleもAppleもAmazonも、み~んな入ってる、などと書いてあって、へぇ~……、と思う。

いやこれ、いくらなんでも

 う~ん、どうなんだろ。

 「言葉に痛みを覚える」ということには私は共感する。人間に対して「その他」とは、雑な書き方だなァ、とも思う。

 が、しかし、「その他」以外、どうにも書きようがないだろ、こんなの(苦笑)。

 「男 女 性的マイノリティ」なんて書いた方がよっぽど無残な書き方になっちゃうし。

イソ子

 あ~、この映画、やっぱりイソ子関連なんだ。

 でも、イソ子も悪いと思うよ。官房長官にハラスメントみたいなことするからだよ。

大泥棒がやくざの嫁ってのは、逆に普通な感じすらするな

 なんか、生まれる場所や状況が違ってたら、すごい才能を発揮したのかもしれんな。職人とか、名人とか。